第139話 兄の場合は、危険な伝染病の疑いが在ったし

「でも兄の場合は、危険な伝染病の疑いが在ったし……」

「それは実際はコトリバコの呪いで、神水によって傷口が完治したんでしょ」

「でも、あの時は本当のこと、言えなかった」

「まあね。医学を志している人が、神水のことを知ったら、そりゃあ大変な騒ぎになるわよ。私だって、神水で治せるのが妖魔に与えられた傷だけって知った時は、世紀の発見がってがっかりしたもの」

「うん。神水は岡島神社の門外不出の秘宝」

 そこで麗さんのお兄さんのことについての話も一段落したのか、鈴木部長が話題を変えて来た。

「沢登さん。その話が出たんで……。僕もコトリバコについてもう一度調べてみたんだ。沢登さんは危険だと言ってたんだけど……。それで、十七夜教が持っていると思われるハッカイの在処(ありか)は分かったのかい?」

「……全然……」

「そうか……。これは推測なんだけど、例えば今まで岡島神社が封印して破壊してきたコトリバコ、イッポウとかチッポウとか言われるやつ、漢字では一封(いっぽう)とか七封(ちっぽう)という字を当てるらしい。そして、ハッカイは八開(はっかい)という字を当てるらしい。面白いじゃないか? 岡島神社の妙見密教の最大奥義は八封久呪(はっぽうくじ)、開くと封じる、見事に対峙している」

「それが……?」

 鈴木部長の言葉に麗さんは懐疑的な目を向ける。

「きっと、妙見密教と十七夜は昔から対立関係にあっただろう。そして、近代十七夜教と云うのはどこに消えたんだろう? よほど上手く地下に潜ったんだろう。ネットでもその痕跡は全く見つけられない。ハッカイというとんでもない呪具を持ち去っているのに消滅したとは考えられないだろう。今もハッカイは十七夜教の者たちに守られているに違いない」

「「「「……?……」」」」

 鈴木部長独特の遠回しな言い方で、訊いてる方がいじいじする。分かっているならさっさと答えろと内心拳を握るが、実際に拳で殴りつけた女性がいた。言わずもがなの彩さんだ。

「鈴木!! まどろっこしいのは嫌いや!! ちゃあちゃあ言わんかい!!」

 あれ鈴木部長にはスリーパーチョークのサービスは無しですか?

「なんか、沢村の時と待遇が違うな。まあ、いいか。あくまで推測だから話しながら自分で理論構築しているところもあるんだ。先に結論から言ってしまうと、今度の心霊スポット研究会の遠征は京都を考えているんだ」

「「「「京都?!」」」」

「「遠征?!」」

「もうすぐ、岡学祭なのに?!」

 全員口々に疑問を投げかける。最後の学祭は何の関係があるのか分からないけど。その疑問に簡潔に答える部長。

「そこにハッカイがある気がする」

「なんで、そこに在るって分かるんやー!!」

 結論を急ぎすぎた鈴木部長は、結局彩さんにもう一発ゲンコツを喰らっていた。

「あたたたっ、だから、順を追って話そうとしたのに……」

「キリキリしゃべらんかい!!」

 今度は部長のこめかみをぐりぐりしている。

「わかったって、みんな神仏分離令の話は知っているよな」

 その話は、岡島神社がなぜ今だに菩薩である妙見菩薩を祀っているのかについて出た話だ。なんでも、明治政府に逆らって岡島神社を存続させるのに明治政府を相手に曾爺さんが政府との密約をかわしたという話だ。

「神仏分離令の表向きの理由は、明治天皇を頂点とする天皇制で天下を取った明治政府は、王政復興と祭政一致を理想として、神道国教化を進めるために神仏習合を禁止したわけだ。

 それで混在していた神社の方を徹底的に統制したんだ。それまで寺社奉行によって管理されていた寺はまだしも、神社の方は、道祖伸に祟り神、修験道に道教、それに陰陽道あたりの教祖を祀るなど色々だったからな。それらの祀っていた神様たちは一様にアマテラスやスサノオなどの天皇家由来の神様に挿げ替えられたわけだ」

「それが表向きの理由……?」

「そう、しかし実態は、明治新政府は畏れたんだよ。祟りというやつを。歴史的に観ても政変の裏に呪術ありだ。桓武天皇の遷都に始まり、平の将門、菅原道真、そして安倍晴明。それらの呪術の流れをくむのが、道教であり密教であり陰陽道なんだ。それらを弱体化するために、修験道や陰陽道を廃位して、日常の伝統的な習俗信仰を禁止した」

 なるほど、桓武天皇が長岡京、平安京と立て続けに遷都したのは、恨みを買った政敵の祟りから逃れるためだと言われているし、実際に多数の犠牲者も出ているらしい。だから、平安京は風水を始め、色々な呪法で悪霊の封印に力を入れていると言われている。

「その結果、密教衆や修験者や陰陽師など伝統的宗教者が大打撃を受けたと言われている。その打撃を受けた中に十七夜教の信者たちもいた。そして、その信者たちはハッカイを使って明治政府に呪いを振りまこうとしたが、それを政府が事前に感じ取り、妙見密教にその呪いを封じ込めることを条件に、妙見密教の存続を許可したんじゃないのかな。沢登さんとこの神社のご神体が妙見菩薩というのはかなり特殊な例なんだ」

「なるほど」

山岡さんが頷いて、鈴木部長の話を受け継いだ。

「確かに、神仏分離令はその余波として全国で廃仏毀釈運動が起こったよな。経典や経文、それに仏像や仏具が焼かれ破棄され、寺や塔なども破壊しつくされ廃寺になって痕跡さえ残っていないところもたくさんあったって話だ。特にひどいのは薩摩藩で、藩内一六一六寺すべてが廃止された。その目的が、寺院の撞鐘、仏像、什器などから得られる金属で、天保通宝を密かに偽造し軍備の拡充を図るためだったって言うからな。まあ仏教にある地獄を畏れぬ所業だよ」

「そっか。平和に見える日本の歴史の中にも、エジプトやイスラムなんかであった宗教戦争のようなものがあったということね」

 彩さんがしみじみと言った感じで受けた後、言葉を繋いだ。

「それが、どうして京都に行く話になるわけ?!」

「それがですね。桓武天皇が平安京を開いて以来、神道、仏教、道教、陰陽道などが融合した密教が平安京を席巻しまして……。承久の乱なんかみたいに京都は何度も焼け野原になったわけなんですけど……。明治以降は、まあ、それから世界中で色々不幸な出来事があったわけですが、京都はそういった被害がほとんどないわけで……」

 麗さんの怒りモードの余波を受けて、鈴木部長の歯切れがどんどん悪くなっていく。しかし、言わんとすることがだんだんと俺には分かって来た。

「部長、つまり、明治維新までは、お互い対立する宗派が呪術合戦を繰り広げて、京都が戦火になっていたけど、明治以降は、敵対し合った密教が政府の目を恐れて地下に身を潜めた。しかし、身を潜めながらもハッカイを使って、人々を不幸のどん底に落としいれたってことでしょ。結果、大厄災は京都以外で起こっていると」

「さすが、沢村君、僕の言いたいことが分かったみたいだな。そんなんだ。密教では人の呪いや恨みといった負の情念が災いを起こすと考えられている。戦争だけじゃなく天変地異だってそうなんだ。負の情念を無限に集めそれを災いに具現化する呪いの呪具ハッカイを使って世界規模の災害を起こしている集団が、いまだ京都の地下に潜伏しているからその影響が京都に及ばない。その潜伏先こそ、廃仏毀釈運動で大きな損害があった八坂神社と愛宕神社だ」

「な、なんだって!!」

 麗さんが驚いたように叫んだ。まさか、おとなしい麗さんに先を越されるなんて……。しかし、麗さんたちは十七夜教の連中を追っていたわけだから、部長の仮説に驚くのに無理はない。しかし、まさか神社まで特定していたとは……。

「どちらも元々祀られていたのは祟り神だ。八坂神社は牛頭天王。愛宕神社はあの陰陽道の開祖、役行者(えんのぎょうしゃ)が修行した愛宕山にあり、太郎坊という天狗という大魔王が本尊だ。そしてどちらの神社も何百という仏像や仏具が、打ち壊され焼却されたようだ」

「牛頭天王? それに天狗?」

「おや、沢村君は知らないのか。牛頭天王は日本の大小的な神仏習合神だぞ。頭が牛で体が人という疫病神で、「蘇民将来子孫之門」の札の説話では巨丹一族の五〇〇〇人を呪い殺したと言われているぞ」

 「蘇民将来子孫之門」の話は知っているぞ。昔、牛頭天王が老人に身をやつしてお忍びで旅に出た時、とある村に宿を求めた。このとき弟の巨丹将来は裕福なのに冷淡にあしらい、兄の蘇民将来は貧しいのにやさしく迎え入れてもてなした。そこで牛頭天王は正体を明かし、「近々この村に死の病が流行るがお前の一族は助ける」と言ったのだ。そして死の病が流行ったとき、巨丹の一族は全部死んでしまったのに、蘇民の一族は助かったという。それで、疫病が流行ると「蘇民将来子孫之門」の札を門に貼って、私たちは蘇民将来の子孫なので見逃してくださいというお願いをしたわけだ。それにしても、頭が牛で体が人、つい最近戦ったミノタウロスを同じ容姿と同じとは、あまりいい気がしない。

 天狗って言うのは鞍馬山の天狗ぐらいしか知らないが……。

「それから、太郎坊という天狗は、一一七七年に起こった平安京の三分の一を焼け野原にした安元の大火を太郎坊焼亡と呼ぶのは、この太郎坊が由来とされているな。元々天狗は大火災を引き起こすものと言われている。

 まあ、毒を持って毒を制するというわけだ。ちなみに牛頭天王はスサノオと、太郎坊は火の神カクツチと同格視され、神社の本尊となっているわけだが……。愛宕神社なんて、明治時代まで神職がおらず、六坊は駐在する僧侶と修験者たちの修行していた場所らしい」

「「「「……」」」」

 なるほど、カグツチは確かイザナミという神殺しをした張本人だ。

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