第85話 俺は図書館で法医学に関する本を

 俺は図書館で法医学に関する本を何冊か手に取った。美優はなんか本棚の通路を散歩するようにリラックスして本を探している。ああいう時って結構いい本に出合えるんだよな。俺はそんなことを考えながらそばにあった椅子に腰かけ、机で本を開いた。そして、パラパラと本を捲っていく。解剖にもちゃんと死亡解剖保存法という法律に基づき行っている。そして行政解剖の目的の一つは沢口さんが言っていた通り社会秩序の維持、伝染病などの原因特定のほか、同じような悲劇を防ぐためや病原菌の蔓延を防ぐためもあるし、死者の権利をちゃんと守って、法秩序の混乱を避けるためもある。犯罪に関することでは刑事訴訟法により司法解剖の法的意義が保障されている。まあ行政解剖と違って遺族の承諾なしに解剖ができるわけだ。これはいわゆる「死人に口なし」とならないために死者に代わって死者の思いを代弁する行為なのだ。

 これなら俺の持つ正義感というか倫理観に合っている。賛同できない法律にレポート用紙10枚はさすがに書けないから。レポート提出まで半月余りしかない。好きなテーマと嫌いなテーマでは進み具合も全然違う。もし、沢口さんから相談のあった列車飛び込み事故が解決すれば、司法解剖がその解決に及ぼした影響とかもレポート出来る。そうなれば机上の理論だけじゃなく、実務にも係わった具体例も挙げられるから大幅な点数アップは間違いない。

 俺はさっそくレポートに本の内容や気に入ったフレーズを箇条書きにしていく。


 そして書き写した内容はレポート用紙三枚分にもなった。それを同じ内容の物、相反するものなどにグループ分けをする。さらにそれらを目的、手段、結果、検証と紙の上に書いた大きな矢印にプロットしていくと、序論、本論、結論という具合にレポートの骨組みが出来上がる。

 後はパソコンでレポート文章らしく打ち込んで、列車事件の概要をところどころに入れ込んでいけばレポートの完成だ。途中で分からないことが出てきてもネットで調べれば十分だろう。

 ふと気が付き時計を見ると四時を過ぎている。今日はバイトに行かないといけない日だ。危ない危ない。集中するとそういったことをすべて忘れてのめり込むタイプだ。目の前にはいつの間にか美優が座って、本を広げて読んでいた。うつむき加減に本を読む顔は、長いまつ毛が強調され、眉間にしわを寄せている。難しい本を読んでいるんだ。

「美優、俺バイトに行く時間だから」

「えっ、もうそんな時間、ちょっと真剣に本を読んじゃったみたい」

 久しぶりに会って、もっとトークを楽しみたかったのに、沢口さんのおかげで大幅に予定が狂った。それは美優も同じみたいで、予定外の読書に没頭したのは失敗したと言葉の端に滲んでいる。

「それで、なんの本を読んでいたんだ」

「うん。地獄の本なんだ」

「地獄?」

「そう、八大地獄。錬、話をするなら外に出て話をしない?」

 そう言って、二人並んで図書館を出て来たのだ。

そして駐輪場まで話しながら歩いている。

「錬、さっきの話の続きだけど八大地獄は、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、灼熱地獄、大灼熱地獄そして阿鼻地獄(無限地獄)で八大地獄」

「それがどうかしたのか? 俺にはよくわからないんだけど」

「沢口さんの言っていた殺され方、地獄の責め苦とよく似てない」

「……? なるほど! 凄いな美優は。俺は色々な死に方があるなぐらいしか感じなかった」

「うん。沢口さんの話でね、犯人の目的はなんだと思う?って聞かれた時、化け物に命を奪う以外の目的なんてないって思ったんだけど。なにかずっと引っかかっていたの? それがね、あの本を見つけたとたん分かっちゃったんだ。この世に地獄の様を見せるのが目的だって! まずね……」


 そう言って美優が話し始めた内容は、次のようなことだった。

 まず地獄、ここに落ちるのに一千年の時を掛けて地の底に落ちていくらしい。それで落下してまず体がバラバラになる。これが墜落死だ。でも地獄の亡者は死ぬことはない。そこから地獄の責め苦が続くのだ。次は等活地獄。ここは殺生をしたものが落ちる地獄。魔物化した動物に噛み殺される地獄だ。そして黒縄地獄、焼けた縄で全身を締め付けられて殺される。さらに衆合地獄。

 美優はこの話をする前に、俺の顔を見ていたずらっぽく笑ったんだ。俺はなぜ美優が笑ったのか話を聞いて分かった。ここは浮気とか淫行をしたものが落ちる地獄で、杉沢村で死んだヤリサーたちは今頃この地獄で責め苦に苛まれていることだろう。

 どんな地獄かと云うと、木の上で半裸の絶世の美女が亡者たちに向かって手を振るのだ。亡者たちは我先にと木に登ろうとする。でも、登り始めると木の葉が刃物に代わって亡者たちはあらゆる刃物で傷だらけになるのだ。そしてやっと木のてっぺんに登ると絶世の美女はいなくて、今度は木の下で手を振っているのだ。何百何千回とこの往復を繰り返す。


 いや、俺は浮気はしないよ。こんな地獄には落ちないから。思わず美優にそう目で訴えた。

 そして四番目の叫喚地獄。ここは地獄の釜で釜ゆでにされる地獄だ。そして五番目が灼熱地獄。地獄の業火で焼き殺される。

 なるほど、墜落死、絞殺死、噛殺死、水死、刺殺死、焼死だな。

「美優、大叫喚地獄と大灼熱地獄と阿鼻地獄は?」

「大叫喚地獄と大灼熱地獄は前の五つの複合地獄なの。責め苦の特徴はそれまでの責め苦の千倍ひどいものって書かれているだけ。それに阿鼻地獄は別名無限地獄。一旦落ちれば抜けることはできない地獄だから」

「じゃあ、美優は死んだら連中は地獄に行って帰って来たと言うのか?」

「何となく閃いただけ。図書館で本を選んでいる時にビビッと来たのよね。化け物はこの世に地獄を見せようとしているって」

「なるほど。美優が閃くなんてな」

「あーっ、錬って呆れるでしょ」

「いや、呆れてなんかいないよ。荒唐無稽だけど理に適っている。鈴木部長二世って呼びたいぐらいだよ」

「もう、錬たら」

「そう言って、俺の腕にしがみついてくる。そうやって俺の腕をひとしきり振ると、体を離し名残惜しそうに俺の瞳を覗き込む。その瞳にいつもと違う美優の一面を見てドキッとなる。ダメだ飲み込まれる! 野球じゃ格下が一番怖い場面は開き直られることだ。でもそれ以上に怖いのが相手に飲み込まれることだ。やることなすこと裏目にでる。終わってみれば最悪の結果を招いている。気が付けば相手の手の平で踊らされている。でも、これは野球じゃない。今の会話にどこにそんな駆け引きがあったんだ? 俺が混乱している中、美優の声が聞こえる。

「錬、バイト頑張ってね」

「……ああっ」

 俺はしどろもどろに答えて、バイクを駆りバイト先のデイリーマートに向かった。


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