第79話 プロローグ

 犬鳴村の事件が終わってから一か月が過ぎた。九月に入っているのに大学はまだ夏休みが続いている。大学生万歳だ。しかし、そうは云っても夏休みが終わればすぐに前期試験が始まるし、レポートの提出もある。もはや遊んでいる場合ではないのは頭では分かっているが、だらけた体は言うことを聞いてくれない。明日から準備を始めようと嫌がる体に言い聞かせてすでに一週間が経過している。

 そんな時に、美優から一緒に大学の喫茶部で勉強することを提案された。美優と会うのは久しぶりだ。なぜかと云うと、美優はゼミのメンバーと勿来(なこそ)の関のフィールドワークに出掛けていたからだ。

令和になって久しぶりの歴史的発見、地方大学の一研究室の快挙だ。斎藤ゼミの連中と地元大学が協力して調査隊を組み、遺跡の発掘調査に出掛けていたのだ。そして発掘調査もめどが立ち、やっとこちらに戻ってきたのだった。

 もちろんこの調査隊の中心人物は美優と留萌さん。二人は犬鳴村の事件後すぐに共同でレポートを書き上げ、斎藤教授にレポートを提出した。

 斎藤教授は直ぐに福島に飛んで、地元の大学に調査の協力を依頼。先行調査でレポートの内容が事実と判明したため学会で発表。美優と留萌さんは一躍時の人として有名になった。

 地元紙の見出しが「美人過ぎる考古学生。世紀の大発見」だ。全くどこのスポーツ紙だ。「美人過ぎる○○」はもうネットの世界では使い古された死語になっているんじゃないか。

 もっとも、美人過ぎるの部分は大いに同意なんだが、そんなことを考えながら、美優の美しい横顔をボーっと見ている。

「錬、またボーっとして! 早くノートを写さないと、前期試験までもうそんなに日にちがないのよ」

 また、美優に怒られた。ノート持ち込み可の試験対策に、彩さんから借りた鈴木部長のノートを写し始めたのだが、そのノートの端には、心霊スポットの場所や、なぜそうなっているのかの考察など走り書きされていて、そこに気を取られて遅々として書き写しが進まないのだ。

 この法文学部棟の喫茶部に入ってからもう二時間は経っている。一杯のコーヒで粘るのもここら辺が限界だ。人間コピー機に徹していた俺が考え付いたのは……。

「美優、もうこれ全部スマホで写真に取るよ。後はヤマを張って、そこだけ写すから」

「そんなことで大丈夫?」

「なるようになるだろ。大体この先生、過去問みても試験問題の傾向がほとんど変わってないから」

「まあ仕方ないわね。時間は有限だし……。今の調子だと一教科も終わりそうにないから」

「それにしても美優はいいよな。世紀の大発見でポイント稼いだし、普段から授業にはしっかり出ているし。このまま行ったら研究室に残るんじゃないのか?」

「うーん……、どうかな? 私はもともと日本文学に興味があって日本文学科に居るわけだし、アイヌの歴史や文化に関していうなら瑠衣さんの右に出る人はいないんじゃないかな」

「留萌さんかー。あの人のこれまでの苦労を考えたら、そのくらいのボーナスがあっても当然だよな」

「留萌さんのは苦労じゃなくて絶望だったよ。でもお父さんの敵(かたき)も討てたし、それにお父さんが追い求めた勿来の関の発見を叶えたんだから、それでもよかったと思うよ」

「そうだな。結局、美優たちは研究室の金で福島に遊びに行けたんだから羨ましいよ」

「あれ、そんなこと言うんだ。レポートの時、共同名義に錬の名前も入れようとしたら、面倒臭い。俺は関係ないよと言って断ったくせに」

 おっと藪蛇だった。俺たちは別に勿来の関を見つけようとしたわけじゃない。犬鳴村を探しに行っただけだよ。勿来の関で云うと留萌さんのお父さんが既に発見している。それを人にいう訳にはいかなかっただけで、俺たちは留萌さんの親子の功績を横取りしようなんて思ってもいない。

「だって、学部からいっても畑違いだろ。なんでお前がいるんだって話になる」

「そうかな? だったら今日はまんざら畑違いにならないかな?」

「今日だって?」

「うん、今日はこれから人と待ち合わせをしているんだ。昨日電話があって、君の意見が聞きたいって。私って実は勿来の関に関しては何もしてないからね。場所の特定は鈴木部長だし、実際に封印を開放したのは錬だったし、部長と錬の手助けをしたのは麗さんだったからね。本当は麗さんとか鈴木部長の方がいいんだけど……」

「それってなんなんだ?」

「うん。有名になった弊害? 推理に長けているって勝手に思われちゃったみたいで」

「推理? だったら部長とか麗さんの方が俺より良くないか?」

「でも、解決したのは錬だったし、話を聞かないうちに先輩たちを引っ張り出すのはちょっとね」

「だったら、俺も引っ張り出すなよ」

「錬、そんなこと言わないでよ。私が一番頼りにしているのは錬だし、知らない人と一人で会うのはちょっと怖いじゃない」

「それで相手はだれなんだ?」

「大学の医学部の先輩? それに錬のレポートのテーマになるかもよ」

「俺のレポートのテーマ? 確かにまだ全然レポートに手を付けてないけど、医学部って法学部となにか関係があるのか?」

「約束した人って、法医学の研究生だって」

「法医学? 確かに俺も講義を取ってるけど。あれって面白いよな。まるでドラマみたいに殺人事件の捜査の内幕の話が聞けるんだ。人気のある講座だよ」

「でしょ。そろそろ約束の時間なんだけど」


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