第80話 今日、美優が一緒に勉強しようと言ったわけは

 今日、美優が一緒に勉強しようと言ったわけは、この法医学の研修生と一人で会うのがいやで俺を引っ張りだしたわけだ。なんか美優って厄介ごとを持ち込む体質があるみたいで、俺からするとこれから会う研究生って胡散臭そうで警戒するのには十分なんだけどな。

 そう考えて、美優をジト目で睨むと、美優も自覚があるのか申し訳なさそうに瞳を伏せる。あっ、やっぱり?! 二人の間に気まずい空気が流れだした。どうしようかと考えていると、気まずい雰囲気を破るように美優に声を掛けてくる女性がいた。

「あなたが沢井美優さん? 新聞の写真のまんまね。直ぐにわかったわ」

「はい、そうです。沢口美緒さんですね」

「そうよ。ところでこちらの方は?」

 そう言って、怪訝そうに俺を睨む女性は、ワイシャツと紺のスラックスの上から白衣で身を包み、肩で切りそろえられた黒髪は緩やかなウエーブが掛かっている。切れ長な目にかかる前髪と目の下に出来たクマが表情に暗い印象を与えるが、化粧っ気のない白い肌と薄い唇は、小顔とのバランスがすごく良くて、美しい女性だなというのが俺の第一印象だ。

 美しい女性だと言ったのは、彼女は俺たちよりも大分年上に見えたからだ。

「あの……。同じサークルで、私の彼氏?」

「はい、法学部の沢村錬といいます」

 この沢口美緒をいう女性の問いに疑問形で答えた美優に代わって、思い切り俺は肯定して見せたんだ。

「同じサークルということは、あの勿来の関の発見にこの方も係わったんですか?」

「そうです。錬が居なければ勿来の関は、今みたいに誰でも行けるようにはなってなかったはずです。あっ、意味が分からないですよね。とにかく錬のおかげなんです。あの発見は」

「そうなのですか? この男がね……。私も元々あの発見は女の子二人じゃ難しいだろうなとは疑問に思っていたんです」

「そうだったんですか……」

 二人の会話によどみが見られる。ここは遠慮した方がいいか。

「あの……。俺が居て話し難(にく)いんでしたら、俺、席を外しますけど」

「いや返って都合がいい。まあ、職業柄、疑問を疑問のまましておくことができないたちなんでね。どちらにしろ訊きたいと思っていたことですから。そういうことなら君にも聞いてもらったほうがいいみたい。私も色々な人の意見が聞きたいし」

 そう言って沢口美緒は俺たちのテーブルの腰を下ろした。

「職業柄って?」俺が口を開くと、

「それも含めてそろそろ本題に入ろうかな。私は大学病院でインターンをしているの。といっても患者を診ることはほとんどないんだ」

「お医者さんなのに患者を診ることはない?」

「そうなんです。答えは私の本職は監察医なんです。死体を見るのが仕事なんですよ。専攻は法医学教室なんです」

「監察医?」

「あっ、監察医って言うのは私がそう名乗っているだけ。監察医務院が在るのは東京二三区をはじめ七都市だけ、後は地方の大学の法医学教室が行政の求めに応じてやっているだけ。この県も同じで、この大学の法医学教室がこの地域を受け持っているのよ」

「そうなんだ。なんかドラマとかで見る司法解剖をやっている感じですかね」

「まあ、そういうところね。一概に死亡と云っても、その状況で大きく二つに分けられるの。沢村君は法学部なら分かるよね」

「えっ、えええっ、えっと自殺と他殺?」

「なるほどね。じゃあ病死はどちらに入るの?」

「あの……、分かりません」

「ふふっ、私の立場の定義から言うと、死亡の状況は、自然死か不自然死かに分かれるのよ。自然死っているのは、死亡前に治療を受けていた人が死んだ場合を言うのよ。そして、それ以外を不自然死、変死とも言われてるけど、その変死があった場合に私たちの出番になるのよ」

「そうなんですね」

「日本全体の死亡者は年間約百万人、その一割ぐらいが変死に当たるのかしら。そしてその人たちを私たちが検死をするのよ。言っとくけど検視じゃないわよ。検査の検と死亡の死と書いて検死、検察が現場の死亡状況を確認するのが検視、私たちは死亡原因を特定して、死亡診断書にかわる死体懸案書を作成するの。それで死亡原因が分からなかったり、事件性が見られる場合には、行政解剖や司法解剖に回されるのよ」

 解剖と云う言葉に目が輝いている。この人は重度のワーカーホリックなのか。いや、Sということもあるかもしれない。大体、死んでしまえば今更死因が分かったところでどうにもならないだろう。

 俺の考えを読まれたみたいな返答が沢口さんから返って来た。

「沢村君、君は法学部なのに死んだら終わりと思っているふしがあるわね。人は死んだらすべての権利を法的に失うわけじゃないよ。特にその人の人権はね……。死によって相続、保険金の支払い、それに賠償金などの支払いが始まるのよ。そのため、その人の死因の確定すなわち自他殺の別、業務上の死か否か、などを確定することで関係者間の諸権利の適正な整理を行い、社会秩序の維持を守るという役割が監察医にはあるんです。

例えば犯罪が上手く隠ぺいされたら、次から次へと同じ手口の犯罪がおこるでしょ」

「……そうなんですね」

「そうなんです。私が扱った検死では、事故死と見せかけた身内の犯罪だったため保険金が出なかった時もあったし、子どもの虐待だって見破ったんです」

 なるほど、こんな地方でもテレビで見るような犯罪が身近にあるとゆうことか。しかし、そんな人が美優に相談っていったいなんだろう。科学的捜査の最先端技術を駆使する人が、心霊なんて非科学的なことにまさか用がある訳がないだろう。


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