第10話 講義が終わって
講義が終わって、沢井さんが話し掛けてくる。
「沢村君。こちらを見過ぎ! おかげで私、授業に集中できなかった」
ちょっとほほを膨らませて、抗議をしてくる沢井さんもかわいい。
「ごめん。だったらお詫びに昼飯を奢るよ。それで許して」
「もう、すぐに胃袋に訴えて解決しようとする」
「だって、おなかがいっぱいになれば、怒ることなんて馬鹿らしくなる。おなかがいっぱいじゃない人が多いから争いごとが起こるんだ」
「ふふっ、なんか沢村君って、奥が深いのか浅いのかわからないな」
「だから、お昼はどうする? 奢るなら安い学食だけど」
「じゃあ、奢って! 昨日の夜に続いて無料(ただ)飯なんて最高!」
「オッケー、決まりだ」
二人で学食に向かって歩いていく。沢井さんってとても話しやすい。美人なのに気さくで冗談も言える。会話の駆け引きもすごく慣れている感じだ。そこまで考えてハタと気づく。
俺が今までうまく会話できた女の人って、誰にでも優しくって気が付く人で、逆に俺だけにやさしい人っていなかったな。こちらの気持ちの盛り上がりなんて、全く気が付かない悪気も好意もない女。藤井さんみたいに意識して男を掌で転がすタイプじゃなくて、俺が定義したニュー悪女タイプだ。
俺は恨みがましく横に並んだ沢井さんを見てみる。
「うん? どうしたの? お金が惜しくなった?」
この受け答え、やっぱりニュータイプだ。返し方では奢ることをやめることも出来る切り返し。藤井さんタイプなら「うちみたいな美人と食事ができるなんて安いもんやん」とか上から目線で、翻弄しつつ必ずご褒美(対価)を与えるはずだ。(例えばそう言いながら腕を組んで胸を押し付けてくるとか……)
「まさか~。沢井さんみたいな美人と食事ができるなら何度でも奢るよ」
「私が美人? やだ~。沢村君って口がうまい!」
そうやって肩をたたいてくる。この計算されたコミュニケーション。その気になる前に良いお友達で線を引いた方が後々ダメージは少なそうだ。
そんなことはわかっているのに、沢井さんに引かれていく俺。いつまで続くかわからないないけど、当分はこの駆け引きを楽しんでいたいと心底思う。俺はニュー悪女タイプの虜にすっかりなってしまった。
ところで、教養棟を出ると、相変わらず通路には、サークルの勧誘で人がひしめいている。
でも、声を掛けられても「もうサークルに入っています」と返すとスゴスゴと引き返っていく。以前、サークル同士で引き抜き合いがあって、それこそ殴り合いのけんかが勃発して警察のお世話になったらしいのだ。
それ以来、他のサークルの人を勧誘するのは禁忌という不文律ができたのだった。
学食では、俺は唐揚げ定食、沢井さんはピラフを頼んだ。今日はテーブルが結構埋まっている。二人でトレーを持ちながらどこに座ろうかとうろうろしていると、手を振る人が目に入った。
「藤井さん?」
藤井さんは初めて見る女の人と一緒に食事をしているところだった。
「錬君、美優ちゃん。二人はもう一緒に食事する仲になっちゃったんだ。お姉さん残念」
「いえそんなことは……。それより昨日はごちそうさまでした」
沢井さんはさすがに礼儀正しい。俺も併せて頭をペコリと下げる。
「そんな心配せんでええよ。出したのは鈴木たち。うちらも自分の飲み代しか払うてないよ。これからは錬君もよろしく。男はつらいもんなんや」
「そのくらいは分かってますよ」
「それより、鈴木はどうやった? 訳のわからん理屈をこねて突っ走るおもろい奴やろ」
「ええっ、そうですね」
「それで行動力だけはあんねん。口だけの奴とちごうて面白いで」
「行動力はあるんですか……」
「うん? どないしたん。昨日あれから何かゆうとったんか?」
「ええっ、杉沢村の場所が特定できた。なにか突拍子もない話なんですけど、そこに行って確かめたい気持ちになるというか」
「そうやろ。あのなんやったかな。マンガで世紀末のノストラダムスの予言とかやってたリーダーに似てるやろ」
あれ藤井さんも部長のこと世紀末ジャンキーに似てると思ってたんだ。
それにしても、藤井さんと部長なんかいい雰囲気だな。どうやら沢井さんも俺と同じように考えたらしい。
「あの……。藤井さんと鈴木部長って付き合っているんですか?」
「それはないない」
「えーっ、ないんですか!」
「そらそうやろ、鈴木は関東の人間やで。うち関東の人間は好かんねん。歌にもあるやろ。関西で生まれた女は、関東にはよう付いていかんって」
最初に訊いた沢井さんは、藤井さんの本音のノリに対応できず、言葉を切り返せない。
駆け引き至上主義のニュータイプは、関西のノリ、本音でさえギャグで返す旧タイプに太刀打ちできないんだ。ニュータイプ破れたり。
それにしても、藤井さんって関西至上主義なんだ。めちゃめちゃ二人は相性がいい感じなのに。
「それにしても藤井さん。」
「彩でええゆうてるやろ」
少し顔が怒っている。
「でも、先輩相手に、名前呼びは」
「彩って呼んでえな~」
「彩さん」
「もう一回」
「彩さん」
「ええな、惚れそうや」
「彩さん、本題に入っていいですか?」
なんか訳のわからないことを言われたけど、隣に座っている沢井さんの機嫌がどんどん悪くなっている。それに何度も名前呼びさせられると恥ずかしい。ここらへんで本題に入らせてほしい。
「うん。なんや?」
「今日は、サークルのメンバーと一緒に食べないんですね?」
「いや、当たり前やろ、学部の違うもんとはなかなか一緒には食べへんで、授業もちゃうし。あんたらの方がめずらしいで。だから、最初に聞いたやん。そんな仲なんやって」
俺がどう言って答えようか迷っているうちに、沢井さんが代わって答えてしまった。
「いえ、たまたまです。たまたま、同じ授業を取っていて、私が席を取っておいてあげたら、そのお礼って、沢村君が……」
なんかたまたまをすごく強調したみたいなんだけど、それに奢る理由が少し違うような……。
「へえ、並んで授業を受ける仲なんや。そんな連中、中々おられんで、なあ」
彩さんが、隣に座っている女の子に同意を求めている。それに対して女の子も首を縦に振っている。
「ほらな。あんたらラブラブやん。お姉さん羨ましいで」
沢井さん、どう返えそうかと目がキョロキョロと泳いでいる。関西人との会話はボケとツッコミがすべて。沢井さんの自分のペースに巻き込もうとする駆け引きは全く通用しないな。これは沢井さんとの会話で参考になる。心のノートにメモっとこう。
「彩さん。羨ましいんだったら今度一緒に授業受けましょう。彩さんの時間割を教えてください。俺の選択科目と重なるのがきっとあるはずです。今度は僕が彩さんのために席を取っておいてあげます」
法学部と経済学部の一般教養の科目は、その気になればほとんど取れる。もちろん専門を専攻するようになって困らないように、法学に関係ある授業、経済に関係ある授業を取るんだけど、コマ数の関係で数時間は経済系の授業も取らなければ時間割が埋まらない。
逆に経済学部の人も、経済に関係ある例えば商法とかの法学系の授業を数コマは取っているはずだ。
一瞬、彩さんの微笑みが固まって、すぐにさっきより柔らかくなった。
「そうやん。その手があったやん! ちょっと錬の時間割見してえな」
「まだ予定ですけど……、」と言いながら俺の時間割を彩さんに見せてあげた。
「うーん、残念。同じ授業はあらへんな。ほな、うちら先に行くから」
「そうなんですか。でも、まだ変えることができますから」
「かまへんねん。単位の取りやすいええ教授を選んでるよって。それ以上変える必要はないやろな」
そう言うと彩さんは行ってしまった。
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