第一章11 ~脱出~
「広いね。もしかして私、監禁されてたの?」
「十中八九そうだろうな。誰が監禁したかまでは俺も判らないが。にしても、改めて見るとほんと陰気な場所だな」
並べられた牢屋。戦闘で倒れた腐敗グリンブルスティの死体と、何年も放置されて白骨化した人間の死体。
都のいた部屋も相当酷いものであったが、ここも生々しさこそ薄れるが死体の山が築かれている。
そこでふと俺はあることに気がついた。
「そういえば、このグリンブルスティってどこから現れたんだ……?」
一階にある腐敗グリンブルスティの死体を見て、首を傾げる。
討伐隊は明らかに突然現れた腐敗グリンブルスティに襲われていた。だがこの部屋を見回す限り、グリンブルスティが潜んでいた場所なんて牢屋の中くらいのものだ。
グリンブルスティは体長にして二メートルほどの巨体である。そんな巨躯を牢屋などに隠しきれるものだろうか。いや、隠していてたとしてもこの部屋に討伐隊が入った時点でその存在に誰も気がつかないなんて普通あり得ない気がする。
数にして四体ものグリンブルスティが隠れられる場所が何処かにあるのだろうか。
俺は都にここであったことを軽く説明し、グリンブルスティが隠れられそうな場所、あるいはグリンブルスティが出入口として使っていた場所を一緒に探ってくれるように頼む。
「なるほど。奴らが突然現れたということはどこかに身を潜めていたか、あるいは誰かによって隠し通路から誘導されてきたかってことね」
「嗚呼。恐らくだけど、俺は後者の方が確率は高いと思う」
俺の考えではここには誰か居たのではないかと思っている。
都の捕らえられていた部屋にはまだ真新しいグリンブルスティの内蔵がバケツに詰め込まれていたはずだ。つまりそれは討伐隊が来るまであの部屋で誰かがグリンブルスティを解剖していたということだろう。
恐らく、何らかの方法で討伐隊がドーム上の部屋に侵入したのを察知して、その人物は追い払おうとグリンブルスティを俺たちに差し向けたのではないだろうか。
予め用意していた隠し通路を使って。
そう考えれば、突然現れたグリンブルスティの存在も一応納得はできる。
とはいえ、これは想像の域を出ない推測である。
あくまでも俺の妄想。単純にどこかに潜んでいて、俺たちがそれに気がつかなかっただけというのも可能性としては十分にある。
もしそうなら此処からの脱出はかなり困難になるが、希望が少しでもあるのならこの部屋を再度入念に捜索しても無駄ではないだろう。
そうして捜索すること十数分ほど。
都が何かを発見したらしく、俺のところに小走りで駆け寄ってくる。
「レクス、あったわよ。隠し通路」
「ま、マジか……」
「なんで驚いてるのよ? 自分があるかもって言って探させたのに」
「いや、そうだけど。本当にあるかは半信半疑だったんだよ。探してるうちにやっぱり突拍子もない妄想だったと思えてきてたしな」
「ふふ、そういう意外と小心者なところ私、好きよ」
「お、おう。そうか」
面と向かって不意に好きと言われると、嬉しい反面、なんか気恥ずかしかった。都の顔を直視できなくなる。
俺は羞恥心を隠すように都が見つけたという隠し通路がある場所へと向かう。
そこは一階の塞がれた出入口とはちょうど真逆にある牢屋だった。だが見た感じでは他の牢屋と同じようにしか見えない。
「牢屋の奥の壁、そこに立つと判るわよ」
「壁?」
言われるがまま、牢屋の中に入り、奥の壁の前に立つ。一見何の変哲もない壁だが、どこからか風が僅かに吹きつけてきた。
「どこからか風が漏れてるのか?」
「恐らくそうだと思う。他の牢屋も確かめたけど、風が流れ込んできてるのはここだけよ」
俺は壁に手をつきながら、どこから風が漏れているのかを調べ始める。どうやら風は床と壁の接合部から漏れているようだった。
試しに壁の下あたりを押すと、僅かにではあるが動く感触がある。
「んー、秘密通路なのは間違いないだろうが扉が重いな。その上、反対側の通路の天井からこの扉の下を引っ張る仕組みなんだろう。人力だと開けるのは難しそうだな」
「自動で開くスイッチみたいなものとかないの?」
「この辺にはなさそうだな。地下の部屋ならあるかもしれんが……」
男である俺が力一杯押しても僅かに扉は動くだけだ。
都と協力してもたぶん開くことはないだろう。もしかしたら外に通じているかもしれないのに、ここに来て再び希望を失う。
ミリアが作ってくれた爆弾がせめてもう一つあれば、この扉を破壊できたかもしれないが……。
そんな無い物ねだりをしながら、仕方なしと頭を切り替えて都の捕らえられていた部屋を探索すべく、再び戻ろうとする。
そこで都から静止の声がかかった。
「ちょっと待って、レクス。この扉、開けばいいんだよね」
「ん? まぁ、そうだな。けど、かなり重いしそんな簡単には開かんぞ」
「開く必要なんてないわよ。破壊すればいいだけだもの」
「は?」
俺が気の抜けた疑問符を声に出すと、都はいつの間にか壁に頭を自らぶつけ、その頭部が潰れたグリンブルスティのところまで足を運んでいた。
いったい何をするのか見ていると、都は懐からメスを取り出し、自分の腕に突き刺した。
「お、おい。なにしてんだよ」
「ふふ、大丈夫よ、私ゾンビだから痛覚とかないっぽいし。それにレクスを治した時の傷ももう塞がってるでしょ。それにこれは実験。自分の能力を正確に知るためのね」
言われ、そこで初めて気がつく。俺を治した時の腕の傷はもう何処にもなかった。
ゾンビって並外れた生命力があるのはイメージあるけど、傷まで治るもんなのか? てか、都の奴。あの部屋からメスをちょろまかしてたのかよ。
内心で思いながら牢屋から出て、都の言う実験とやらを傍観する。
都は流れ出た赤黒い血を指先まで滴らせ、グリンブルスティの傷口に流し込む。
俺の傷口を塞いだときもそうであったが、傷口から白煙が吹き上がり、グリンブルスティの傷口がみるみる塞がっていった。
「……っ。少し頭がくらくらするわね」
「おい、大丈夫か。ゾンビとはいえ、貧血みたいになってるじゃないか」
都は頭を軽く押さえ、よろける。
大したことはなさそうだが、長引かせると何が起きるか判らない。俺は都の側に行き、実験をやめさせようと都の腕を掴んだ。
「もうやめとけ。死体にも効果のある凄い治癒能力なのが判ったんだ。身体を張る必要はもうないだろ」
「ううん、まだ駄目よ。まだ判ってないの。まだね」
「な、なに言って……」
都はただグリンブルスティを見て、笑っていた。
顔には影が射し、まるで新しい玩具を貰った子供のように目を輝かせ、死体に尚も血をぶちまける。
グリンブルスティの身体はみるみる綺麗な状態に戻っていき、まるでビデオテープの逆再生を見ている気分だ。
「ねぇ、レクス。私の能力って本当に治癒だと思う?」
「なんだよ、いきなり。そんなことはいいから血を撒くのはもうやめろ。心なしか顔色が青白くなり始めてるし、ヤバいだろそれは」
これも今気が付いたことだが、都の肌色が血が抜けていく度に青白くなっていく。
死んでいるのだが、それでもこのままでは死んでしまうと思わせるような色合いだ。
「私ね。レクスの傷を治したとき実は気持ちよくなっちゃって、少しイッちゃんたんだぁ」
「はっ、はぁ? いきなり何暴露してんだよ」
「私の血がね、レクスの身体に染み込んでいく感覚があったの。でね、そのまま私のものにもできるんじゃないかなって一瞬思っちゃってね」
「み、都?」
「だからね、こんなこともできるかなって思ったんだ」
もう俺の声は聞こえていないのか。会話が会話として成立していなかった。
狂気すら感じる姿に少し動揺していると、俺の目の前で信じられないことが起きた。
『ガァァ……』
「なっ!? 嘘だろっ。まだ生きて!?」
咄嗟に都の手を引き、その場を離れようとする。
だが都はその場から動こうともせず、ただグリンブルスティを見下ろして、
「うん……そうだね。手伝ってくれる?」
と、うわ言を口にしていた。
そうこうしている内にグリンブルスティはいよいよその筋肉質な脚で立ち上がり、まだ半分潰れた頭をこちらにゆっくりと傾けた。
「おい、都! いい加減にしろっ。マジで洒落になってねぇぞ。早く逃げないと」
「大丈夫だよ、レクス。この子は私たちに危害を加えたりしないから」
都は俺が掴んでいた腕を振るい払い、グリンブルスティの頭部にむかって再び血をぶちまけた。
グリンブルスティは咆哮とも、絶叫とも違う、喉の何処から出しているのかも判らない声を上げ、その場で首を振る。
グリンブルスティの体内にあった血が撒き散らされ、俺は思わず飛び退いた。一方、都はその血を浴び、その血のついた箇所が肉の焼ける音を発しながら皮膚に穴を開ける。だがそんなの気にする素振りすら見せず、あまつさえ頬についた血をぺろりと舌で舐めとる都。
助けたい気持ちはあるが、グリンブルスティのあの血は鉄でできた武器すら使い物にならなくくらい腐敗させる効果がある。
都のように痛覚がないならまだしも、俺があそこに行けば痛みでその場に転げ回ることになるだろう。
俺はただ傍観していることしかできなかった。
「ふふ、綺麗になったね」
そして数分としない内にグリンブルスティの頭部は完全にその形を取り戻していた。ただ、腐敗していることには変わりはない。皮膚は相変わらず、溶けかけていて、都の血の治癒と相まってぐちゅぐちゅと音が鳴っている。
都の治癒と、グリンブルスティの腐敗がせめぎあってるのか?
さすがに完治まではしてないようだが……。それになんだか、大きくなってないか。
見れば、その巨躯は以前よりも一回りほど大きくなっている気がする。
まじまじとこんな近距離で見ること事態が珍しいため、そう感じるだけかもとも思ったが、違う。
大きく見える原因は腹部が破れんばかりに膨れあがっているからだ。
「おい、都。いったい何をしたんだ?」
「ふふ、ちょっと支配下に置いたのよ。これで出られるわよ」
支配下? 出られる?
都が何を考えているのかまるで理解できずにいると、都はそんな俺の内心も知らずに、グリンブルスティの鼻先に手を置く。
「私たち、ここから出たいの。協力……してくれるよね?」
『オ、ガアァァァァアッ』
今度はちゃんとした咆哮だった。
都が脇に避けるのを合図に、その場で何度も前脚で地面を蹴り、そしてそれが数度繰り返された後に、物凄い勢いでグリンブルスティは隠し通路のある牢屋に向かって走っていった。
「レクス、ぎゅっ」
「おい、何して――」
都が突然俺を抱き締め、地面に押し倒してくる。そのまま覆い被さるように俺の視界を塞ぐ。
次いで少し遅れてではあるが、盛大な爆音と爆風、そして肉が弾けたような生々しい音が辺りに木霊した。
――――。
「な、何が起きたんだ?」
「見てみる?」
爆発音に驚き、呆然とする俺に先に起き上がった都が手を差しのべてくる。
そして周りを見て思わず息を飲んだ。
「な、なんだよ、これ。肉が散らばって……うぷっ」
「さすがに臭いのかなぁ? 私、嗅覚もあまりないようだから感じないけど。でも臭そうだね」
臭いなんてレベルじゃない。
牢屋には血と肉が飛散し、壁にべっとりと張り付いている。そこからは鼻を刺激し、涙が溢れそうになるほどの異臭が立ち込め、胃の中のものが喉まで逆流してくる。
しかも飛散した肉や内蔵や血は牢屋内だけに止まらず、こちらにも少し飛んできており、都は背中についた何処の部位かも判らない肉を摘まんで向こうに投げ捨てている。
「昔ね、生きてた頃の話なんだけど、動物って死んじゃうとメタンガスが体内で生成されるっていう動画を見たことがあるのよ。そのときは鯨だったんだけど、腹を割いたら盛大に爆発しててね。その原理を使えば、爆弾紛いのものも作れるんじゃないかなって思ったのよ」
「は、はぁ……」
「実験は成功。扉も壊れたみいね。ねぇ、私の能力は正確には治癒じゃないみたいよ。どちらかというと……そうだなぁ。生命力を分け与えるって感じかな。しかもその分け与えたモノはもれなく私の支配下に置かれる」
あまりの光景に都の話など耳に入っていなかった。
その後、俺は都に手を引かれ、肉壁となった牢屋の奥にある隠し通路を使って、外に出ることができた。
外は日も落ち、真っ暗だ。
「ねぇ、レクス。ここ何処か判る?」
「ん、あ、嗚呼。たぶん俺たちが入ってきた洞窟とは逆側の山だろうな。植生している木々の種類が少し違う」
背後を見れば、聳え立つ絶壁がある。
恐らく、隠し通路は討伐隊が入ってきた正規ルートとは逆に造られたのだろう。逃げ道用なら正規ルートと同じ場所に出るような造りになんてしないだろうから。
久しぶりに外の空気を吸った気がして、俺はゆっくり深呼吸をする。空気がうまい……いや、まずかった。
「なんだ、この臭い?」
再び腐敗臭が鼻孔を突き抜け、顔を歪める。
隣の都がクンクンと鼻を鳴らしながら腕の臭いを嗅ぎ、「私?」と少し申し訳なさそうに俺から距離をとる。
だが俺は首を横に振った。
確かに都も少し臭うが、臭いの元は山の奥から漂ってきている。
俺は夜目がきく方ではないが、目を凝らして奥を注視する。
そして生唾を嚥下した。
「おいおい、嘘だろ」
「へぇ……なるほど。レクスたちが襲われてた理由が判っちゃったねぇ」
山の密林の奥。
そこには複数体のグリンブルスティが居た。だがただ居るわけではない。
地面から無数に生えている蔓(つる)がグリンブルスティの身体を拘束し、そのグリンブルスティは静かに眠っている。
「腐敗してないな。普通のグリンブルスティだ。だがおかしいな」
「そうだね。誰が拘束なんてしてるんだろうね」
「嗚呼。それもだが、魔物は基本睡眠なんてとらないんだよ」
魔物は生物として逸脱した存在である。
龍脈から魔力を常に吸い上げ、それを原動力にして活動しているのが魔物だ。ゆえに疲れないし、不眠不休でも問題はない生き物だ。休息なんて必要ないはずだ。
「眠らされてるのか? だとしたらどうやって。そんな強力な睡眠薬や麻酔なんて王都でも手に入らないぞ」
作ることができる可能性がある人物で言えばオババくらいしか思い付かない。あの人は若い頃に世界各国を巡って医術を学んだ何気に凄い人物である。薬や医療などに詳しいのはそのためだ。
オババと同等か、それ以上の医術に精通した奴がいるのか。
都が囚われていた部屋でそいつが腐敗グリンブルスティを造っていたのか……。ここにいるグリンブルスティを使って。
考えても答えなど出てこないだろうが、それでも害悪しかない魔物なんかを実験道具にするような奴だ。
少なくともまともな人間ではないだろう。
取り敢えず、下手に刺激でもしてグリンブルスティが目を覚ますと厄介である。俺たちは静かにその場を去った。
そうして村の方角から黒煙と炎らしき赤い光が夜を照らしていたのを見つけたのは数分後のことだ。
何かエルト村であったのだろう。俺たちは急いで村に戻ることになるのだった。
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