第一章8 ~メイのおつかい~

 それは夜も更けた時間のことであった。

 この日、私は悲しい訃報を耳にして、部屋に篭って枕に顔を埋(うず)めながら半日泣いていた。

 どうしてこうなったのか、どうしてあの人が死んでしまったのか、自分にはあの人を救う力がどうしてないのか。後悔と失意と悔しさと悲しみの怨嗟が脳内を駆けずり回っていたのを覚えている。受け止められない現実を目の当たりに、ただ嗚咽混じりに声を抑えながら何度も自問自答のようにどうして、を脳内で反芻させる。


 だが半日も泣きじゃくっていれば、さすがに涙も枯れ果て、疲労とともに涙は止まっていた。

 外は暗い。星も見えるから夜なのは間違いない。だが窓の隙間から赤い光が差し込んでくる。

 私はそれが不思議で外に足を向けた。それが事の顛末の始まりだ。

 玄関口に出て、私は目に飛び込んできた光景に茫然として地面にへたり込んでしまった。

 それぐらい目の前の光景が非日常的で、信じたくもない現実だったからだ。


「何……これ……」


 吸い込んだ空気は喉を通ると焼けるように熱く、目の前で燃え盛る炎が夢ではないことを痛烈に思い知らせてくる。

 火事だった。自分の周囲の家という家が紅蓮の業火に呑まれていた。見れば私の家にも火の手が回っており、屋根の一部が燃えていた。それが先ほど窓を見た時の明かりの正体だと気が付いて、ようやく事態の深刻さが自分の中でふつふつと実感し始める。

 そんな最中、炎の中で人影が揺らめくのを視界の端に捉える


「ぅぅあ……ぁぁぁ」


 それは確かに人の形をしていた。だが明らかに人とは違うと直感できた。

 燃え盛る炎の中、人であれば発狂しながら暴れ狂って、のた打ち回っても可笑しくない状況下で、その人影は平然と火中を歩いていた。千鳥足のような歩行で、醜く途切れ途切れの呻き声を発しながら、そいつはこちらに一歩、また一歩と近づいてくる。

 奇妙なその動きを茫然と見ていたら、いつの間にかそいつは身体を火達磨状態にさせたまま私の前まで来ていた。


「へ……?」


 剣を右手に持ったそいつの姿は肌は焼け爛(ただ)れ、口からは緑の液体を溢れさせ、目の焦点はあっちこっちに泳いでいる。身体に巻かれた包帯が残り火を散らしながら焼け落ち、腹の縫い傷が露(あらわ)になる。

 見覚えがあった。

 そう思ったと同時、剣がゆっくり振り上げられる。

 私はそれを目で追っていき、そこでようやく自分が今どのような状況に陥っているのかを鮮明に理解した。

 背筋に圧迫するような冷たい感覚が走る。


「はっ……」


「ガァアッ!」


 短い私の悲鳴は目の前の異様な人間の声によってかき消されるのだった。



 ☆☆☆☆☆☆☆



 時はお昼過ぎに遡る。

 私――メイは一人エルト村の畑に来ていた。扇状地を開拓してできた畑は様々な野菜が陽光を反射させて鮮やかな色彩を放っている。敷地面積だけは広い村であるため、畑もそれなりに広い。村の人たちが当番制で手入れをしているため、今日も畑にはちらほらと人がいた。

 私はそんな人たちとなるべく顔を合わせないようにしながら、畑内を散策する。というのも、畑仕事を手伝う目的でここへ来たわけではないからだ。目的はいつものメンバーであるアリアちゃんやレイちゃん、フィルくんに合うことだ。だから挨拶をするだけならともかく、作業をしている人の周りをうろちょろしていたら邪魔になってしまうだろうと思い、人目は避ける。


 トマト畑に足を踏み入れる。等間隔に並んだ緑生い茂るトマトの藪、その間の通路を一つ一つ覗き込んでいく。

 五つ目の通路で、ようやく目的の人物の一人を見つけた。赤髪の女の子がたわわに実ったトマトに恐る恐る目を逸むけながら手を伸ばしている。


 私は一度深呼吸をしてからその通路に入って行った。

 友達であるはずなのに、声をかけたらウザがられないか、迷惑なんじゃないだろうか、という思考が頭に過る。元々人と関わるのが苦手で、引っ込み思案な性格だ。人の顔色ばかり伺う癖が私にはあった。

 アリアちゃんにそんなことを思っているだなんて言ったらきっと、「え? 迷惑? そんなの思わないわよ。考え過ぎ。遠慮なく声をかければいいのよ。声かけられたくらいでそんなこと思う人なんていないんだから」と言われてしまうだろう。

 脳内アリアちゃんから勇気を貰い、私はアリアちゃんの側に立つ。そしてしゃがんでトマトに手を伸ばすアリアちゃんに意を決して喋りかけた。


「あ、アリア、ちゃん」


「ひぇやわぁっ!? め、メイ!? もう、びっくりさせないでよ。今、悪魔の実と、それにくっついてる邪悪な生物と格闘中なんだから」


「ご、ごめんね……。びっくりさせるつもりはなかったんだけど」


 しゃがみ込んでいたアリアちゃんが素っ頓狂な声を発して身体を跳ねさせ、その場で盛大に尻餅をつく。どうやら驚かせてしまったらしい。お詫びにトマトのヘタの部分に付いていた芋虫を指で摘まみ上げ、別の葉に移動させる。アリアちゃんは虫がとても苦手なのだ。

 アリアちゃんは「ありがとう、メイ……」とお礼こそ言っていたが、それからむしり採ったトマトを見つめながら死んだ魚のような目をしていた。


 どうしたのだろう? 私が芋虫を取っちゃったのが何か気に障ったのかな。


 そんな私の心配を他所にアリアちゃんは持ってきていた籠にトマトを放り込み、ふとこんな話を振ってくる。


「ねぇ、そう言えば昨日の夜の話訊いた?」


「よ、夜の話? そ、それって村に魔物が現れたっていう……」


「そう。今朝ね、隣の家のお姉ちゃんが魔物にやられたんだ、ってうちのお母さんが騒いでてさ。詳しく訊いたら結構重症らしいんだよね。それでそのお姉ちゃんにお裾分けついでに夕飯に使う悪魔の実を畑から採ってこいって言われちゃってさ。……はぁ、私、トマト苦手なのに」


 二個目のトマトをむしり採ってまた死んだ魚のような目をして籠に放り込む。

 どうやらアリアちゃんはお遣いで畑に居たらしい。

 死んだ魚のような目をしていたのはトマトが苦手だっただけらしく、私の懸念は杞憂に終わり、内心でほっとする。


「そ、そうなんだ。それにしても魔物、強かったのかな……」


「たぶんね。隣のお姉ちゃん、村では結構強かった方だし。だからその事件の後に村長の家で会議があったらしいよ。そこでそんな危険な魔物は放置できない、ってことになったらしくて、うちのお父さんが今朝早くにレクスとミリア姉(ねえ)と一緒に討伐に向かったんだって。はぁ……今日こそレクスをぎゃふんと言わせてやりたかったのに。夕方には戻ってくるかな」


 頬を膨らませ、少し拗ねているようにも見えるが実際のところ、お父さんやお兄ちゃん――レクスのことが心配なのだろう。言葉にこそ出さないが、そわそわして落ち着かない様子だ。

 そんなアリアちゃんを見て私は思わず疑問に思ったことを口にしてしまう。


「アリアちゃんって……その、お兄ちゃんのこと好きだよね」


「は、はぁっ!? な、なんでいきなりそんな話になるのよ。有り得ないでしょ! あたしがレクスを好きとか絶対有り得ないんですけど!」


「だ、だって……お兄ちゃんが私たちに稽古をつけてくれるようになったのはアリアちゃんが「暇なら手伝いなさい」って誘ったのがきっかけだし。それにお兄ちゃんが一人でいると、影からこっそり後をつけたりするよね」


「そ、それは……あれよ。そう、あれ。ぼっちのレクスが可哀想で相手してあげてるだけよ。他意はないわ!」


 みるみる赤面して、吹けもしない口笛まで吹いて誤魔化し始めるアリアちゃん。

 でもこうしてお兄ちゃんが村を留守にするとき、アリアちゃんは必ずお兄ちゃんの話を一度は振ってくる。何日も居ないときなんて、居もしないお兄ちゃんにずっと悪態をついているときだってあった。好きなのは間違いないだろう。きっとアリアちゃんの性格上、言葉に出して言うのが恥ずかしいだけだ。

 アリアちゃんはしばらく惚けたふりをしていたが、ふと何かを思い付いたのか、口元を三日月形に歪める。何か思いついたらしい。

 

「そ、それはそうと、そういうメイはどうなのよ。レクスのこと、実は好きなんじゃないの?」


 ドヤ顔をしながら私の反応を待つアリアちゃん。

 てっきり、何か仕返しに恥ずかしいことを言わせるのかなとも思ったが、質問が普通だったことに私は首を傾げる。

 アリアちゃんもそんな私を見てきょとんとした表情を浮かべるので、私はアリアちゃんの目を真っ直ぐ見ながら言った。


「う、うん、大好きだよ。お兄ちゃん……優しいから」


 アリアちゃんが瞳孔を見開き、口を開けたまま固まる。


「…………。すぅー……そ、そう。んー、あたしが求めてた反応と違うなぁ。……メイって意外とこういとき、はっきり言うわよね。そう……まさかとは思ってたけどメイも……」


「そ、そうかなぁ。皆お兄ちゃんのこと好きだし、普通じゃないの?」


「へぇ!? は……はぅぅ」


 急に頭を抱えてその場にしゃがみ込むアリアちゃん。

 突然の行動に驚いた私はどこか痛いのかと心配して、助けを呼ばないとと慌てる。

 しかしアリアちゃんは、


「そういう意味かぁ。好きってそういうことかぁ」


 と、何かぶつぶつ言いながら今度は地面を転げ回り始めた。

 そんなに頭が痛いのだろうか。薬師様を呼んできた方がいいかもしれない。

 私がその場を離脱して薬師様を呼びに行こうとしたときだった。

 そんな状況もお構い無しに、突然トマト畑がガサガサと揺れ、中から青髪の女の子が顔を出す。私は目の前に出てきた女の子に驚き、短い悲鳴を上げる。


「きゃあっ」


「あれ? メイ、それにアリア。何してるの?」


「そ、それはこっちの台詞だよ。れ、レイちゃん……何してるの」


「探検。私、夢を決めたから。世界中を旅して、世界にある遺跡を巡るの。そして金銀財宝を手に入れて、遺跡王に私はなる! これはその訓練。険しい道のりだった」


「い、遺跡王?」


「そう。この本の主人公が目指してるものでもある。世界を冒険して、遺跡の謎を解き明かしながら世界に一つしかない秘宝を手に入れる……それが凄く楽しそうだった。だから私も遺跡王になる」


「あ、嗚呼……本に影響されてるのか」


 トマト畑から顔だけ出し、額の汗を服の袖で拭う少女――レイちゃんは目を輝かせながら高らかに宣言する。

 レイちゃんの手には一冊の本が握られており、表題には『シークレット・トレジャー ~遺跡王に俺はなる!~』という安直な題名が記されていた。どうやらこの本が彼女の琴線に触れたらしい。

 以前は革命家になると言っていた気もするが、乱読派のレイちゃんの気分は気紛れだ。また明日には別の本に嵌って、別の夢を抱いているかもしれない。それぐらい本が好きな子だ。


 エルト村は田舎であるため、本なんて出回ることは滅多にないのだが、レイちゃんのお家には山のように本が積み上がっている。

 これはお兄ちゃんのお姉ちゃんにあたる、エルお姉ちゃんが毎週本をお兄ちゃんに送りつけてくることが原因らしい。お兄ちゃんが読み終わると本の処分に困るため、それをレイちゃんに譲っているらしいのだ。

 お兄ちゃん曰く、エルお姉ちゃんがチョイスする本は変わり種が多く、レイちゃんはその影響を悪い方向に受けてしまっているとのことだ。

 ただ私はそんなことはないと思う。レイちゃんは博識で、私たちの中で一番頭がいいのだ。私の中ではどちらかと言えば、憧れの対象である。

 そんなレイちゃんは足元で転がるアリアちゃんに視線を移すと、持っていた本を私に渡しながら言った。

 

「それより、アリアは何してるの。虹色のキノコでも食べた?」


「そんなもん誰が食べるか! てか、頭押さえてんのにお前には私がお腹を下してるように見えるのか!」


「毒キノコでも頭が痛くなるものだってある」


「へぇ、そうなんだぁ」


「人の揚げ足をとるんじゃないわよぉっ! メイも感心しない!」


 アリアちゃんが肩を上下させながら荒い呼吸でツッコみを入れる。いつの間にか元気になっていて、大事に至らなくてよかったと安堵する私。

 目的の友達を見つけた私はふと彼女らを探していた目的を思い出す。

 アリアちゃんがレイちゃんに噛みつきそうな勢いで睨みつける中、私は二人の間に割って入った。


「ね、ねぇ二人とも。ちょっと提案というか、お話があるんだけど」


「ん、どうしたのメイ?」


「え、えーとね。その、昨日の魔物事件のことなんだけど……」


「嗚呼、噂になってることだね。アリアたちもさっき話してなかった?」


「えぇ、話してたわよ。って、なんでそれ知ってんの!? あんたいつからそこに潜んでたのよ!?」


「アリアがトマトにくっついてた芋虫と格闘しているあたりから」


「助けなさいよ! てか、ずっと見られてたの私!?」


「あ、あの……二人とも……」


 私の性格上、こういう雰囲気というか、会話の流れに割って入る度胸はない。話をしたいが遮られ、オロオロしているとアリアちゃんがはたと私に気がついて、


「ごめん、メイ。話、遮っちゃったわね。この莫迦は放っておいていいから、話の続きをして」


「う、うん。実はね、今朝お母さんがミリアお姉ちゃんにこれを渡されたらしくて」


 そう言いながら私はポケットから掌サイズのコンパクトを取り出す。村ではあまり見かけない形状の物であるため、アリアちゃんもレイちゃんも不思議そうな表情でそれを覗き込んでいる。


「何、これ。貝殻?」


「ううん。お化粧品だって。オシロイって言うらしいよ」


「オシロイ? うーん、化粧品とか判んないからなぁ。お母さんがたまにしてるのを見るけど。レイはどうやって使うか知ってる?」


「肌に塗って使う化粧品だね。塗ると肌が白くなる。通称、顔面改造器具。レクスが前にそんなことを言ってた」


「が、顔面改造器具!? そんな危なそうなの顔に塗って大丈夫なの?」


「肌荒れを起こす人もいるみたいだけど、ほとんどは平気。それにそれを作ったのはミリア姉だから。薬師の孫が危ないものを作るとは思えない」


 レイちゃんの言葉に私とアリアちゃんは納得を示すように頷く。

 アリアちゃんは続けて「で、これがどうしたの?」と先を促してきたため、私は二、三間を置いてから話を続けた。


「実はこれ、アリアちゃんの家の隣に住んでるお姉ちゃんの私物らしくて。ミリアお姉ちゃんが拾ったらしいんだけど、忙しくて返しそびれちゃったんだって」


「なるほど。だからそれを返すのがメイの仕事ってわけね」


「う、うん。そうなんだけど……」


 私は太ももを擦り合わせながら二人から目を逸らし、顔が徐々に熱くなるのを感じる。

 アリアちゃんとレイちゃんは首を傾げていたが、それでも私の性格を考慮してなのか、静かに私が言葉を切り出すまで待ってくれる。

 私は一度、静かに深呼吸をして上がった心拍数を抑え込むと小さな声で言った。


「そ、その……返すのはいいんだけど……は、恥ずかしくて」


「「…………。可愛い」」


「な、なんで!?」


「メイってなんていうかさ。こう、庇護欲が掻き立てられるのよね。放っておけないっていうか。護ってあげたくなる感じ」


「同意。メイは小動物のような雰囲気がある」


 なんだか判らないが、二人はにやにやしながら私のことを抱き締めてくる。

 ふわふわだぁとか、いい匂いするぅだとか、半ばセクハラ紛いのことをされつつも悪い気はせず、されるがまま髪を撫でられたりする。


「ふ、二人ともぉ」


「はいはい。判ってるわよ。要はあたしたちに一緒に来て欲しいってことでしょ。まぁ隣のお姉ちゃん、まだ目を覚ましてないみたいだし、そんな状況で家族と会うのも気まずいだろうしね。それにあたしはトマトを届けに行かなきゃだからついでよ」


「私も同伴する。面白そう」


「あんたに至っては理由が不謹慎極まりないわね」


「ふ、二人ともありがとう」


 こうして私はアリアちゃんとレイちゃんの三人で、怪我をしたお姉ちゃんの所に行くことになった。

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