第一章7 ~囚われのミヤコ~
「ぅぅ……あ?」
目が覚める。酷く頭が重く、身体は倦怠感に包まれていた。
脳震盪でも起こしていたのかもしれない。
身体を起こそうとすると、鋭い痛みが横腹に走る。視線を走らせれば、まだあのグリンブルスティの牙が突き刺さっていた。
「生きてる……のか」
なんとか激痛に顔を歪めながら身体を起こす。
そこで左肩にも刺すような痛みを覚え、見てみると脱臼してぶらりと力なく左腕が垂れていた。
「他に怪我は……ないみたいだな。擦り傷とか、打ち身はあるっぽいが、運良すぎるだろ」
不幸中の幸いというやつだろうか。だが死んだ方がマシなくらい腹部の傷が痛むのも事実だ。焼けるような熱さを孕み、呼吸をする度に息が詰まりそうになるほどの刺すような痛みが全身に響く。連鎖的に脱臼した左腕や他の傷にもその痛覚は伝わり、生きていたことが幸いだったのか疑問が浮かぶほどだ。
額に滲む厭な汗を拭い、取り敢えず俺は周りを見て自分がどこにいるか把握することにした。
見た感じではドーム状の部屋の入り口付近まで吹き飛ばされていたことが判った。出口側の通路は足元ギリギリのところまで天井が落ちて、瓦礫の山になっている。
奥まで瓦礫になっていることを考えると掘り返して帰る選択肢はない。あったとしてもこの傷では途中で力尽きるだろう。
さすがにどれくらい気絶していたのかは判り兼ねるが、少なく見積つもっても数時間くらいだろうか。ミリアが腹部に刺さった角を抜かない方がいいという英断をしてくれなかったら、今頃腹部からの多量出血で気絶してる間に死んでいただろう。
「はぁ……あんなカッコつけたのに、村に戻ったらドヤされそうだな。生きてたのかよ、って。まぁ戻れるかまだ判んねぇし、このまま野垂れ死ぬ可能性もあるだろうけど」
力を振り絞り、壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がる。
この先にグリンブルスティがまだ居たら一巻の終わりだが、戻れない以上、ここにいても死ぬことに変わりない。
だったら先に進むしかないだろう。
「神様なんて信じてないけど、頼むからグリンブルスティはもう勘弁してくれよ」
ドーム状の部屋に出る。
心臓が早鐘を打ち、背中に汗が滲み、手が緊張で震える。
中央付近まで辿り着き、周りを見れば三体の腐敗グリンブルスティの死体を発見する。
二体は一個目の爆弾で吹き飛ばしたときに絶命したのだろう。身体が焼け、部位の欠損も激しく、かなりぐちゃぐちゃだ。もう一体はミリアを抱えて突進を避けた際に、壁に突っ込んで自爆したグリンブルスティだ。
「爆弾……わりと有効かもな。数を揃えられれば、こいつらが村に現れても対処が簡単になると思うが……とはいえ、まずは我が身の心配だな」
できれば、この腐敗グリンブルスティがこの部屋のどこから姿を現したのかも調べて起きたかったが、さすがにその余裕はない。
俺は取り敢えず二階に上がり、ミリアと二人で見つけた木製のドアまで足を運ぶ。
出口が塞がれたので、残る道はここしかないはずだ。
ぱっと見ではあるが、他に通路のようなものもなさそうだった。
「ただここ……鍵閉まってるんだよな。こじ開けようにも、この傷じゃちょっときついし」
万事休す。とはいえ、物は試しとドアノブに手を掛け、捻って手前に引く。
するとキィィィ……という音を立てて扉は呆気なく開いた。
「マジか……。いや、さっき開いてなかっただろ。どういうことだよ」
考えられるとすれば、この奥に誰かがいるということだろう。
外側から鍵を開けられる人物がいなかった以上、内側から誰かが開けたことになる。
だがそうなるとこの奥には行きたくなかった。
「こんな場所に住んでいるような奴だ。まともじゃないだろうな。クソっ、でも他に手段がねぇ」
俺は意を決して扉の奥に入っていく。
中は階段になっていた。下に降りる階段だ。地下にでも繋がっているのかもしれない。
洞窟のように鉱石が壁に埋め込まれているわけではないため、先が見えない。一寸先すら闇が続き、下り続けて間もなくして入り口から漏れ出た光もいつの間にか届かなくなった。
もう自分が先に進んでいるのか、下っているのか、昇っているのか、方向感覚すら失うほど真っ暗だ。階段を一歩一歩踏みしめて、転ばないようにだけ細心の注意を払う。
そして踏み出した何度目かになる一歩が終わりを告げるように、爪先が壁に当たった。
「壁……いや、扉か」
手で触った感じで、目の前にある壁が木製であることを確認する。
恐らく入り口と同様の扉だろう。材質が似ている。ドアノブを探して、手を這わせていくと突起に触れる。
俺は鍵が閉まっている可能性も脳裏に過ったが、構わずそのままドアノブを捻った。
「…………。開いた」
ゆっくりと押し出した扉が開き、奥の部屋から明かりが漏れ出す。
しばらく暗闇を歩いていたせいか、目が光量を絞れず、真っ白な世界を生み出した。少しして目が慣れ、飛び込んできた景色に絶句する。
「な、なんだよ……ここ」
そこは手術室とか、何かの実験場に近い装いをした部屋だった。
広さは横長の長方形の部屋で二十畳くらいはある大きな部家だ。窓はなく、天井から吊り下げられたランタンのようなものの中に魔力結晶が収まっており、それが部屋を照らす唯一の光源になっている。
ここまでは普通の部屋だが、視線を下に落とすと血の付いた医療器具がところせましに床や手術台に転がり、人の腕や足らしきものが部屋の壁に釘で張り付けてある。腐敗したグリンブルスティ死体が何体も床に転がっており、ひどい場合はバケツに内臓が押し込められていた。
異様にして異常なまでの凄惨な光景と、生臭い強烈な腐敗臭に思わず吐き気を催す。
何がどうなれば、こんな状況が生まれるのか。一体誰がこんなことをしたのか。
疑問が次々と湧いて出てくる。
「ぅぅ……ぁぁ……」
「っ!?」
か細い声が部屋の奥から聴こえ、心拍数が跳ね上がる。
部屋の隅から聴こえてきた声を辿るように、そちらに首を向ける。
そこで俺は再び目を疑った。
「…………。あれは……女の子?」
「ぅぅ……」
壁に打たれた杭。そこから延びる鎖に四肢を繋がれ、女の子座りをして、地面を指で何度もなぞる女の子の姿がそこにあった。
歳は俺と変わらなさそうだ。肩口辺りまで伸びた金糸の髪は血に濡れてこそいるが、それでも美しさを損なうことなく輝き、異彩を放つ。俯いているためよく顔は見えないが、すらりと長い手足から美人であることが連想される。
麻布のようなぼろぼろの布を一枚だけ身体に巻き付けたような格好で、身動ぎするだけで色々見えてしまいそうだ。
少し浮世離れし過ぎていて、呼吸音や彼女が実際に動いていなければ人形と見間違ったかもしれない。それぐらい肌は色白で、まるで血が通っていないかのようにも見える。
ただ痛々しいことに彼女のその肌には複数の傷が見られた。アキレス腱はズタズタに何度も切られたような跡があり、首には切り落としたのかと思うような縫い合わせたような跡もある。
他にも身体の至る所に裂傷が見られ、憔悴仕切った身体は骨張って細身に見える。見た感じでは満身創痍だ。
ここに来て、思わぬ人物の対面に面食らい、しばらく突っ立っていた。てっきりマッドサイエンティスト的な人物がいるとばかり思っていたからだ。
個人的にはそんな狂った生物よりも、美少女の方が嬉しいに決まっているのだが、素直に喜べないなのは彼女をいたぶるような屑野郎がいることが明らかになったからだろう。
今はいないようだが、この凄惨な部屋を見る限り、腐敗グリンブルスティを造っていたのは間違いなさそうだ。
俺は停止していた思考を引き戻し、その女の子との接触を試みることにした。
「おい……あんた。ここで捕まってるのか? 他に誰か居たりするのか? それとここは一体何なんだ?」
ヤバい。コミュ障が発揮されたような質問責めを思わずしてしまった。そりゃあ、十六年間伊達に村の外に出たこともないボンクラだもの、仕方ないだろう。
人との関わりなんて幼い頃から知ってる村の連中だけだし。
でもいきなり初対面の奴にこんな質問責めされたら、俺だったらは?、の一言である。
どうにか第一印象を良くしようと、俺は手振り身振りを無駄に付け加えながら、
「き、今日はお日柄もよく、大変素晴らしい日ですね。あー、そ、そうだ。何かご趣味とかはありますか?」
なんだその質問。
自分の口から出た言葉とはいえ、アホ過ぎる。
大体地下だし、天気なんて判るわけもないし、鎖に繋がれた女の子相手に素晴らしい日も糞もないだろう。
ダメだ。取り繕おうとすればするほど、空回りしそうな気がする。
こういうときは自然体。そう、ミリアと話すときみたいにするのが一番かもしれない。
気を取り直して、もう一度喋りかけようとする。
女の子がふいにこちらを見上げたのはそれとほぼ同時だった。
「ぅぅ……あぁ」
「っ!? ……み、都?」
少女の顔を見て、そこで初めて見て脳内に衝撃が走る。それもそのはずだ。なにせその顔にはとても見覚えがあったのだから。
同時に俺の中で困惑が巻き起こった。
似てる。いや、似てるとかのレベルじゃない。まんま本人だ。俯いていたし、憔悴仕切って痩せてるから遠目じゃ判らなかったが、間違いない。前世記憶に出てきた俺の彼女、そう、椎名都(しいなみやこ)そのものじゃないか。
どういうことだよ。あれは夢じゃなかったのか。いやいや、夢じゃなかったとしても、なんで都がここにいる。
生気の篭っていない瞳は、ただ俺をじーっと見つめ、幼児退行したかのように呻くことしかしない。
前世の俺と顔立ちが違うからヒロだと認識できていないのかもしれない。だがそれでもなぜだろうか。
今の彼女とは、人として会話が成立しない気がした。
「おい、お前……都なのか」
「ぁぁ……」
話しかけてみるが、やはり呻くだけだ。
喋ることができるなら、色々と情報を訊き出せたかもしれないのに。
頭の整理が色々と追い付かないが、夢だと思っていた前世記憶は本当に俺の前世だったということなのだろうか。
でなければ、今目の前にいる少女が都だと認識なんてできるはずもない。
堂々巡りのように思考が流転するため、俺は頭を切り替えて鎖だけでも外してあげようと思い、辺りを探して鍵らしきものを手に取る。
都の目線にしゃがみこみ、まずは足の枷を外す。続いて手の枷を外そうとして都の右手に触れた瞬間俺は動揺した。
「……冷たい。まるで死人みたいだな」
人としてのぬくもりはそこにはなかった。血が通っていないのではないかと思うほど都の身体は冷えきっている。良く見れば顔色も青白くて、具合が悪そうにも見える。
だが別段、洞窟内部の気温が低いわけではない。いや、低かったとしてもこの冷たさは異常だ。
これではまるで死人……いや、動いているのだからゾンビではないか。
「ぁぐ……ぅぅ」
思考がしばらく停止していると、都がいつの間にか俺の顔を覗き込んでいた。
「都……? ――うぐっ」
「があっ」
刹那、都は短い咆哮を上げ、俺に飛びついてくる。
何の構えもしていない上、左腕にも力が入らない状態だ。受け身なんてまともに取れず、俺はそのまま押し倒される形になった。
「おい、都。落ち着け、何のつもりだっ」
「ふぅ……ふぅ……あぁ、があぁ」
口端から唾液を糸を引かせながら垂れ流し、口を大きく開け、そのまま都は俺の首筋目掛けて噛みついてこようとする。
咄嗟に右腕を前に出し、腕を噛みつかせた。
「痛っ。マジかよ。なんでこんなことに……」
腕に噛みついた都の歯は予想以上に深く突き刺さり、皮膚を破り、筋肉を断ち切り、そのまま骨を砕かんとする勢いだった。
血が滴り、このままでは痛みで全身に力が入り、腹の傷が深くなってしまう。押し退けようと一瞬だけ命一杯力を振り絞ろうとしたその時だった。
「ごくっ……。ヒ、ロ……」
俺の血をごくりと喉を鳴らして嚥下した都が、確かに俺の前世記憶の中にある名前を呼ぶのだった。
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