エピローグ 薔薇の名前
セント・オールバンズ教会内の墓所で、リチャードは
審理が始まる前にハンフリーは心臓発作でこの世を去り、無実を証明できなくなった。しかし王族として人々に好かれていたハンフリーは丁重に弔われ、聖人が殉教した格式高いこの教会に埋葬されたのだ。
リチャードの居城ヨーク市からは離れているが、ここには何度も訪れていた。
「ハンフリー様、今日はご報告があります」
リチャードの手の中にあるのは、救出を拒否したハンフリーが配下を通して渡してきた、ルビーの指輪だ。
なぜ拒否させた、何が何でも説得しろと命じたのにそれを守らなかった配下を処断しかけたが、後から届いたハンフリーからの手紙に、己の稚拙さを思い知らされ恥じた。
ハンフリーが見ているのは「今」ではない。救出しようとするリチャードを拒否して非業な運命を受け入れるのも、すべては次の世代へ禍根を残さないためで、それは戦うことでしか王になれなかった父王と兄ヘンリーの願いでもあると記されていた。
確かにあそこで逃亡しサフォーク派へ敵対すれば、それは即ち国王ハリーと王座を争う内乱になる。それだけは何としても避けねばならなかった。
それに『お前ならきっとこの気持ちを分かってくれると信じている』と結ばれた手紙は、目に入れても痛くない息子を持つリチャードへ素直に突き刺さったのだ。
「己の”今”を守るために戦うのを、あなたは良しとしなかった。俺もそう在ろうと思い、決意しました」
己が生き延びて自由を得るのではなく、次の世代の為に死ぬことを選ぶ。そんなハンフリーの遺言とも言える二通の手紙のうちもう一通は、ハンフリーが未来を託した相手、国王ハリーへと渡った。
二通に共通するのは、戦いをやめないこと。戦を始めた者としてこの辺りで終わりにしようなどという考えは持たないこと。最後まで戦い、幕引きをすることだった。
その想いは受け継がれて現実となり、ハンフリーの死から三年後、兵を退かずイングランドはフォルミニーの戦いに大敗して、ついにノルマンディを失った。その更に三年後にはフランスでの領土を完全に失い、長きに渡る戦いは終結している。
フランスにおける領土を回復するというプランタジネット代々の悲願は、ランカスター家によって失われたのだ。
「これがあなたの願いだった。ハリーにはプランタジネットの悲願を継承させないこと、戦わない王にさせることが」
そうやってリチャードは自分を納得させようとしてきた。
「けれど、あんまりだ!」
父親を知らないハリーに対して、ハンフリーは我が子のように接していたと端から見て思う。それは、かつて父親を失ったリチャードに対してヘンリーがしてくれたのと、全く同じだった。
「あんなにも愛してくれた人を、ハリーは見殺しにしたのだ!」
国王の強権発動で救出することだってできたはずだ。なのに、サフォークとマーガレットの言いなりになって。あるいは精神を喪失していて、何も判断できなくなっているとの噂もある。
あの二人の専横により、リチャード自身もフランスの次はアイルランドへ飛ばされたりと冷遇されてきた。
しかし、そんなことはもはやどうでもいい。
「ハリーにランカスターの遺志は継げない」
だってハリー、お前は父親を覚えていないじゃないか。ヘンリー王が死んだとき、お前はわずか九か月の赤子だった。
「けれど俺はヘンリー王に救われた。周りの反対を押し切って俺を救い、愛してくれた。息子と呼ばれ、弟たちから可愛がられた」
生前ハンフリーから聞いた。リチャードを助命した時もヨーク公に叙任した時も、周囲は強固に反対したらしいが、最後は悩みながらもヘンリーが決めてくれたのだと。
「だからヘンリー王の息子は俺だ。ランカスターの遺志を継ぐのはこの俺だ」
ランカスター家の徽章は赤薔薇。ヨーク家の徽章は白薔薇。共に同じ王を祖に持つプランタジネットの後継者だ。
「王座には俺の方が相応しい」
ハリーには任せられない。今度は国力を養ったフランス側から攻めて来るかもしれない。そうなれば次の世代が蹂躙されてしまう。その時、頂点に立つのが己の”今”を守る事しか考えられぬサフォークやマーガレットでは勝ち目はない。
「子や孫の時代のために強いイングランドを作る。そのためには王を換えなければならないのです」
指輪に口づけし、彫像の足元にそっと置いた。
「お許しください、ハンフリー様」
踵を返すと、待機していた兵士らが一斉に敬礼する。
「出撃する! 国王軍を倒しヘンリー六世を捕縛せよ!」
ヨーク公リチャード・プランタジネット。
それは、イングランドに次なる嵐を巻き起こす男の名だった。
≪END≫
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