第11話 氷の王妃

 その日のうちに家宅捜索が入り、翌日にはもう裁判となった。

 罪状は、黒魔術による国王ハリーと王妃マーガレットへの呪詛じゅそ


「エレノア様が呪うなどありえない! あんなに明るくて社交的な方が黒魔術に手を染めるなど考えられるか!?」

 リチャードが押しかけ直談判する相手は、一番会いたくない男だった。


「しかし、いくら君が否定しようと部屋から証拠が出てしまったのだよ」

 ウェストミンスター宮殿から見下ろす景色のように、悠然とサフォークは返してくる。


「水銀や硫黄が部屋にあった。そして最近、部屋に人を近づけようとせず一人で何かをしていた。部屋に入られるのをひどく嫌がっていたと侍女たちも証言している。証拠は揃っているんだよ」

 どちらも呪い薬の材料としてこじつけられるもので、部屋に篭って黒魔術の儀式をしたと容疑をかけられているのだ。リチャードの拳が震える。


「それもこれも全部お前らが仕組んだことだろう! エレノア様に近づき、プレラーティを紹介したのはお前の配下だというではないか!」

「心外だな。彼女が欲しがる情報を提供したまでだ」

「そうやってエサで釣って、エレノア様がプレラーティに興味を持つよう誘導したのだろう!」


 黒魔術を提供した疑いで当然プレラーティも逮捕されたが、その供述は手の平返しだった。


 即ち、自分が扱っているのは黒魔術ではなく錬金術で、水銀も硫黄も不老不死の薬『エリクサー』を作るためのもの。エレノアには支払い額に応じて材料と作り方を与えたが、それを呪いに使用し黒魔術に手を染めたとは露ほども知らなかったと言い張ったのだ。


 陪審員の追及を巧みにかわし、なんと釈放されている。もちろん陪審員は皆サフォーク派の貴族で、エレノアの”お友だち”も含まれている。


「調べたぞ、あの男はブルターニュの事件でジル・ドゥ・レと共に逮捕されているじゃないか!」 


 数年前、フランス西部のブルターニュ公領で衝撃的な事件が起きた。

 ある地域で少年が領主の城に招かれたきり、帰ってこなくなったのだ。それも一人二人ではない。村中と言っていい人数で、どれも五歳から十二歳くらいの身分の低い少年だった。


 領主の名はジル・ドゥ・レといい、かつてフランス元帥にまで上りつめイングランドと戦った美丈夫で、領民からは慕われていた。ところが領土を巡って聖職者を居城に拉致監禁したのをきっかけに家宅捜索が行われると、男の狂気が露わになる。


 城の地下、閉ざされた鉄扉の奥にはいくつもの拷問器具が置かれ、どれも生々しく血に濡れていた。そして壁沿いには行方不明になった少年たちの首がびっしりと並べられていたのだ。

 即刻逮捕されたが、ジル・ドゥ・レの隣で少年の生き血を使い悪魔との契約を行っていた男こそ、他でもないプレラーティだった。


「そんな男をどこでどう拾ったか知らんが、最初からこの為に仕組んだのだろう!」

「自由に想像するのは一向に構わないがね、それと判決は別だ。彼女は王妃になりたいと言ってはばからなかった。それは私の配下も聞いている。君の妄想で現実は変えられんのだよ、迷惑だからもう帰りたまえ」


「くっ…!」

 事実、エレノアには野心があった。ハンフリーを焚きつける姿をリチャードも目にしたことがある。だが肝心の夫に全くその気がないため、何度腕を伸ばしても届かず。その空虚な心につけ入られてしまったのだ。


 まんまと黒魔術で国王を呪った罪を着せられたエレノアには、魔女として処刑が言い渡されている。キリスト教徒にとって最も重い刑だ。

 またあの時と同じ。こいつらは懸命に幸せになろうとする弱い人を狙って…!


 リチャードとてサフォークの顔など二度と見たくない。しかしケイトを奪われてしまった時の苦さ、後悔、己の力不足、どれも鮮明に体に刻まれていて、忘れられるはずがない。だからこそ再び繰り返すわけにはいかないのだ。


 サフォークの部屋にはなぜかハリーの新妻、王妃マーガレットがいた。唇を引き結び、二人のやり取りをじっと見つめている。


 一つ呼吸をおき、リチャードは感情を押し込めて声をつくる。

「では取引ならばどうだ」

「ほう、君がかね」


「そうだ。目下の課題はノルマンディだ。フランスは奪い返す気でいるが、こっちはジョン様の代わりが未だいない。いや…、あんたなのかもしれないが、あんたはロンドンを離れられないだろう?」


 くそ、こんな奴がジョン様の足元に及ぶわけない。だが腹の底が熱くなりながらもリチャードは世辞を吐いた。


「ならば俺が前線司令官として行こう。俺なら一度赴任した事もあるからノルマンディで顔がきくし、俺がいなくなればロンドンはあんたの天下だろう。悪い話しじゃないはずだ」

 サフォークの瞳が動く。いいぞ、揺れた証拠だ。


「ハンフリー派の最先鋒の君が自ら評議員を降りるというのか。して、君の条件は」

「エレノア様の無罪放免」

「ここまで証拠が出揃っていては無理だ」

「ならば処刑ではなく減刑を」

 サフォークは少し考えた。


「処刑ではなく終身刑なら可能だろうが、いかがか、王妃」

 置物のように動かず座っていたマーガレットに水を向ける。なぜそこで王妃の決定を待つのか。


「問題ありません。夫のグロスター公にも面会させてあげればよいでしょう。それとノルマンディもヨーク公にならば任せられます」

 鏡面を思わせる水面みなもの静けさでマーガレットは答えた。そしてヘンリーの時代から頭角を現してきたサフォークともあろう男が、親子ほど歳の離れた女の言葉に素直に頷く。


 なぜだ。

 目を合わせた二人の表情を見れば、その関係性はリチャードにもすぐ分かる。一秒たりとも離れたくない、互いさえいればそれで幸せ、そんな目をしている。政治は愛で成り立たないことくらいサフォークなら重々承知しているはずだが、そこまで鼻の下を伸ばしっぱなしなのか?


 王妃と目が合う。やや冷たい感じも受ける、厳しさをたたえた強い瞳。


 ———そうか。

 不倫という爆弾を抱えている状況で、己の権力を高めて邪魔者を排除しなければならないのはサフォークではなく、王妃の方だ。


 王妃の実家はアンジュー公家というフランス王家に連なる大領家で、プレラーティを逮捕したブルターニュ公家とは対立している。その事実に気付いてリチャードは愕然とした。


 処刑されるはずだったプレラーティを密かに救出し、手駒の一つとしてイングランドへ送り込んだ一連の黒幕はこの女なのか。アンジュー家とサフォークの寵愛という強大なバックアップを持つにしろ、まだ若干16歳にしか過ぎぬマーガレットが。


 背筋がうすら寒くなる。

 自身のため、そして夫ハリーを守るため、対抗勢力を排除するためにここまでするとは。一切手を汚すことなく、相手の心理を巧みに利用しおとしめるとは。


「マーガレット王妃、王座を脅かすつもりなどハンフリー様には決してありません」

「それは分かっています。しかしあなたも含め、対フランス政策において抗戦主張は変えないまま。国王は戦いを望んでいません」

「しかしこれはヘンリー陛下の———!」


「ヘンリー陛下はもうこの世にはいません。今はハリー陛下こそがランカスター王家の意思です。それを受け容れられないというなら、たとえグロスター公であろうと退いてもらわねばならないのです」


「それがイングランドとランカスター王家のためだと?」

「愚問です」


 今や静かな水面は一面氷に覆われ、雪のような白い肌と相まって、マーガレットは犯しがたい程の厳しさを全身に纏っていた。


「そしてヨーク公リチャード、あなたの王位継承権も認めません」

 期せずしてプランタジネット家の血筋から、ハリーの次の王位継承者にはリチャードも含まれている。


「ハンフリー様を差し置いて俺に王位継承権だと? それこそ愚問だ」

 これ以上の譲歩は引き出せない。そう判断して部屋を後にしてもまだ、ぐつぐつと腹から怒りが湧いてくる。


 いずれこの俺をも潰すと、あの女は言ったのだ。


「このままで終われるか。何がランカスター家の為だ! あいつらの専横を許してたまるものか」

 ノルマンディで力をつけて帰ってくる。氷の水面みなもを叩き割ってやる。

 それがリチャードにできる足掻きだった。

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