第10話 占い

 フランスへ援軍派兵の結果、ノルマンディの守備は上々とは言えないものの、攻め込んできた傭兵ザントライユを撃破したという。

「ね、ほら、守護神現るという占いの通りになりましたでしょう?」

 嬉々としたエレノア。最近宮廷は、占い師の話題で持ちきりなのだ。


「本当にすごいんですのよ。一言も喋っていないのに目の前に座っただけで過去のことをぴたりと当てたり、この間だってウォリック夫人に子ができると予言したら、二週間後には妊娠が分かりましたし。まさに神のような超能力ですわ」


 ハンフリーには一切興味がなかった。超能力などあるはずなく、何らかの情報網を持っているくらいしにか思わない。


「そのプレラーティって奴は一体いつから出入りしていたんだ?」

「それがいつからか誰も覚えていないんですの。湧いたように現れたとしか言えませんわ、ミステリアスな方ですもの」


 素性の知れない男は、狐のような細い目にもじゃもじゃの長い髪、それから顔の下半分が長い髭に覆われた、決して人好きのする顔ではないという。しかしご婦人方から絶大な信頼を得つつあるようだ。


「じゃあ、行ってまいりますわ。あなたもお越しになればいいのに」

「オレはいいから、楽しんでおいで」

 そんなわけで今夜の会合にプレラーティが来るらしく、ウキウキとエレノアは出かけて行った。


 何の趣味で得体の知れないムサ男にわざわざ会いに行かなきゃならない。静かになると、一人でゆっくりワインを飲みながら読書する至福の時間で、今はアーサー王物語だった。

 だが帰宅した妻がいつも以上に興奮冷めやらぬ様子で迫ってきたのだ。


「かつてヘンリー陛下とケイト王妃がご成婚された時と同じ星の動きなんですって! きっとハリー陛下が結婚なさるのですわ! つまり王妃が現れるのでしょう!? わたくしイヤですわ! あなた、何とかしてくださらないの!?」


 ガックンガックン揺さぶられるが、プレラーティがそう言うならもう既成事実なのだろう。案の定、一週間もしないうちに国王ハリーの婚約成立が発表される。

 そしてフランス王シャルル7世とこの婚姻交渉を成約させたのはサフォークだった。


「お相手はマーガレット・オブ・アンジューですって? 王族ですらないじゃありませんの!」

 フランスから到着した新王妃との面会のため支度をしながら、エレノアがきんきん声を上げる。


 アンジュー家はフランス王家の傍流だが、シャルル7世とは嫁の兄の娘にあたり、血の繋がりはない。

「しかも16歳にして花咲くような美人だとか…! ちょっと、化粧が薄くってよ! もう一度やり直しなさい!」


 歴代のフランス王とイングランド王は、互いの妹や娘を嫁に出してきた。ところがシャルルは適齢期の娘がいるにも関わらず、嫁に寄越してきたのは親戚の娘だった。実の娘はブールゴーニュ公フィリップの息子と婚約させている。


「これが今のイングランドとフランスの力関係というわけか」

 サフォークをしてもシャルルから引き出せる精一杯だったのだろう。


 ウェストミンスター宮殿へ向かう蒸気車デッカーの車中でもずっと妻はきんきん言っていたが、到着して機嫌を直したのは、伸び放題の長い髪と黒髭が不潔な印象さえ与える、異様な男の姿にだった。親し気にエレノアから寄っていく。


「プレラーティさん! あなたも謁見に?」

「こんにちは、夫人。そしてグロスター公ハンフリー閣下。お会いできて光栄です」

 男は深々を頭を下げる。話す言葉はフランス語訛りの英語で、最低限のマナーは身に着けているようだ。


「出身はどちらか」

「イタリアにございますが、ご縁ありブルターニュに長くおりました」

 ブルターニュはフランス北西部で独立を保つ領邦で、ノルマンディと隣接している。


「よく当たる占いと評判だそうだな。サフォークに召し抱えられているのか」

 おおかた情報源はそこだろうと思っている。


「恐れながら、そのようなことはございません。わたくしめはしがない占い師。占いは水物でありますから、ゆらゆら流れ行く身にございます」


「ねえ、せっかくですからあなたも占ってもらうと良いですわ」

「オレはいいよ」

 イタリア人など胡散臭いこと極まりない。とっととこの場を立ち去りたいのだが、妻がそうさせてくれない。


「少し見てもらえば、あなたもきっと信じますわ。ほらっ」

 柔らかくて力も弱いのにハンフリーには逆らえない手でつかまれ、右の手のひらを上にずいと引き出される。


「では、失礼致します」

 やや躊躇いながらもプレラーティは手の平に鷲鼻の先を近づける。どうやら表面のしわや線を見ているようだ。手とはいえ男にじいっと見られているのはこそばゆい。


「難しい手相をしておられます。財政難の相に、それと…、奥様の前で申し上げるのははばかられるのですが」

「申してみよ」


「恐れながら、女難の相が」

「ぶっ」

 思わず吹き出してしまうと、プレラーティは「申し訳ございません」と頭を下げる。


「よい、どちらも昔ちょっと苦労したのは皆が知る話だ」

 若かりし頃、ヘンリーからの戦費拠出要請(カツアゲともいう)と前妻ジャクリーヌには痛い目に遭わさせた。


「ねえプレラーティさん、今はボーフォート派が議会を掌握していますけれど、ハリー陛下の婚姻で星が動くのでしょう? すると夫の運気も変わるのかしら?」

 再び至近距離で手の皮を舐めるように眺め、プレラーティは顔を上げた。


「残念ながら天下人の相にはございません。産まれながらの地位以上のものは望めないでしょう」

「そうなんですの…? どうにかならないのですか?」

 するとプレラーティの白骨のような細長い指に、うっすらした縦皺をなぞられる。思わず腰に寒いものが走り、強引に手を引っ込めた。


「ここ。一つあるとすれば、断ち切り捨て去ることです」

「一体何をですの?」

「そこまでは私にも分かりかねますが、手相にはそうと」


 なんだ、やはり過去を当てるのは情報収集力で、未来のことはそれっぽいことをさも神妙に言っているだけではないか。なにが財政難と女難の相だ。言葉選びが上手いだけで、エレノアはうわべと雰囲気に踊らされてしまっている。


「たかが占いにございます。どうぞ、お気になさらぬよう。失礼いたします」

 ハンフリーが出した硬貨を受け取ると一礼し、洗練されているとは言い難い動きで男はのっそりと去っていった。


「胡散臭い奴だな。君も気を付けろ」

「諦めませんわ…」

 占い師が去ると再びツンケンしだした妻と共に、今度こそハリーと新王妃に謁見である。


 イングランドで最も高位の王族ハンフリー夫妻が現れると、順番待ちで並んでいた者たちが一斉に道を開ける。それに気付いたハリーが、玉座から笑顔を向けた。


「遅かったな、グロスター公よ。祝福してくれないのかと思ったぞ」

 幼い頃から、見た目も喋り方も年齢より大人に見せようとする気がハリーにはあり、この時もそうだった。


「このような喜ばしい日を迎え、私もようやく肩の荷が下りた気分です。叶うことなら兄ヘンリーと祝杯を交わしたかった」

「うむ。私を育ててくれた叔父上には感謝してもしきれない。どうか我が妻にも温かい言葉をかけてやって欲しい」


 隣に座るマーガレットは、前評判通りの整った美女だった。見るからに聡明で、淀みなく引かれた眉と唇が意志の強さを物語っている。だがどういうわけか、夫となるハリーよりも近くにサフォークが控えている。


「マーガレットよ、そなたが嫁いでくれたことを嬉しく思う。私はハリーの父親代わりとまではいかないが、産まれた時からずっと成長を見てきた。ハリーは性根の優しい子だ。この戦乱の世では生きにくいこともあるだろう。どうかそなたが支えてやってほしい」


 あえてフランス語ではなく英語でゆっくり話した。まっすぐにこちらを見つめるマーガレットは理解しているようだ。


「そしてランカスター家の人間として、イングランド人として最後まであってほしいと願う。ハリーの母、王妃ケイトがそうだったように」

「はい」

「サフォークと共に尽くしてほしい」


 そう言い含むと、すぐ後ろに控えるサフォークの方は顔色がサッと変わったが、マーガレットは眉ひとつ動かさない。

 なるほど肝が据わっている。何も知らぬ小娘ではないというわけだ。サフォークがハリーの嫁と自らの愛人に選んだのも頷ける。


 たった一人の世継ぎとして生後わずか九ヶ月で王となったハリーは、戦場や政治の汚い部分に触れることなくずっと繭に包まれて育った。ゆえに争いを避けてフランスとは和平を望み、内政では自身と志向を同じくする者のみを重用している。新妻と寵臣サフォークの関係にも気付いていないだろう。


 だが国を治めるということは、繭の中に篭って戦わずに済むものではない。ハリーも頭で分かってはいるが、のだ。


「その点マーガレットは心得ているようだな。サフォークはそこまで考えてよく選んだと思うよ」

「確かに美人でしたけど、絶対性格悪いですわね。鬼嫁って歴史に刻まれればいいんですわ」


 最後まで不機嫌な妻は、翌日もプレラーティのところへ出かけていく。

 いつもの流行り物のようにそのうち飽きるだろうと思っていたが、日を追うごとにのめり込んでいく。やがて帰宅すると自室に篭りきりになり、顔を合わせるのは食事と寝る時だけになった。


「少し度が過ぎるんじゃないか」

 おまけに少なくない額の金子きんすも持ち出している。不審がるハンフリーには耳を貸さず、その日も出かけて行った。


 昼前、執務中のハンフリーの元へもたらされたのは、予想だにしないエレノア逮捕の知らせだった。

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