第9話 フランスの夜明け

「んふっ、久しぶり。元気にしてた?」

 黒衣のブールゴーニュ公フィリップはデスクに頬杖をついて首を傾げ、画面の中のハンフリーをのぞいている。


「一応な」

「護国卿を降りたって聞いたから君まで体調崩したのかと心配してたんだけど、それならよかった」


「今は国内の安定が何より重要だから。アルマニャック派とブールゴーニュ派が争ったフランスの二の舞にしたくない」

「賢明だね。僕もそう思うよ。だからシャルル・ドルレアンを返してほしいんだ」

 フィリップの方から切り込んできた。


「君が自ら連絡してくるんだからその話でしょ?」

「ああ。ヘンリーの遺言だからそれはできないって話だ」

「知ってる。あんぽんたんな君でも、わざわざ遺言にしてまで禁じてきた理由分かってるんだ?」


「誰があんぽんたんだよ⁉ 言い方あるだろーが!」

「んふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ」

 黒い瞳をキラッとさせたフィリップ。こいつのペースに乗せられてはいけない。ハンフリーはゴホンと咳払いした。


「いいか、シャルル・ドルレアンこそフランス分裂に打ち込まれたくさびであると同時に、アルマニャック派とブールゴーニュ派を繋ぐ最後のピースだ。だから渡すわけにはいかない」

「へぇ、おたんちんなのにすごいすごい」

「ゔおぉぅぃい!!!」


「なら分かるでしょ、いくらヘンリーの遺言でも僕は取り下げないって。できない相談だよ」

「それを承知で言ってる」

「けど無理」

「そこを何とか」

「やだ」


「金と領地はジョンからたんまり絞っただろう? あと何が欲しいんだよ?」

「本当に欲しいものはもう手に入れたし、そんなんじゃないし。これは僕とヘンリーとの約束なの」

「ヘンリーと? なんでお前が」


「僕はヘンリーから直通コードを送られた一握りの人間なんだよ。んふふふふっ、羨ましいでしょ? ヘンリーとは何度も二人で話したし、彼は僕に『フランスが夜明けを迎えられるか、命運はお前にかかっていると思え』って僕に言ったんだ」


「オッ! オレだって兄弟で唯一直通もらってたし! それにヘンリーはお前と共にフランスを一つにするつもりだったからそう言ったわけで……!」

「ヘンリーなら数年のうちに全土を手に入れてただろうね。その時自らの手でシャルル・ドルレアンを解放するつもりだった。そうでしょ?」


 王が精神を病むという悲劇に見舞われたフランスは、長らく続くアルマニャック派とブールゴーニュ派の内紛に疲弊していた。その発端はといえば、フィリップの父ブールゴーニュ無怖公による先代オルレアン公(シャルル・ドルレアンの父)の暗殺だ。


 そして両陣ともこぞって軍事支援を求めた先がイングランドだった。シャルル・ドルレアンはヘンリー四世へ、無怖公は皇太子ハルに。

 互いの尾を食い合う蛇が眠れる獅子を揺り起こし、海を渡って乗り込んできた獅子は、一つになれないフランスをギリギリまで追い詰めた。


「シャルル・ドルレアンはフランスの内紛を終わらせる最後の駒だ。全土を制圧したら解放しお前と和睦させ、長きに渡る内乱は終息しヘンリーの手の下にフランスが一つになるはずだった」

「けどそれは叶わぬ夢となった。だから今、僕が解放する。ヘンリーの遺志を継ぐのは僕だ」


 アルマニャック派との因縁はフィリップの祖父の代から延々続いている。そして政敵オルレアン公を殺害した無怖公は、事件から十二年後に報復を受けてたおれ、フィリップ自身も命を狙われた。


「互いの尾を食い合う不毛な争いは僕の代で終わらせるよ。僕がフランスを一つにして、朝日を呼ぶ」

 時代が大きくうねっている。この流れを止めることなど、ましてやたった一人になってしまったハンフリーにはできない。


「フランスを一つにしてお前はどうするんだ? まさかフランス王になるのか?」

「そんな気はないよ。僕が覇道に興味ないの知ってるでしょ? シャルルがなればいいんだよ。残念だけどハリーではないね」

 フィリップは逆側に首を傾げた。


「それとも王なんかになる為だけに、僕がジョンを裏切り君を苦しめたりすると思う?」

 最初からこの男は己が野望のために動いたわけではなかった。極めて不安定な情勢の中で領邦をいかに守り大きくするか、難解な見極めを誤らず常に正確に選んできたフィリップの政治的センスには舌を巻くしかない。


 ハンフリーは大きく溜息をついた。こいつもオレにはない翼を持つ男なのだ。

「ずるいよなぁ。野心が無いくせにこれだもん」

「……ジョンがいたおかげかな。あんなに憧れたのは、後にも先にも彼だけだ」


「無怖公って絶大な父親がいたのにか?」

「僕と父じゃタイプが違うからね」

「でもジョンを殺したのはお前だろう? 遺体にはいくつか不審な点があったらしいじゃないか」

「おふっ!?!?!」


 分かりやすい奴。ジョンならこれくらいで動揺したりしない。

「まだまだだな」


「あっ、あああの状況だとそう思われても仕方ないけどね? 僕とサシ飲み中に倒れたわけだしっ? けど僕がやったっていう証拠なんてどこにもないしね?」

「別に恨んじゃいないさ」


「それにねっ、それにそういうこと言うんならこっちも腹に一物あってねっ。僕の父を殺害したのはシャルルの側近だけど、そいつを仕向けたのはヘンリーなんじゃないの」


 当時王太子だったシャシャと一時休戦のため、モントローの橋上で会見した時だった。シャシャの側近のタンギィがいきなり剣を抜き、オルレアン公暗殺の報復を叫び無怖公の脳天をかち割ったのだ。


「そういう噂があるのは知ってるが、オレは何も聞かされてない」

「あのさ、シザーリオって密偵いるじゃん。元々はヘンリーの配下だよね? 彼か彼女か知らないけどさ、あの人に信頼と心を掴まれたらなんか常軌を逸した事でもしちゃう気がするんだよね。抗いがたい目力があると思わない? あれにほだされてタンギィは凶行に及んだんじゃないかってね」


「それは分かる。何を考えてるのか全然分かんないのに、たまにあの目で色んな事を語ってるようにも見えてな」

 シザーリオは姿を現すが、ヴァイオラは体力の限界を理由に退いた後、見なくなった。異端者の烙印を持つ独り身の女がどこでどう暮らしているのか、生活に不自由はしていないのかシザーリオに聞いても答えない。


「ねぇ、お互いに証拠のない話だしさぁ、墓の中まで持っていくっていうのはどう?」

「だからオレは知らないし」


 ヘンリーには、普段のおおらかさとは裏腹に同じ人物なのかと疑うような冷酷な面があった。それは十三歳から戦に身を投じ司令官として己をカスタマイズしてきた中で得た、計り知れない覚悟と苦悩に裏打ちされたものだ。


 戦場で星空を見上げてそれを思う時、ハンフリーはいつも鳥籠の中に捕われたような気持ちになった。

 ヘンリーには翼があった。一体何を見つけたかったのだろう。どんな景色を見たかったのだろう。


「フランスを一つにしたら、どんな景色になるんだろうな」

「さあ。登ってみないとわからないよ。けど君と僕の行く道は別々になる」


 かつてイングランド王になったのはフランス貴族で、その流れはプランタジネット王家に受け継がれた。ランカスター家はその傍流だ。


「僕の曾祖父はプランタジネット家のフランス王、ジャン二世。だから僕にもほんのちょっとプランタジネットの血が流れているんだよ。ヘンリーが僕の妻ミシェルの妹と結婚して、アンヌがジョンと結婚して、君たちと本当の兄弟になれて嬉しかった。信じてくれるかどうか分からないけど」

 唇を結んでハンフリーは頷く。なぜかグッときてしまった。


「君が前妻のジャクリーヌと一緒にフランドルに攻め込んできた時ははらわた煮えくり返ったし」

「そこは何も言い返せねぇけど」

「ジョンとは……、色々あったなぁ」

 ゆっくりと瞼を上下させて、フィリップは微笑んだ。


「今だから言うけどさ、オルレアンでお前に撤退されて負けた後、ジョンの荒れ方がハンパなかったんだぞ。暴飲暴食破壊行為の後ラボにこもったきり一週間出て来なくなって、アンヌが泣きながら連絡してきてさ」


「へぇ~、僕のせいでそんなになったんだ。んふっ、直接会った時はへっちゃらな顔してたくせに。んふふふふふふふふふふふふふふ〜~っ」

 笑いながらデレんとして、顔も体もくねくねしだした。フランスの夜明けをこいつに任せて大丈夫か。


 ヘンリーの思い描いた形とは違うが、それでもシャルルにではなくフィリップに渡すのなら、ヘンリーは許してくれるだろうか。あるいはジョンならフィリップを暗殺しろと言うだろうか。トマスならどんな落としどころを見つけるだろうか。


 思考は延々と逡巡するが、決断するのはオレしかいない。

 ブールゴーニュとの同盟が破棄になった時点で戦は終着点へと向かいつつある。


「それがどこなのかオレにはまだ見えないけど、進むしかないよな」

「君らしいと思うよ。またいつか会えるといいけど、達者でね」

「お前もな」


 通信を切り、黒衣のフィリップの姿が消えると、ハンフリーはリチャードを呼ぶ。

「フランスに援軍の手配だ。議会にはっぱかけるぞ」

 シャルル・ドルレアン解放後の攻撃に備えなければならない。それがせめて足掻ける次の手だった。

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