第6話 ランカスター家の血

 しばらく走ったが追手は来ないようだ。二人の足止めがうまくいったのだろう。


「さあ、母さまと折り紙をしましょう。車は揺れるけど誰が一番上手に折れるかしら」

 硬い表情の子供たちに、文箱に用意しておいた紙を手渡す。そこには白い紙の百合が一つだけ入れてある。

 ヘンリーが折って、毎朝枕に置いてくれたものだ。


「ぼくお花つくりたーい」

「これ? これは難しくて母さまにも作れないのよ。代わりにうさぎさんを作りましょう」


 うさぎを二羽、次にヒヨコと子供二人が熱心に取り組んだところで蒸気車デッカーが止まる。

「燃料切れの前にここで車を乗り換えます。もうすぐ来るはずなんですが……、あ、ほらあそこに来ました」


 こっくりしたブラウンの蒸気車デッカー三台と共に現れたのは、柄物に柄物を重ねた伊達男。

「ブラッドサッカーさん? まさかあなたが」

「本当なら優雅なディナーにご招待するはずだったんですがね」

 目尻のしわは少し増えたが、人の警戒心を解きほぐすような笑顔は変わらない。


 しかも所有する物件に滞在させてくれるという。目指すはリチャードの居城、ヨークだ。議会はボーフォート派で占められているが、ハンフリー陣営に残された最後の砦と言えるのがこのリチャードなのだ。


 ブラッドサッカーの先導で、暗くなる前に今夜の宿泊先に到着した。

「ちょっと狭くてご不便をおかけしますがね」

「いいえ、温かい食事まで用意してもらい本当に感謝します。エドマンド、ジャスパー、きちんとお礼を言いなさい」


 提供されたスープとパンにがっつきながら子供たちが「あひはとう」と言うと、隣で同じく口にいっぱい頬張っているリチャードもぺこっと頭を下げた。ブラッドサッカーと思わず笑い合う。


「あの小さなリチャードがこんなでっかくなったんだもんなぁ。俺もオッサンになるはずだよ」

 昔のように金髪をぐりぐり撫でまわされ「よしてくださいよ」と言いながら、食べるのをやめない。ヘンリーよりも大きな体を満たすにはまだまだ足りなさそうだ。


「私の分もどうぞ」

 ケイトがパンを差し出すと、目を真ん丸にして首を横に振る。何度か繰り返して受け取ってくれた。

 離乳食の頃からずっとハリーは食が細く、気を揉んだのを思い出す。もう何年も会わせてもらえていないが、今でもそうなのだろうか。


 一つの寝台に二人の子を寝かしつけ居間に戻ると、ブラッドサッカーとリチャードが地図を見ながら話し合っていた。

「ハンフリーとテューダーは無事でしょうか」

「あのお二人なら心配ありませんよ。今頃ロンドンに乗り込んでいるはずです」

 自信ありげなリチャード。よほどハンフリーを信頼しているのだろう。


「でも、ハンフリーも罪に問われてしまうのではありませんか?」

「ハンフリー様はボーフォートに対抗するのなんて何とも思ってないですよ。私もですけど」

 あっけらかんと言われてケイトは言葉が出ない。


「テューダーは、あなたと子供たちの為なら自ら首を差し出す覚悟でしょう。俺も含めてみんな考えていることは同じ。あなたに幸せになってほしいんですよ。それがヘンリー様の願いでもあったし」

 ブラッドサッカーに言われて、思わず目が潤む。


『オレが死んだ後は好きな男と結婚してくれ。ケイトには誰より幸せになってほしいんだ』

 生前、ヘンリーはそう言ってくれた。そして亡くなってなお妻を想う気持ちはこうして受け継がれている。


「ありがとう……、決して忘れません。ヨークまではどのくらいかかりますか?」

「追手の目を眩ませる為にわざと迂回したりしますんで、四日はかかります。俺は一緒にいられませんが、いつでも力になりますから」

「面倒をかけてごめんなさいね。それはそうと、ブラッドサッカーさんは新しく何を始めようとしているの?」


 ブラッドサッカーが事業を売却している。しかも輸送や娯楽施設といった周辺事業だけでなく、基幹のブラッドプラントまで手放しているのだ。


「まあ、考えてることは色々あるんですが。一つのことを成すには二十年はかかるって、これはうちの親父の言葉でして、血の卸売を二十年以上やってきたんで次のステージへ行こうと思いましてね。俺がこの商売を始めたきっかけは、ヘンリー様だったんですよ」

 ブラッドサッカーの瞳が二人の知らない時代を懐かしむように細められる。


「まだお互い十代で。ヘンリー様はスピーダーバイクにハマってたんだけど、燃料が安定的に手に入らないとボヤいてたのを聞いて、これは買ってくれるなと。最初はホントに小さな卸売から始めて、融資してくれたり私財を投資してくれたり二人三脚で大きくして。それがプラントを入手して建設して、輸送網作ってまさか周辺の街づくりまでするとは思ってなかったですね」


「それは思わないですよね。すごいや。うち貧乏だし勉強させてもらおうかな」

 リチャードも興味津々だ。


「手に入れたのは莫大な富と何不自由ない暮らしに地位、名声。でもそんなものじゃなかったなぁ。二人で夢と理想を追って、楽しかった」

 きっとヘンリーも同じだった。はにかんだような笑顔が久しぶりに頭に浮かぶ。


「でもあの人お金に細かいから、苦労なさったこともあったでしょう?」

「ええ! 毎月請求書は細かーくチェックするし、地血脈を掘り当てられなくて投資してくれた分が全部パアになった時は、もう命を差し出すしかないと思いましたよ。怖っわかったー!」

 三人で笑った。


 翌朝ブラッドサッカーと別れ、ヨークへ向かい北上していく。移動に次ぐ移動で揺られるのに疲れて、途中の露天市で車を停めて休憩中にうとうとしてしまった。

 目を覚ますと、車の中には一人だけだ。一緒に居たはずの子供たちがいない。座席の下に紙のヒヨコだけが落ちている。


 急に不安を覚えて外に出ると、ジャスパーがリチャードと一緒に石蹴りで遊んでいて、次に目線を動かした先では使用人たちが草の上でくつろいでいる。けれど、一人いない。


「リチャード! エドマンドは? エドマンドはどこなの?」

「え? ケイト様とご一緒ではなかったのですか?」

 目を丸くしたリチャードがジャスパーと顔を見合わせる。


「ぼくがおきたときはまだねてたよ?」

「そんな……、エドマンド! エドマンドどこなの!?」

 ケイトの声が張り裂け、使用人たちが慌てて立ち上がる。


「落ち着きましょう、私が探しますから」

 リチャードに諫められても聞けるはずがなかった。軒を並べる露店を一つ一つ確かめ、裏側に回り、覆い布をまくって露台の下を確かめては名を呼ぶ。売り子に迷惑顔をされても構わなかった。


 誰も遊んでくれないから見つけてほしくて一人で隠れているのかもしれない。弟にやきもちを妬いて家でも同じことをしていたし、きっとそうに違いない。


 市場中を回り、ちょっと外れで蜂蜜付きのパンケーキを売る店の裏でようやくその姿を見つけた。

「エドマンド!」

「ははうえ! これおいしいよ。かってもらったの」


 ニッコリ笑う愛しい顔にも体にも、どこもケガはない。

 安堵して駆け寄ろうとするが、隣の男の姿に思わず足が止まってしまう。


「なぜあなたがここに……」

「もちろん、お分かりですよね?」

 そう言って後ろからエドマンドの両肩に手をかけた。


 サフォーク伯ウィリアム。

 軍人の基礎をトマスに叩き込まれ、ジョンに重用されてきた男である。オルレアン戦では実質的な指揮官だったが敗走し、フランスの捕虜となった。その後リュクスが捕らえたラ・イールとの捕虜交換で解放され、帰国してからは幼王ハリーの教育係として、また最近はボーフォート派の先鋒として存在感を増している。


「いくらハンフリー様といえど、ハリー陛下の邪魔だけは許すわけにはいきませんからね」

「なんですって? ハンフリーがいつ何をしたと言うのです」

「私は生涯をランカスター王家に捧ぐつもりです。ハリー陛下の障害となるものは排除する、それが私の使命なのですよ」


 エドマンドの肩にかけた手が胸の方へ滑り、後ろから抱きかかえる格好になった。

「ハンフリー様は王位を狙っている。そのためにあなたを利用しようとしているのですよ、王太后陛下。惑わされてはいけません」


「なにを馬鹿げたことを! そんな噂を———」

「火のない所に煙は立たないですよ。ハリー陛下は繊細でか弱いお方だ。顔も覚えていない偉大な父王と比較され幻影に怯え、いつしか自分を何一つ肯定できなくなってしまった。そのことは母親のあなたが一番よくご存じでしょう。そんな陛下にとって、叔父に狙われ王座を追われるかもしれないというのがどれほどの恐怖か」


 異変を理解したエドマンドの手からパンケーキがこぼれ落ちる。母親の元へ駆けだそうとするのを、既に胸と腰に巻き付いている男の腕が阻んだ。

「やだっ! 助けてははうえっ!」

「エドマンド! お願いよやめて、乱暴なことはしないで!」


「ええもちろん、大人しく私と来てくださればお子様の安全は保障しましょう。おや、君はヨーク公リチャードか」

「このヤロウ……! 卑怯な真似しやがって! エドマンドを離せ!」

「剣を収めたまえ。私に刃を向けるのがどんな結果をもたらすか想像できないのか、君は」


 サフォークの腕に力が入り、エドマンドが苦しげに顔を歪める。

「やめなさい! 私が行きます。言う通りにするからその子を離して」

「はい。そう言っていただけるのを待っていました。ご安心ください、ロンドンまでお子様も一緒にお連れしますから」

 ニイとサフォークが笑う。


 近づくと、エドマンドが涙を流して駆け寄ってきた。全力で抱きしめると、体中から愛しさが際限なく湧き出てくる。

「もう大丈夫、もう怖くないわ。母さまとジャスパーと一緒よ。きっとロンドンで父さまにも会えるわ」


 ロンドンに着いたら、きっと引き離される。分かりながらここまで来てしまった。心のどこかにヘンリーがいると知りながらテューダーは愛してくれ、子供まで授けてくれた。これは、甘えてきた私の報いだ。


「君はここまでだ。ヨークに引き下がるがいい」

 わらわら現れたサフォークの配下たちに剣を向けられ、リチャードは引き下がるしかない。


「許さない……、絶対に許さないからな。俺は一生忘れない。お前もよく覚えておくことだサフォーク!」

 怒りに拳を震わせ今にも暴れ出しそうなリチャードに、向けられた刃が臨戦態勢になる。


「ハンフリー様の噂だって、お前らの悪意あるでっち上げに過ぎない!」

「私やボーフォートが私腹を肥やすためにしていると思うか? イングランドとランカスター家の為だ」

「嘘を言えこのキツネめが!」


「私はボージェでトマス様を死なせてしまい、オルレアンでジョン様を敗北させてしまった。だから何としてでもハリー陛下のことはお守りする。お前などにこの思いが分かってたまるものか」

「黙れ! お前は自身の野望をハリー陛下を通して実現しようとしているだけだ。もっともらしい言葉を並べてな」


 剣を向けられてなおリチャードは、ギラギラとたぎらせた瞳でサフォークを睨んだ。

「ボーフォートの言動をも利用し、ハリー陛下を操るのに不都合な奴を始末したいだけだろう! ハンフリー様を貶める事のどこがランカスター家の為だ!」

 叫ぶリチャードだが、サフォークの合図で連行されていく。


「やれやれ、やっと静かになった。さぁこちらにどうぞ」

「……お願い、子供たちと一緒に居させて」

「はい、構いませんよ」


 その後、王太后ケイトは一人バーマンジー僧院に幽閉された。テューダーや子供たちには会えないまま、激動の生涯をひっそりと閉じるのは二年後のことだ。

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