第5話 抜剣

 邸宅に子供の泣き声が響く。

「うわああああん! はーはーうーえーっ!」

「どうしたのエドマンド、大きな声で」

「ジャスパーがぐちゃぐちゃにしたのーっ! せっかくつくってたのにいいぃえぇえええ~ん!」


 息子の手にはまだ折り途中の紙の鳥。最近長男エドマンドのマイブームは折り紙で、弟のジャスパーに邪魔されたのだろう。

「大丈夫、母さまが一緒に直してあげるから、ほらもう泣かないの」


 ロンドンの北、ハートフォードシャーの邸宅はウェストミンスター宮殿と比べものにならないほど狭いが、幼少期を修道院で暮らしたケイトに不便はなかった。それよりも我が子のそばに居られる事が嬉しい。


 子育てに悩みは尽きないが、それでも日々新しい喜びがある。

 ハリーの時は異国の宮廷内で一人生き残るために必死だったから、子育てを楽しむ余裕などなかった。乳母の元でいつの間にか成長していたものだ。


 しわしくちゃになった部分を丁寧に伸ばして、紙の向きを変えてもう一度折り直す。

「さあできた。ヒヨコさんよ」

「…うん。ありがとうははうえ」

 はにかんだエドマンドの頬を撫でて、仲直りしてきなさいと送り出す。


 法律上、王妃のケイトが再婚するには国王の諮問機関である枢密院の許可が必要だが、それを得ないまま出産した子たちだ。

 だからスピーダーバイクの低いエンジン音と、血相を変えて飛び込んできた事実婚の夫の顔に、小さな幸せが泡のように弾けたのだと悟った。


「逃げる支度をして。今すぐに! ハンフリー様が協力してくださる」

 夫の名はオーウェン・テューダー。かつて王妃ケイトの秘書官だった男だ。


 心の隙に付け入られ、脅迫されて肉体関係を持った。しかしテューダーの求めは一度では終わらなかった。二度目の口づけは水の中でもがくような息苦しさだったし、三度目にはこれは終わらないのだという絶望感が重い痛みを残した。


 だが荒々しい熱を帯びていたテューダーの手は四度目は慈しみがこもっていて、五度目には人肌の温かみを感じ、六度目にはケイトの方からテューダーの背中に腕を回した。


 寂しさと、それにずっと一人で気を張って疲れていた。テューダーを受け入れたのはそんな理由だったが、王妃になるよりも小さな家での平凡な生活が身の丈に合っているのかもしれないと今は思う。


「なぜ今なのですか、ハンフリー!?」

「ボーフォートだよ。ついさっき議会が決議した。ほら急いで、子供たちも」

「議会の意思をハリーは、ハリーが認めたというのですか?」


「ハリーの意思じゃない、ボーフォートだ。ケイトが悪いんじゃなくて奴の政治手段の一つだよ」

 エドマンドが産まれて五年も経つのだ。今まで黙認してきたのに、今更罰したところで何になるのかケイトには見当もつかない。


「さあケイト、子供たちと行きなさい。私はここで追手を迎え討ち時間を稼ぐから」

「テューダー、お願いよ。自分の命を大事にして。必ず生きると約束して」

「もちろん。一生あなたの支えになると約束したでしょう」


 別れを惜しんでいる時間はなかった。自室の宝石や貴金属を小袋に入れ、使用人に鞄に詰めるものを指示し、ただ事ではないと悟り怯える息子たちの手を引いて外に出る。

 外にはブロンドの青年が待っていた。


「ここからは私がお供いたします、王太后様」

「あなたは…もしかして小さなリチャード?」

「はい、ヨーク公リチャードです」

「驚いたわ、こんなに立派になって。ヘンリー陛下が見たら喜ばれたでしょうね」


 かつてヘンリーの暗殺計画を企て処刑されたケンブリッジ伯の息子だ。『小さなリチャード』と呼ばれヘンリーに可愛がられていたのが、今や堂々たるイケメン貴公子なのだ。


「さあ乗ってください! 行きましょう」

 蒸気車デッカーに乗り込むとまず、「大丈夫よ」と子供たちを両腕に抱きしめた。

 子どもたちを守るためにできることをしなければ。ケイトの腕に力がこもる。



◇◇◇◇


「さあて、いっちょやるか」

 肩をグルグル回しながらのハンフリー。


「どうかロンドンへお戻りください。ここにいてはハンフリー様までとがめを受けることになってしまいます」

「どうってことねえよ」

「ハンフリー様は私たちを監獄行きからずっと守ってくださいました。ここでお怪我をさせては私がケイトに叱られます。ですから」


「オレは結構強いんだぞ? それにケイトを守りたいのはお前だけじゃないんだよ」

 ハンフリーが笑ってみせるとテューダーは唇を結び、眉根を寄せる。


「どんな罰でも私が受けます。処刑されても構わない、だから彼女と子供たちだけは…」

「そんな甘言をボーフォートが聞き入れると思うか。守りたいなら死ぬ気でやれ。お前もアジャンクールで戦っただろう、あの時を思い出せ」

「…はい」


 ボーフォートと水と油になって何年経つだろうか。議会で言い合ったのは数知れず、すれ違っても互いに目すら合わせない。武力衝突しそうになっては、仲裁のジョンから『内乱起こしたらおれが直々に二人ともブチ殺すからな。あん?』とニッコリ顔で言われている。あれは本気だ。


「にもかかわらずこの強攻かよ」

 ボーフォートがジョンに頭から逆らうとは思えない。あれは従うべき人間を正確に見定める男で、オレのことはバカにしやがるが兄の前では忠犬のはずだ。


「来ました、ハンフリー様」

 三階のカーテンの隙間から窓の外をのぞくと、ガチ武装した客たちが邸宅へ侵入しようとしている。


 ジョン、これを武力以外でどうやって止めろと言うんだ? ボーフォート以上にオレに剣を抜かせたがってる奴が、どうやらいるみたいだぞ。


「エンパワメント」

 剣の柄を握ると指先から満ちていく冷たい感覚。よかった、ずっとメンテを受けていないから壊れてるかもと思ったが、全身に活力が駆け巡るのを感じる。


「いよーっ! なんだよ久しぶりじゃねえか! ついにヨーロッパ制覇か!? どこだここ? て言うかお前ぇ体鈍りすぎじゃねぇ? どんだけ支援させるつもりだよ?」


「久々にうるせぇなぁ。しっかり頼んだぜ相棒」

「何年ぶりだと思ってんだよチクショーめ! 積もる話もってやつじゃねえか。チャッチャと倒して朝まで語り合おうぜ!」


「徹夜は勘弁だし。今度の敵はな、人の恋路を邪魔しようとする無粋な奴だ」

「んだとぉ!? そりゃ許せねえなぁ許せねえよオイ!」

 よく喋る相棒AIの名はモンマスといい、ヘンリーの幼名『モンマスのヘンリー』が由来だ。


「王太后と子供たちを捕らえよ!」

 突入してきた敵兵に階段の上から椅子を投げつけ、飛びかかる。相手は大勢、こちらはテューダーと三人の麾下きかのみだ。階段を利用し上下で戦うことで敵の進路を細め、一対一に持ち込む。


 フランスで戦い続けるジョンとは対照的に、祖国に留まったハンフリーは戦から遠ざかっていた。しかしその場になれば実戦感覚はすぐに蘇ったし、全身の筋肉が熱せられるような戦いは懐かしくもある。


 モンマスと一体になり剣を振るう。自分の命と、相手の命。それ以外のことは全て忘れる。


 反撃の間も与えず一気に六人倒したところで相手がたじろいだのが分かった。テューダーも麾下もそれぞれ三人以上は葬っている。

 だがハンフリーは止まらない。


「ケイトはオレの身内だ。必死に生きてやっと小さな安穏を手に入れた人を傷つけて何になる!」


 目の前の兵士らは、”アイツ”に取り立てられたいがためにケイトを捕えに来たのだろう。自身の出世のために他人を傷つけても構わないというならば、相応の報いは受けてもらう。

 唸るように剣が空を切り、次々と敵の急所を捕らえる。


「穏便に済ませる気などない。お前たちが望むならオレはいつでも剣を抜き刺し違えてやる。”アイツ”にそう伝えるがいい!」

 ハンフリーの気迫にされ、敵兵が退いていく。


 自分には指導者としても政治家としても素質は無いし、これまで犯してきた手痛い失敗も一つや二つではない。けれど———

「オレは自分の心に正直に生きる」


 心と体、そして言葉が一つになること。きっとそれはヘンリーですらできなかった。


「お前ぇ、そのせいでジョンに叱られてばっかじゃんか。ちったぁ学習しろよバーカ」

「うるっせえ! オレは曲げねえからな!」

 

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