第3話 三国会議

「聞いてないんだけど⁉ なんだよこれ!」

 首都ディジョンの宮殿中に響き渡る、ブールゴーニュ公フィリップの裏返った声。ジョンの使者が持参した手紙を見るなり、側近のリュクスを呼びつけた。


「どういうことだよ! お前知ってたんじゃないのか?」

 投げつけられた書面にリュクスも目を引んく。

「寝耳に水です。存じていれば即刻フィリップ様に申し上げております」


 前略再婚することになったので結婚式に招待します草々 ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター

 そういう内容だった。


「再婚なんて聞いてないよ。なんで僕に相談もなく勝手に…!」

 アンヌの葬儀からまだ五か月しか経っていない。二人の間に子はなかったから、再婚を急ぐのは分かるが。

「けど相手がこれって…」


 相手はジャケットという、目の前の重臣リュクスの縁戚である。だがフィリップの血縁ではない。それにリュクスの爵位は伯爵に過ぎないし、その縁戚ジャケットの家は爵位を持たず、ただの一貴族の娘でしかない。


 公爵家とは王の分家血筋で、フィリップの祖父は当時のフランス王シャルル5世の弟だった。だから公爵とそれ以外では、たとえ爵位があろうとも天と地ほどに違うのだ。


 いや、血縁や身分がどうというのではない。アンヌとの婚姻だから祝福したのだ。愛する妹が妻なら自分と一つになった気もしたし、本当の家族になれたと思えた。

 なのに僕の知らないところで知らない女と再婚だって?


「あぁ、結婚式なんて行ってやるもんか」

 むしろ銃でもぶっ放してめっちゃくちゃにしてやりたい。


「もう僕は必要ないってこと?」

 リュクスの縁戚だから同盟維持に一役二役は買っている。だがジャケットには神聖ローマ皇帝ジギスムントと同族という側面もあった。


 ジギスムントに近づいて、ヨーロッパ大陸での影響力と支援を得ようというわけね。僕よりもジギスムントなんかを選んだわけだ。

「んふ、ふ、ふ、ふ、ふふ」


「フィリップ様…?」

 爪が食い込んで手の平の皮を破る。血が出てきたけどそんなのどうだっていい。ああああああ、腹の中が熱くて噴火しそうだ。


 次の瞬間、悲鳴のような奇声を上げながらリュクスに向けて机の上のものを手当たり次第に叩きつけていた。

「許せないっ…!!」


 こんなに怒りが抑えられないなど生まれて初めてだ。父を目の前で惨殺された時でさえ、ここまでではなかった。

「僕を裏切るなんて! 君には僕が必要なはずなのに!」


 目下、重要なのはフィリップが主催するイングランド、フランス、ブールゴーニュの三国会議だ。そのためにジョンは神聖ローマ帝国というカードを急ぎ手に入れたのだろう。


 会議にはジョンとシャルル本人は出てこないにしろ、イングランドは重鎮ボーフォートに、フランスは政争を制し大元帥に返り咲いたリッシュモンという、双方ともナンバー2を派遣してきている。


 かつてフォンテーヌブローで行われた三国会議は、ノルマンディを制圧したヘンリーが和平交渉によりフランスを手に入れようというものだった。結果は三者鼎立ていりつ状態のまま、直後に王太子シャシャがブールゴーニュ無怖公を暗殺するという劇的な展開でヘンリーとフィリップの間に同盟が成立した。


 今回フィリップの所領アラスで開かれる三国会議は、ローマ教皇庁による和睦の提示が始まりだ。これを頭から拒否するわけにはいかず、渋々ながらイングランドは卓についたといえる。


 しかし会議の性質は全く異なるにも関わらず、イングランドの主張は前回同様一切の妥協を許さないものだった。

「そう来ると思ってたけどね」


 フランス王はヘンリー6世でありシャルルはその臣下に過ぎないという、同盟成立時のトロワ条約を持ち出したものだ。もはやそんな理屈はまかり通らない状況なのだが、会談開始から何日経っても変えるつもりはないらしい。


 対するフランス側は、パリを明け渡せばノルマンディの領有だけは認めてやろうという主張で、こちらも折れる気配は今のところない。


 というわけで、打開の鍵を握るのはやはりブールゴーニュだった。

「君がジギスムントを選ぶんなら僕はこうするしかないよ、ジョン」


 会議場の聖ヴァースト修道院には主催者フィリップの一行が滞在している。執務部屋には側近のリュクスらと、目の前にはフランス大元帥リッシュモンがいた。

「こちらがシャルル陛下ご署名の休戦協定書です」


 リッシュモンが書状を広げる。フランス・ブールゴーニュ間で何度も協議を重ねてきたもので、六年間の休戦という内容に不服は無い。あとはフィリップが署名するかしないか、二つに一つである。


 羽ペンを取り、インク壺に浸して抜こうとすると先が引っかかる。壺が傾いたのを倒れる前に、リッシュモンが受け止めた。


「…ありがと」

「いえ。よもや閣下、迷われているのではありますまいな?」

 フィリップの唇がわずかに震える。


「誰に向かって口きいてるの。君のせいでおじゃんにしてもいいんだよ」

「それを聞いて安心しました。非礼は深くお詫びします」

 うやうやしくお辞儀をするリッシュモン。

 キライだこいつ。


 そして署名を書き上げ、告げる。

「イングランドとの同盟は破棄する」


「それは確かですね?」

「でも一つ、僕は戦が嫌いだから同盟を破棄してもイングランドと戦うつもりはないからね」

「なるほど。陛下にお伝えしましょう」


 リッシュモンが下がるとフィリップは全員に部屋から出るよう命じ、一人になった。昨晩からずっと雨模様で、昼間なのに窓の外は薄暗い。ガラスに自分の顔が映り、それがやがて記憶の中の別人に変わる。


『フランスが夜明けを迎えられるか、命運はお前にかかっていると思え』


 通信画面越しの顔は今でも忘れられない。

 あの時こちらを見据えていた琥珀色の瞳が、背後に鈍色の雲を従えガラスの中で金色に底光りする。射貫かれたようにフィリップは動けなくなった。


「悪いけどこれは君との約束だからね、ヘンリー」

 目を閉じると、それは消えた。


 本降りの雨。外に出てずぶ濡れにでもなれば内臓をぐっちゃぐちゃにされたようなこの気持ちも洗い流されるだろうか。しばらくの間、降り注ぐ雨粒を眺め続けていた。透明な動きを目に留めようとすると、時間の感覚も無くなる。


 するとぽつんと黒い点が二つ現れる。近づいてくると蒸気車デッカーだと分かり、修道院の門の前に止まった。

「客? 誰だろ」

 イヤだな、今は誰とも会いたくない気分なんだけど。


 だが降りた人物の見覚えある姿に、思わずガラスに顔を押し付けた。

 似ている。いや、ここに来るはずがない。それにあんなに痩せてないし、きっと他人のそら似———。


 来客なら僕が会うべきかどうかリュクスが判断して伝えに来るのだから、ここで待っていればいい。

「そうだ落ち着け。落ち着いて待って……っ!」


 体当たりで開けたドアもそのままに、黒衣の裾を翻して廊下を走った。階段を一段飛ばしで駆け下りて、修道僧とぶつかりそうになって、鼓動は速くなるばかりだ。三階から一階へ下りるまでの何ともどかしいことか。


 やっと玄関へたどり着くと、直前で止まって息を整える。あくまで自然に、偶然通りかかったように何食わぬ顔で行かなきゃ。


 取り次がれたリュクス自らがわざわざ出迎え深く頭を下げ、応接広間へと案内している。その横から大きめに響かせたフィリップの靴音に客の男は気付き、ほんのちょっとだけ笑った。


「よう」

「…なんで君が来たの?」


 鼓動が最高潮に達し、顔から腹まで熱い。

 しかし同時に驚かずにはいられなかった。三階の窓から見て痩せていると感じたのは間違いではなく、五か月前にアンヌの葬儀で会った時より激痩せしていたのだ。目の下には濃いクマに、肌に色艶がない。輝くような生命力も色香も感じられない。

 あのジョンがまるで枯れ枝のようで、あまりの変貌ぶりに胸が震える。


「会議は枠組みが大切なんだから、前触れなくいきなり総大将に出て来られちゃ困るんだよ。君がそこ分からないはずないよね?」

「分かってるさ、会議に出るつもりはない。ルーアンから近いし来てみただけだ」


「嘘つけぇ! そんな近くないし!」

「ははは」


 なんだよ、そんな弱々しい顔で笑わないでよ。胸が苦しくて居ても立っても居られなくなるじゃんか。

 これは現実で君は本物なんだよね? 突然こんな近くに現れるとかもう心臓壊れて血管破れる寸前だし。僕に会うために来てくれたと思っちゃうよ?


「体調悪いんでしょ? なんでこういう無茶するんだよ。おいリュクス、早く部屋を用意して、それと濡れた服を乾かして差し上げろ。温かい飲み物もだ。急げ、ぼーっとするな!」

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