第13話 黒衣は好きと叫びたい

 あれ以来、ジョンとは喋っていない。

「ちょっと言いすぎちゃったかな」

 それでも必ず追ってくると思うと、ゾクゾクするほど嬉しい。


 オルレアンの敗走後、連敗を重ねシャシャの戴冠を許してしまったジョンは責任を問われているようだ。

「僕のせいなんだけど。でも君が頼れるのは僕だけだしね」


 まだかなまだかなと、招待されたシャルル七世の戴冠式をすっぽかし、晴れない日々を過ごしているとついに待ちわびたランカスター王家の印影の手紙が届いた。

「んふふふふふふふふっ! 来た来た!」

 アンヌが会いたがっているし、パリに来ないかという。もちろん行くのだが、わざと返事を保留にして焦らすと、せっかちにも迎えがやって来た。


「お久しぶり、フィリップ坊ちゃん。もう坊ちゃんて歳でもないかぁ」

 年齢は重ねても、柄物に柄物とジャラジャラアクセを重ねる伊達男ぶりは変わらない。ホラホラぁとブラッドサッカーに急かされて、支度を整え黒塗りの蒸気車デッカーに収まった。


「ジョン、まだ怒ってる? 僕の結婚式も来てくれなかったしさ」

「怒ってはないけど、坊ちゃんと対面したらどうなるかなぁ」

 アンヌからは『お兄様なんてもう大っ嫌い!』と言われてしまった。

「今度の奥方はジョン様の従妹いとこでしょう? 裏切ったくせに同盟強化ですかい」 

「裏切ったんじゃないんだけどね。でも向こうから呼んでるんだから、仲直りしたいってことだよね。大丈夫だよね?」


 オルレアンから撤退したのは、好きと言ったも同然なんだけど。だってあのくらい追い込まなきゃ、僕のことなんか本気で考えてくれないもん。


「ところで今は暇なの? 僕を拉致しに来るならてっきり、あの美人密偵なのかと思ってたけど」

「……今なんて?」

「え? 今は暇なのって聞いたんだけど」

「そっちじゃなくて! 会ったのか、ヴァイオラに」

「ヴァイオラって言うのあの密偵。不思……」


 フィリップは言葉を失う。瞳孔を開いたブラッドサッカーが、見たことの無い表情をしていたからだ。


「いつ!? どこで? 怪我とかしてなかった? 無事なんだな!?」

「え? あ、あぁ」

 黒衣の上から肩を掴んで揺さぶってくる手は本気だ。

「ハンフリーがフランドルに侵攻してきた頃だから、何年も前だよ。密かにジャクリーヌを捕らえる手引きをしてくれたんだ。その時は元気そうだったけど」

 それを聞くと、ブラッドサッカーは腕を下ろした。


「なんとなく想像はつくけどさ、そこまで聞いたんだから教えてよ」

 いくら親しい仲とはいえ、簡単に踏み込むのははばかられるくらい真剣な表情だったから、小さい声になる。ブラッドサッカーはちょっと微笑んだ。

「元々、約束なんて無くて彼女が気が向いた時に来るみたいな関係で。でもヘンリー様が亡くなって以来、来なくなってな。だから向こうはもう俺のことなんてどうも思ってないんだろうけど、こっちはそうもいかなくてさぁ」


 孤独で寂しい女性だ。一度会っただけだが、その印象は強く残っている。華のあるこの男がそういうものに惹かれるとは意外だった。

「知らなかったな、君にそんな一面があるなんて」

「自分でもどうかしてると思ってるよ」

 それでも彼はずっと独身を貫いて仕事に生きている。


「イングランドのため、彼女のためね。いつまでその生き方続けるの?」

「さあ。まずは坊ちゃんとジョン様に仲直りしてもらわないと」

 はぐらかされた。


 パリに到着すると、ジョン夫妻が自ら出迎えだった。


「ようこそ」

 差し出されたジョンの手。夏の太陽に金糸の髪が輝き、白皙はくせきの額から鼻梁から顎まで完璧な造形美だ。ちょっと疲れてるのかな? いつもよりとろんとした目がかわいい。

 あぁ~っ! やっぱり生はいい! 画面越しとはオーラが全然違うし、肌のなまめかしさが段違い。


 最高にドキドキしながらその手を取り、蒸気車デッカーから降りる。

「ありがと。なんかまた美人になったね」

 もちろん妹ではなく義弟に向けている。

「お兄様、大嫌いなんて言ってごめんなさい。許してね」

 もちろんだよとアンヌを抱擁した。


 夫妻とブラッドサッカーは、フィリップの為に様々なイベントや、とんでもない金額のプレゼントを用意していた。パリ市民とともに祭りまで催してくれた。お陰でスケジュールは全く消化できず、一週間の予定だった滞在をもう一週間延長することになった。

 観劇しては感想を語り合い、絵を見ては議論し合い、贈られた美しい宝石を愛で、政治以外の話をするのは本当に楽しかった。

 嫌味の一つも言わず、何事も無かったように屈託なく笑うジョンがとにかくいじらしい。


 最終日、何がしたいと問われたフィリップは、サシで飲みたいと答えた。すると招かれたのは、応接間ではなくジョンの私室だ。

 こっ、心の準備が!


「おおあ邪魔しまぁす……、へぇ、これ全部君が作ったんだよね」

「趣味でな」

 さほど広くない部屋に、十台以上の見たこともない機械が並んでいるのがまず圧巻だ。数えきれない本数のケーブルが整然と取りまとめられているのがジョンらしい。

 ちょうど中央の作業机の真正面に立てかけられた三本の剣が目に入る。一本は触らせてもらったことがある、確かメアリーというジョンの剣だ。ということは、あの大剣はヘンリーのジェーン、もう一本はトマスのボリングブルックか。特別な三体というわけだ。


 真っ白な上等なソファに向かい合わせに座ると、従者がチーズやエスカルゴを大理石のテーブルに並べていく。

「はいこれ、君の生まれ年のワイン。探すの苦労したんだよ。でも飲める状態か分からないからこっちも。僕らが同盟を結んだ年のやつで、最高の当たり年」

 生まれ年の古びた瓶に、ジョンは目を細めた。


「せっかくだから開けてみよう」

「いいよ。……あー、コルクが古くて崩れそう」

「貸してみろ」

 一瞬手が重なって、コルクなんかどうでもよくなる。


 古すぎるコルクが少し崩れて欠片を浮かせながらも、ジョンは見事に栓を開けた。しかし杯に注がれたワインは渋みが強く、お互い「うぅん?」と眉がハの字になる。十年もののもう一本は王者の貫禄で、広がる繊細な深みに今度は「うぅん!」と笑みが二人同時に出た。


「ラ・イールがエンパワメントを使ってきたこと、どうして僕に隠してたの。ヴェルヌイユの時にはもう知ってたんでしょ?」

 心配事があるんでしょと散々聞いたのに、話してくれなかったのがこれだった。


「隠してたわけじゃない。ただ……」

「ただ? 僕なんかに話しても意味がないと思った?」

「違う。認めたくなかったんだ。おれ以外に開発に成功した奴がいると」

 なるほど、技術者としてのプライドか。君らしいな。


「しかも相手はシャシャなんかだしね」

「そのシャシャなんかを相手に、停戦協定を結ぶんだろ」

「あ、やっぱ知ってた? 美人密偵に探らせたの?」

 探られるまでもなく、シャシャの元には公式にリュクスを派遣し、交渉が進んでいる。

「お前はフランスの覇権には興味ないんじゃなかったのか。一体何のためにシャシャと結ぶ?」

「君に気付いてもらうために。もう対フランス戦争は潮時なんじゃない。君はヘンリーじゃないんだよ」


 本当は君を振り向かせるためなんだけど。

 その甲斐あってこうして招待してくれたし、僕のために時間もお金もかけてくれたし。

 すると、ジョンがシュンとしてしまった。

 あれまさかもう酔っちゃった? うそ、こんな顔見せてくれるなんて。あぁ〜、癒やしてあげたい。


「……おれにはヘンリーと同じようにはできない。そんなことは最初から分かってる。けど、心のどこかでほんのわずか、対抗したいって思ってるんだよ。バカだよな」


 それは僕だけに明かしてくれた君の本音なんだよね? 僕も酔ったふりして今すぐ抱きしめていい?


「そうは思わないよ。君はヘンリーよりも領土を拡大したじゃないか。誤算があったとすれば、ジャンヌだけだ。このままじゃ開発者としてもシャシャに負けたままだよ」


 こう言ったら君はね……、そう! その冷たい目だよ! そうやって見下されたかったんだぁ〜、この顔最っ高。

 とろけてくねくねになりそうな体をソファの背に埋める。


「腹立つがお前の言う通りだ。おれは開発者なのに、ヘンリーが死んでからジェーンやメアリーにろくに触ろうともしてこなかった。その怠慢がオルレアンの敗北を招いたのだから、ラ・イールを倒しジャンヌを破壊する責務がある」

「うん、救世主はいただけないね。目障りだ」

「そこでだ、お前に対フランス軍総司令官としてパリを防衛してもらいたい」

「そんなに僕を戦に引っ張り出したい?」

「おれがオルレアンを忘れるとでも?」


 ずるいなぁ、その目で見つめられたら僕が断れるわけないじゃん。


「でも、停戦協定があるしなぁ」

「協定が切れた後なら問題なかろう。直接戦うのはおれだから心配するな」

「総帥の君が自らラ・イールと戦うつもり? やめときなよ。君が死んだら今度こそイングランドは崩壊するよ?」


「相手はエンパワメントを使っているんだぞ。しかも、ジャンヌの元の姿のジェーンは、おれの最高傑作だ。そしてヘンリーほどエンパワメントを完璧に使いこなせた者はいない。ヘンリーとジェーン、この二人の記憶メモリーを受け継いだジャンヌに対抗できるのは、オリジナルジェーンしかない。おれのメアリーは一度折られてる」

「君がヘンリーの剣でエンパワメントして戦うってこと?」

「そうだ」


「無茶だよ。さっきも言ったけど、君はヘンリーじゃないんだから。それに君が死ぬかもしれない戦いに、ジェーンが協力してくれると思えないな。だって彼女はヘンリーの記憶を宿してるんでしょ? ヘンリーがそんなこと望むはずないもん」


 ああ、ラ・イールなんかに君を渡してたまるものか。


「だから僕のリュクスを貸そう。彼なら何度もラ・イールやザントライユとやり合ってるから、戦い方はよく知ってる。彼をジェーンでエンパワメントさせてよ。きっとジャンヌに勝てる」

「リュクスを?」

「考えてもみなかったでしょ。でも良い案だと思わない?」

 ジョンは少し考えた。


「エンパワメントは、機械と人間が信頼を築いていく過程で発生する特殊な信号パルスで持ち主の最大能力を引き出す。だからヘンリーの記憶メモリーを持ったままのジェーンが果たしてリュクスを受け入れるか……。メアリーが持つおれの記憶をジェーンに融合させるつもりだったがどう———」

「難しいことはわからないけどさ、思い出って人を強くするものでしょ。ヘンリーの思い出を持ったジェーンがリュクスとの信頼を築けたら、もっと強くなれると思うんだけど」


 その言葉に、ジョンの瞳が強い光を取り戻していく。間近でそれを見たフィリップの胸に、泉のように恍惚感が湧き出る。

 一瞬だけど、君の心が僕のものになったよね? 僕のこと好きになったよね⁉︎


「んっふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ!」

 もうキスしたいっ! 今すぐに!


「良いこと言うじゃないか。できないと思い込んでたが、そうだよな! ジェーンを進化させてやる。おい、リュクスはいつこっちに来れる? おれは何日かラボに篭る。屋敷の中は自由に使っていいから、好きに過ごせ」

 言うことだけ言うと、透ける金髪を翻して隣室へ吸い込まれていった。


「ぉふっ!」

 じゃあ君のベッドで寝ちゃうからね。思いっきり嗅ぐからね。秘密の日記とか発見しちゃったらどうしよう!


 杯を空にすると、くねくねの体をソファに横たえた。このまま酔ってしまいたい。うん、酔うしかない。

「それでこそ僕が惚れこんだ男だ。うん、そうだなぁ、もう少しだけならこっち側に居てあげようかな」

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