第9話 オルレアン攻防 2
東西に流れるロワール川の北側に築かれたオルレアン市は、五つの城門を備えた城壁に囲まれている。その周辺に、イングランドは十一もの砦を築いて包囲網を敷いた。
連日、砲撃に次ぐ砲撃。イヤいうほど撃ち込んできたイングランドに、ロワール川の対岸にある最大の要衝トゥーレル砦を、たった一日で奪われてしまった。慌てて市内へ続く橋を落として、イングランドの進軍を止めている。
「遅っっせぇんだよ二人ともよ!」
そんな猛撃に耐え抜いたザントライユが怒鳴りつけるのは、包囲の網を潜って帰還した司令官バタール・ドルレアンに、傭兵ラ・イールだ。
「やぁ済まなかった。シャシャに援軍を要請してきたよ」
「んじゃとっとと加勢してくれ。こちとら疲れてんだからよぉ」
バタールから差し出されたワインの杯をグビグビ空にしていく。しばらくしてグゴゲェップ! と巨大なカエルのような音を口から出した。
「もうすぐスコットランド軍も到着するから、反撃するのはそれからだな」
「総督はのんびり屋ってか」
「私は代理だよ」
派手好みで艶福家の父オルレアン公ルイ、美男で陰キャの兄シャルル・ドルレアンとは対照的に、
しかし、戦場に出れば勇敢そのもの。名ばかりで戦場へ出向こうともしないお貴族様とは一線を画す。その点はこれまで何度も戦場を共にしたザントライユも、文句を垂れながら認めるところだ。
「スコットランドなんざ、ヴェルヌイユで全く役立たずだったわな。今回は汗水と血ぃ垂らして働いてほしいもんだぜ」
バタールも苦笑で頷く。
「相変わらずイングランド兵は根性悪いけど、包囲はそこまでキツくないな、ラ・イール」
「うむ。奴らはルーアン包囲を再現しようとしているのだろう。あの時はまずアルフルールを手中にし、早くからセーヌ川の航行権を掌握していた。だからルーアン市中を流れるセーヌの水を堰き止め、一気に飢えさせることができたが、ロワール川は同じようにはいかない」
包囲戦の勝負を決めるのは、戦力よりも飢えだ。オルレアン市は総周が長く完全包囲ができない以上、補給は完全に絶たれてはいない。川も生きている。
しかも主力を全てオルレアンに振ってしまった総帥ジョンは、パリの防衛から離れられない。
ザントライユの見るからに頑丈そうな
「勝機は十分にあるな」
そうしてイングランドが手をこまねいている間に、スコットランド軍が合流してきた。そこでバタールが打ち出したのは、奇襲だ。狙いはイングランド本隊ではなくバックの補給部隊。
だがモタモタしている間に気付かれてしまった。
「奇襲って言葉の意味わかりますかね!? 英語でサプラ~イズよ? ったくよ、邪魔だけはすんじゃねえよスコットランド先輩よぉ!」
「性懲りもなくまた来やがったな! スコットランドルアアアアァァァ!!」
立ちはだかるのはヴェルヌイユに続いて再度のビーチャムである。
ビーチャムに気付かれてしまったのは、フランス軍のクレルモン伯と、援軍スコットランドの指揮官ステュアートの間で指揮権争いが始まり、奇襲軍が待機するはめになったからだ。シャシャの言う通り、これだからフランス軍は勝てないのだとザントライユですら理解した。
奇襲の機会をみすみす逃したフランス・スコットランド連合軍を、ビーチャムは
「陣を崩すな! お前は左、あそこの陰から狙え! 一発も外すんじゃねえぞ! お前はあっちの援護に回れ」
ベテランの冴え渡る指揮で完璧な陣を組まれては崩せない。
結果、ぶっ潰された。クレルモン伯はほとんど戦わずに尻を向け退却。ステュアートは捕虜にしてもらえずその場でビーチャムに惨殺され、バタールまでもが負傷だ。
荷車からは補給のニシンが散らばり、血とは違った生臭さがたち込めている。
「こんちきしょうめ! ヤーレンソーランどっこいしょだ! ホレお前らも拾って走れ走れ走れってぇの!」
もったいないのでニシンを両手に奪って逃げる。
『ニシンの戦い』はザントライユとラ・イールが奮戦するも惨敗だった。
「くそおぉぉ! お貴族様のしょうもねぇメンツ争いのせいで負けた! 俺はあんたの指揮なら負けなかったと思うぜオッサンよ!」
叫ぶザントライユに、すかさずラ・イールが言い返す。
「お前もオッサンだからな。バタール殿も間に挟まれて難しい立場にあるのだ。我々だけで決められるものではない」
「決める決めないじゃなくてよ、その剣で示せばいいだろうが」
現に殿軍として共に戦った兵士たちにエンパワメントしたラ・イールの姿は燦然と映り、敗北にも関わらず指揮下に入りたいという者が増え続けている。
「『フランスを救え』。あんたの声に共鳴する奴は確実に増えてるんだ。指揮官のバタールですらもな」
「俺ではない。
「兵士とバタールにとっちゃあんたの声さ」
そしてこの敗北を機に、趨勢はイングランドへ傾いていく。いよいよ包囲が狭められ、物資が欠乏し、飢えと不安の限界に達した住民が駆け込んできたのだ。
「バタール様! もう住民は限界です! どうかイングランドと和平を……!」
「ランカスターのジョンは話の分かる男だと思うよ。けど今は勝利目前だからね、交渉に応じてくれると思えない」
「では我々はこのまま痩せ細って骨までしゃぶられるのですか!? かの悪鬼ヘンリーは見せしめでカーンで市民を虐殺したではありませんか! 奴等がこのオルレアンでも同じことをしないとは限りません」
「うん。そうだね。そしたら、ブールゴーニュ公に仲介をお願いしてみようか」
「ブールゴーニュ公ですか? イングランドと同盟している」
「同盟相手の言うことなら摂政も聞かないわけにいかないだろう。ザントライユ、使者としてディジョンまで出向いてくれるかな」
「いいぜ。辛気臭ぇ黒衣の坊主を可愛がってくりゃいいんだな?」
負けた
黒い帽子に丈の長い黒衣、靴まで黒のフィリップは、バタールからの書状に目を通すと、デスクに片肘をついたままザントライユに微笑みかける。
「僕に仲裁して欲しいっていう市民の要望は分かったよ。で、君は何が望みなんだい? 出世したいの?」
「へっ、いきなりかよ。そんじゃフランス大元帥の地位とでも言っておきましょうかねぇ」
「う~~それはあと四半世紀はかかるかな。傭兵上がりの武名だけじゃ無理」
「でしょうな」
「でも僕ならその道筋をつけてあげられる。君とラ・イールのことははっきり言って嫌いだけど、協力してあげてもいいよ」
ザントライユが眉を上げる。
「……本気ですかい?」
「君たちには何度も煮え湯を飲まされてる。僕のリュクスだって怪我させられたんだ。嫌いに決まってるでしょ。それに悪いけど顔も僕の好みじゃないんだよ。年齢の問題じゃなくてさ」
「そっちじゃなくて、協力してあげてもいいの方だっつうの!」
「んふっ」
フィリップは書机の引き出しから一通の手紙を取り出して見せた。まぎれもないフランス王家の紋章がある。
「んふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「ふ、フヘヘヘヘヘッヘヘヘヘヘ! なンだ、俺が来るまでもなかったわけだ」
「そんなことないよ。やっぱ嫌いだって再認識できた」
それじゃもう帰ってねと、接待もしてくれず笑顔で宮殿を追い出される。
「たくよ、フランスを守ってんのは俺たち傭兵。で、命運は
傭兵の出自は様々で、ラ・イールとザントライユは、スペインに近いガスコーニュ地方の出身だった。フランス人ではなく、ずっとガスコーニュ人として生きてきたのだ。パリの宮廷から遠い外様のブールゴーニュ公も同じだろう。
しかしこのフランス大地に暮らすものが、等しくフランス人として一つへ向かいつつある。『フランスを救え』という救世主ジャンヌの声に導かれて。
あァ、いい時代になってきたもんだ。
「強者の刃が時代を加速する。誰もがフランスの英雄になるチャンスがあるワケだ。気分上々じゃねぇか」
◇◇◇◇
二週間後。
執務室に一人、フィリップは通信機器のボタンに指を置く。
「大好きだよ。でもごめんね」
押したのは、ジョンの直通コードだ。
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