第8話 オルレアン攻防 1
ヴェルヌイユの敗戦は、あまりに芸が無かった。自身が参戦したわけではないシャシャには、傭兵どもの言い訳など到底受け入れられない。
「足並み揃えてって言ったじゃんか! もーっ、同じ失敗何度も繰り返してさぁ! いい加減学習しろよ!」
再び逃げ込んだのはフランス中部ブールジュ。顔が半分隠れた前髪を掻きむしりながら、小型犬のように甲高く叫ぶ。
「こんな大敗北やばいって! どうしてくれるんだよ!?」
「スコットランドが足引っ張りやがったんですって。俺たちゃ次のモンタルジでサフォークとビーチャムを破りましたぜ?」
まるでどこ吹く風のザントライユに余計イライラが募って、シャシャは髪の毛を強く引っ張った。指の間にくすんだ金髪が引っかかって、ブチブチと抜ける。
「でも二人ともまだ生きてるじゃんか! そうやって責任転嫁するなよな!」
「とはいえ、イングランド側もヘンリー王の時とは様相が違いますな」
ラ・イールが静かに言う。
「なんだって?」
「ヴェルヌイユでは確かに結束していましたが、今はイングランドの足並みも決して揃っているとは言えない」
「それ本当なの?」
フランス摂政ジョンは、次なる目標をアンジュー(フランス中西部)に決めていた。アンジューを取れば、既に征服しているノルマンディと、元からイングランド領の南西部のアキテーヌが南北に繋がるからだ。東部に広がる同盟邦ブールゴーニュを含めれば、フランスのほとんどを手中に収めることになり、中部に残されたシャシャたちは包囲されたも同然となる。
ところが、ビーチャムやサフォークら古参の将軍は、パリ南方の都市オルレアンを落として、一気にシャシャの元へ南下しようとしているのだ。
「ほっほーぉ、あの二人、モンタルジで俺たちにやられたの根に持ってるってワケだ! オルレアンの総督はバタール・ドルレアンだしな」
モンタルジで先頭でイングランド軍に突撃し、破ったのがバタールだった。
「へえ。で、どっちになりそうなの?」
「どうやら、摂政が押し切られたようです」
それを聞いて、半分前髪に隠れた顔が笑う。表情に乏しく口を開けば情緒不安定なシャシャが笑顔になるなど、真夏に雪が降るようなものだ。
「じゃあ、そろそろ
その言葉に、ラ・イール、ザントライユも唇を歪める。
「打倒イングランドの為には協力を惜しまないと、バタールが申しておりました」
「バタールね……」
本来オルレアンを治めるのは、アジャンクールで大敗した隠キャのシャルル・ドルレアンだ。現在ロンドンに囚われの身のため、異母弟の
シャシャ、そしてケイトとはきょうだいのように育ったが、ある時シャシャはバタールを闇討ちし、重傷を負わせた。
「あいつが悪いんだよ。ぼくと姉上の時間を奪って、姉上と二人で出かけたんだもん」
しかしそれが発覚して以来、姉は口をきいてくれなくなった。一度だけくれた手紙には『自分のした事を恥じなさい。そして生涯悔いるように』とだけ書かれていた。
「でも協力するってことは、過去のことはもう水に流そうってバタールの方が言ってるんだもんね。だからぼくも忘れてあげよう」
今は何よりもフランス王になることが優先だ。
「ぼくが王になれば姉上は帰ってくる。そしたらバタールにもちょっとくらいなら会わせてやってもいいな。ね、ジャンヌ」
◇◇◇◇
オルレアンは、紀元前にカエサルが占領して以来の要塞である。パリ、ルーアンに並ぶ大都市で、フランス第一の親王オルレアン公爵家のお膝元だ。
「シャシャが支配するフランス中部への最後の障害がオルレアンだ。ヘンリー様なら周辺を面で固めるより、オルレアンの点を取って、一気に点を面に変えるはずっしょ」
いつもながら
「だからおれはヘンリーじゃない。同じようにやるなんて無理なんだよ!」
「んなことありませんて。ジョン様は天才なんだから。それに化け物だったルーアンに比べれば、オルレアンはせいぜい怪獣ですよ」
夕食に招いたものの、こんな感じで議論は平行線のままだった。
ビーチャムの言うことは正しい。ヘンリーならきっとそうするだろうし、その方が時間も金もかからない。オルレアンを取れば、シャシャが逃げ込んだブールジュまで一気に攻めることができる。それは分かっているが、しかしだ。
「おれのどこが天才だって? ヘンリーの情況判断力がどれだけすごいと思ってんだよ。おれなんか足元にも及ばねえし。二十年近くヘンリーの側にいたくせに何でビーチャムはそんなことも分からないんだよクソッ」
そんなわけで、昨晩はちょっとヤケになって飲みすぎた。しかし仕事は山積なので、重たい体をずるずる引きずりながら机に向かう。外は嫌になるほどの晴天で、降り注ぐ日光にすら攻め立てられるようだ。
ああ、頭がガンガンする。おれにはヘンリーのような器量は無いのだから、丁寧に固めながら進まなければ背中を刺されるんだよ。オルレアンの方が近道なのは百も承知だ。面倒な遠回りをしようとしてるさ。
「けどアンジュー攻略のために準備してきたのを、ビーチャムもサフォークも全部ひっくり返しやがってさ。おれの時間を返せよちくしょう」
ソファに身を投げ出して目を閉じていると、優しく頭が持ち上げられてやわらかいものの上に乗せられた。ふわっとした手で額や輪郭を撫でられると、ささくれだった気持ちが和む。
「少し頭を落ち着けましょうよ。何も考えないでと言いたいけれど、あなたにそれは難しいのよね」
アンヌの指が金糸の髪をすいてくれるのが心地よい。
「冷たいものでも飲みます?」
「キスしたい」
「え? 今?」
「嫌か?」
身を起こすと、今度はジョンの指がアンヌの黒髪を絡めとる。アンヌが目を閉じたので、艶やかな唇を食べた。
———久しぶりだった。
新婚の頃は一晩中じゃれ合っていたものだ。それがやがて子を得るための行為に変わり、しかしなかなか子はできず、言葉にできない互いの焦りから微妙な距離が産まれていた。タイミングの問題なのかもしれないが、
「あなたは歳をとらないのですか? どうして出会った頃よりもきれいになっているのかしら。まるで美人なお姉さんよ」
「若い頃はこの顔が嫌いだった。けど今は得をしたと思ってるよ」
笑いながら妻をソファに倒し、その上に覆いかぶさる。
今、フランスにおけるイングランド領は最大で、各所に守備兵を配置しなければならない。ビーチャムもサフォークも、ヘンリーのルーアン攻略を再現しようとしているのだろうが、あの時と同じように全軍をオルレアンに傾けるわけにはいかないのだ。
募兵と本国からの増援に頼ったとして、6千が良いところだろう。あとはフィリップがどのくらい援軍を出すか———
すると、アンヌに両手で頬をむにっと挟まれる。
「また別のこと考えてる。もうっ、キスしたいと言ったのはあなたの方ですよ」
「……ごめん」
ブールゴーニュ家は親子兄妹とも長身で胸の薄い細身の家系だった。女の体に好みはないが、アンヌの体は好きだ。
さっきまで頭を乗せていたやわらかな太ももをつかみ上げる。口づけ合いながらソファから転がり落ちて、クスクスしながらそのまま続けた。
果てた後、新婚の頃のように手を繋ぎ、半裸のままくっついてしばらく絨毯に寝そべり、余韻を味わっていた。
「オルレアンを攻略するとして、フィリップは協力してくれるだろうか」
「オルレアンならブールゴーニュ領とも近いですし、きっと。私からも頼んでみますわ」
怪獣を相手にするのだ。一にも二にも資金調達である。各所で三部会を開催して徴税を取り付け、周辺の公領と休戦協定を結び、着々とジョンは準備を固めていった。
最後に残ったのが、黒衣の男だ。
「えぇ~? オルレアンはちょっと無茶なんじゃない? モンタルジで包囲戦に失敗したばっかりだよね。それにルーアンはヘンリーとトマスの二人がかりで半年かかったんだよ。君は一人だし、資金と体力もつの?」
のっけから顔を歪める画面越しのフィリップに、ジョンのこめかみが波打つ。
「包囲戦であの二人に敵わないのは自覚してるが、面と向かって言われると腹立つな。それにルーアンの時はお前の親父が邪魔してきたから余計に時間かかったんだろうが。いいから援軍出せ」
「人の話聞いてた? 僕は賛成できない。だから援軍も出せないよ」
「なんだと?」
「だいたい部下に押し切られるってどうしたんだよ、君らしくもないな。精彩を欠いてるよ。ヴェルヌイユの後からずっと思ってたけど、ほかに何か気がかりなことがあるんでしょ」
「……だから、何でもないと言ってる」
「嘘だね」
話すべきか少し迷うが、選んだのは別の理由だった。
「モーが亡くなったんだ。おれたちにとっては、もう一人の弟だ」
ヘンリーの死後、意気消沈していたモーに故郷アイルランド総督(アイルランドにおけるイングランド王の名代)の地位を与え、帰郷させていた。『ランカスター家にお仕えしたい』と抵抗されたが、これもヘンリーの遺言だからと説得した。本人は最後まで隠していたが、肺を病んでいるのにジョンは気付いていた。
「あと子供ができない。それだけだ」
「そう……。ま、それは僕も同じだから気持ちはよくわかるけど」
フィリップは最初の妻ミシェル、次の妻ボンヌとも死別し、まだ子が無い。互いに三十代、なる早で嫡男を残さねばらないのは同じだ。
「も~ぅ、しょうがないなぁ。やると決めたら君は引かないんでしょ? 僕のリュクスを向かわせるよ。モーに免じて今回だけだからね」
「ああ。アルマニャック派にとどめを刺す」
こうして後顧の憂いを断ったジョンは、周辺地域を次々に手中にしていく。
そしてついに、怯えるオルレアンの眼前にイングランド軍が姿を現したのだった。
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