第10話 オルレアン攻防 3

 着信音に画面を見ると、フィリップだった。

「なんだ? 今忙しい。これから軍議だ、手短に話せ」

 画面をチラと見たきり、ジョンは手元の書類へを視線を戻す。


「うん。オルレアン市が使者をよこしてきたよ」

「だから? 早く言え」

「停戦を望むって」

「それだけか。もう切るぞ」

 包囲戦に半年かけてきた。そろそろ干上がってきたので、トゥーレル砦からロワール川に橋をかけ、オルレアン市内へ総攻撃のつもりだ。その軍議をこれから行うのだから無論、停戦などありえない。


「総指揮はサフォークだったよね。う~ん、彼で大丈夫? これまでのやり方を見てると、イマイチ決め手に欠けてる気がするんだけど?」

「仕方ないだろう、オルレアンを包囲するのにそもそも8千きりの兵じゃ無理があるんだよ。お前がもっと援軍を出せば済む話だ」


「それなんだけど、撤退しようと思う」


 思わず顔を上げる。

「……何て言った?」

「君が停戦に応じないなら、僕はオルレアンの包囲から撤退する。そう言ったよ」


「お前、情況分かってないのか? もう一押しなんだよ。ロワール川を渡り城門へ至る橋が出来上がれば、総攻撃だ。もう最終段階なんだぞ」

「オルレアンはそこまで干からびてないと思うな。バタールは大砲を調達してきたみたいだし。市街戦は双方に多大な犠牲が出る、かなり悲惨なものになるんじゃない。勝てるの?」


「戦が得意じゃないくせにおれに意見するのか? 勝算が無いならやるわけないだろうが」

「目算が甘いんじゃないかと思ってね」

 ジョンが冷たく睨みつけると、フィリップは「んふっ」と肩をすくめて嬉しそうにした。

「君が聞く耳持たずだから、オルレアン市は困ってるんだよ。オルレアンはブールゴーニュ領とも近いし、大量虐殺みたいな禍根は残したくないんだよね。せめて会談くらい応じてくれない?」


「あん? つまりいい顔したいってわけか。なんでおれがお前の顔を立てなきゃならない」

「そういう言い方無いんじゃない? 僕は平和的な方法を提示してるのにさ」

「停戦には応じない。以上だ」

「じゃあ僕は撤退するよ」

「今包囲を解くとか頭悪いのか⁉︎ そんなことしたらこれまでの努力が全て水の泡だろうが!」

「そりゃ僕は君に比べたらカスみたいな脳味噌さ。でも僕がいなきゃ困るんでしょ?」


 黙らされたジョンを、画面越しのフィリップが下から見上げてくる。

「一時停戦、してくれるよね?」

「半年以上かけてようやくここまで来たのに、それはできない。これ以上長期化させないためにも、今ここで勝負を決める」

「ふぅん。僕の頼みは聞いてくれないんだね。なんかいじけちゃうな」

「待て! 何か別の方法を考えよう。例えば降伏した後は減税するとか、懐柔政策はどうだ」

「後のことじゃなくてね、今停戦しなきゃ意味が無いんだよ」


「だからそれじゃっ……! なんだ、どうしたんだよ急にフランスへ歩み寄って。アルマニャック派を倒して、暗殺された父親の仇を取るんじゃなかったのか」

「今更昔のことを持ち出して説得しようって? 君らしくないなぁ。過去に取りつくような真似しないでよね」

 悪戯っぽく口を尖らせる。

「いいかい、君は僕がいなきゃ戦いを継続できない。最初はアルマニャック派を倒すために僕がヘンリーに協力を頼んだけど、今は逆だ。主導権があるのは僕の方だって、そろそろ認めなよ」

 カウチに背を預けたフィリップは、ちょこっと首を傾げてこちらを見つめる。


「はっきり言おうか。僕が同盟したのは君じゃない。ヘンリーだ。ヘンリーを失ったイングランドが、フランスに夜明けをもたらせると思えない。だから僕は撤退する」


 その言葉はまるで、燃える鉄塊を腹に突っ込まれたようだった。

「……おれを裏切るのか。ヘンリーを裏切るつもりか」

 体内の低いところから声を絞り出す。

「シャシャはどんな待遇を提示してきた? 何を約束した⁉︎ 言ってみろよ!」


「僕がヘンリーを裏切る? シャシャとの取引の方が有利だから? とんでもない、君のせいだよ。君が僕を見てくれないからさ」

 その後をジョンは続けられなかった。フィリップは「んふふ」と通信を切る。


 鉄塊が溶けて、体中を駆け巡る。これほどの怒りを感じたのは産まれて初めてだ。

 腹の底から声を上げ、手あたり次第の物を壁に投げつけ、重厚なテーブルを投げ飛ばす。立てかけておいたメアリーを抜くと、家具に、壁に、次々と斬りつけていった。もしこの部屋に人がいたら、間違いなく犠牲になっただろう。


 元々フィリップはオルレアン攻略に反対していたが、これは明らかにアングロ・ブールギィニョン同盟に反する行為だ。だが、今のジョンにはそれを咎めることも、報復することもできない。


「おれじゃ役不足だと⁉︎ 上等じゃねえか」

 荒く震える息を吐いて、剣を床へ突き刺す。

「あいつを……! 必ず戦いに引き摺り出してやる」



◇◇◇◇


 ブールゴーニュ軍が撤退したことで、包囲に穴が開いた。陥落寸前だったオルレアンに物資が搬入され、すんでのところで息を吹き返したのだ。


「半分以上賭けだったけどね、うまくいってくれて良かった良かった」

 からからと笑うバタールだが、水面下でシャシャ、そしてフィリップとの間に凄まじい駆け引きと情報戦を展開したのは聞くまでもない。


「ほんじゃ、後はオッサンに任せましょーかね」

「お前もしっかり働くことだ」


 ラ・イールがザントライユらを引き連れ、イングランド軍の最前線サン・ルー砦へと攻め込む。同盟軍撤退の動揺から立ち直れないイングランド兵はこれに耐えきれず、砦を明け渡してサン・ジャン・ル・ブラン砦へ逃げ込んだ。


 半年間以上ビクともしなかった砦が一つ落ちた。

 オルレアン市が、フランスが歓喜しないわけがない。勢いのままサン・ジャン・ル・ブラン砦を強襲する。赤々と炎上する砦はまるでラ・イールの赤髪のようで、イングランド兵の胸に確かな恐怖を刻みつけた。


 この勢いを軽視してはならない。イングランド軍は警戒したはずだった。


「だが、次のオーギュスタン砦も落ちた。あんたとジャンヌの前じゃ、誰もその運命から逃れられねぇな。くわばらくわばらだ」

 顔中を返り血まみれにしたザントライユが、肩をヒクつかせる。


 躍進する現場に対して、幕僚部は優雅にワインを酌み交わしながら、繰り返す議論は指揮権のことばかりだった。そんなお貴族に愛想を尽かした兵士が続々と集まっている。

 皆、戦いたいのだ。———フランスの為に。


「そろそろ王手といきますかい?」

 ザントライユ以下、戦士たちが出撃を今か今かと待っている。

 見上げる先にそびえ立つのは、かつてたった一日で奪われてしまった要衝、トゥーレル砦。


 まず城塞本体手前に、濠に囲まれた内庭バービカンを設けている。四方は人の背よりも高い石塀で覆われ、入り口は板塀で幾重にも囲われていた。この防御をやっと破ったとして、まだ内庭なのだ。砦というよりもはや城の面構えで、ロレーヌ川の橋頭堡きょうとうほでもある。


 そして今まさに、オルレアンの喉元に手をかけようとイングランド軍が橋が作っていた。

「明日にでも橋は出来上がってしまうでしょう。このままトゥーレル砦を取り戻すのです」

 ラ・イールの頭の中に直接語りかけて来るジャンヌの声。


 神に遣わされし救世主ジャンヌを宿したラ・イールの大剣が、フランス軍を一つにまとめ上げた。戦士たちの心は、オルレアン解放という一つの旗の元に集っている。


「敵の守りは強固だ。言うほど簡単ではないぞ」

「けれども、戦士たちは必ずやり遂げます。そして私はあなたと一つになり、最大能力を引き出します。神より与えられし力が勝利に導くのは、イングランドではなくフランスなのです」


「神より与えられし力か」

「オルレアンを解放し、王太子殿下をランスで聖別させる。神が私に与えられし使命です。だからあなたに力を授けます」


 機械にとっての神が誰なのか、ジャンヌと深く語ったことはない。創造主のそれと同じなのか、全く別の神がいるのか。ただ、自分たちの関係は議論を超えたところにあると思う。


 ラ・イールが大剣を抜き、空に掲げると、3千人の雄叫びが地を震わせる。このままトゥーレル砦の外壁を壊しそうな勢いだ。


「いける! これならいけるぜ! そらドンドン撃てェェ!」

 興奮を抑えきれぬザントライユの大声。防御柵で陣を整え、内庭バービカンへ向け砲撃が始まった。


 飛び道具の応酬がひと段落付けば、次は突撃していよいよ勝負だ。

 ラ・イールの赤マントがなびく。


「行くぞジャンヌ。エンパワメント!」

「フランスを救うために」

 冷たい感覚が全身を駆け巡り、ラ・イールは駆け出した。

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