第6話 綻び

「ほんと見事だったよ。末端の一兵卒までが目の前のお宝を捨ててスコットランドを倒しに向かうなんて、考えられない。君の統率力には恐れ入ったよ。内政だけじゃなく、戦場でもあんなカリスマを発揮するんだもんね」

 ブールゴーニュ公フィリップは満面の笑みだった。


「フン、お前に褒められてもな」

 なのに通信画面の中のジョンは一つも笑わないし、可愛くない。


「なんだよ! そっちは大勝だけど、こっちはまだ決着してないんだからね」

 ヴェルヌイユの戦いに勝利のイングランドは、多額の賠償金と領土を手に入れるだろう。交渉は真っ最中で、ヘンリーが獲得した版図をジョンが更に広げるのは間違いない。

 王太子シャシャは再度南部のブールジュに逃げ込み、フランス王家はまさに存亡の危機に立たされている。


「君がすごいとこ見せつけるから、またハンフリーがねるじゃん」

「勝てば手に入れる。戦争はそういうもんだろうが。何だ? 負ければ良かったと思ってんのか? あん?」

「どうしてそういう解釈するかなぁ。君の方こそ何イラついてるんだよ。なんかあった?」

「別に」


「その傷はラ・イールにやられたんでしょ? ザントライユにも逃げられたし。それで不機嫌なの?」

「は? 戦場に出る以上命は無いものといつも思ってる。この程度の怪我で済んだんだからむしろ喜ぶべきだ。そんなことも分からないのか」

「僕は戦なんかで死にたくないもん。じゃ何なのさ?」

「だから何でもないと言ってるだろうが」

「あっそ、僕には話してくれないわけね」

 いつもそうだ。こっちは手の内胸の内を晒してるのに、彼は何も語ろうとしてくれない。


「じゃあ本題に移るけどね、エノー伯領(ベルギー中部、フランス寄り)をハンフリーに取られたよ。あっという間だった」

 エノー、ホラント、ゼーラント三伯領の領有を主張するハンフリーの妻ジャクリーヌが、称号を取り下げるどころか侵攻していた。ジョンはハンフリーの配備状況から想定される戦術まで全ての情報を提供してくれたが、それでもブールゴーニュ軍の包囲を破られてしまったのだ。


「どうしたらいい? やっぱきついよ」

「当たり前だ、ハンフリー軍の突破力はイングランド一だぞ。あれを抑え込めたら心から誉めてやろう」

「弟自慢を聞かされてる場合じゃないんだけど?」

 寝台で身を起こしたジョンは指を組んで、しばし沈黙した。半分伏せた目で一点を見つめ、じっと考えている。

 画面の中の顔は青白い。ヴェルヌイユで負った傷は深く、しばらくは絶対安静なのだという。白いブラウスを羽織る下、包帯の胸元が痛々しい。


 うんうん、いつもの輝くような色気もいいけど、弱った顔も悪くないなぁ。なんかこう、くすぐられるっていうか。

 すると、下から俯瞰してくるアイスグレーの瞳と目が合う。

「んふっ」


「あいつの弱みは何だと思う?」

「ふ? えっと、あんぽんたんな頭」

「間違いじゃないが、正解は嫁だよ」

「あー、きっと尻に敷かれてぺっちゃんこ」

「嫁を捕らえろ」

「ふ⁉︎ それだいぶ卑怯だね」

「ハンフリーはどこまでも正面からぶつかろうとするだろう。お前は裏をかけ。ジャクリーヌは、顔だけじゃなく気性までお前の父上によく似ていてな、戦う女なんだよ。だから共に上陸しているはずだ。うちの密偵に居場所を突き止めさせるから、嫁を人質に捕らえろ」


 フィリップの父ブールゴーニュ無怖公は、十字軍として異教徒を相手に勇猛に戦った。それこそが”無怖公”の名の由来である。ジャクリーヌの母は無怖公の姉だ。

「分かった、君がそう言うならやるよ」

「ジャクリーヌの元にはリュクスを向かわせろ。ごく少数の精鋭で、ハンフリーに悟られないよう短時間でな。その間、お前はハンフリーの本隊と組み合って抑えるんだ」

「知っての通り僕は戦が得意じゃないけど、リュクス無しで僕にできるかな?」


「堪えて踏ん張るだけでいい。それでも心配なら遠隔でおれが指示してやる」

「それならやれそう。ハンフリー軍に勝たなくてもいいんだよね」

「そうだ。嫁を捕らえればこっちの勝ちだ」

 ジョンが求めるのは結果だけ。勝ち方は卑怯な手でもなんでもいいのだ。いやいや、戦わずして勝つのは理想的といえよう。


 それから三日後、警備をすり抜け音もなくフィリップの私室に侵入してきたのは、グリーンのワンピース姿の女性だった。

「えっと、もしかしてジョンの密偵?」

「……服を着ていただけませんか」

「ぼっ僕は一人で過ごす時はいつもこうなの! 公務時間外に黙って侵入してくる方が悪いんだからね!」


 密偵って普通、半分顔を隠した渋い声のオッサンとかじゃないの? 密偵が美女とかありえないんだけど。なんなのランカスター王家。

 ブツブツ文句たれながら全裸の体に黒衣を引っ掛ける。

「お待たせ。で、ジャクリーヌは見つかった?」

「はい。エノー伯領のモンス城におられます」


 改めて正面で向き合うと、削り出した水晶のような女性の美しさは際立っている。若くはない気もするし、童女のような底の無さもある。そして隠しきれない深い悲しみが奥に宿る瞳に、えも言われぬ魅力があった。

「ハンフリー様に悟られないよう、現地まで我々がリュクス殿を援護します」

「頼むよ。君はジョンに仕えて長いの?」

「アタシの主君は、亡きヘンリー陛下です」


「そっか。君はランカスター家の為に身命を賭すつもりなんでしょ? 自分が死んだ後もそこまで尽くさせるなんて、やっぱヘンリーは大きい男なんだな」

 彼女がちょっと目を丸くする。その仕草が少女のようでかわいい。


「ハンフリーと争う形になって、君は割り切れているの?」

「………はい、とは言えません」

 迷いながらも嘘を言わぬ姿にフィリップは好感を持つ。

「ハンフリーに冷たい風を吹かせるなって、ヘンリーの遺言だよね。ジョンもそんなつもりはないんだろうけど。ま、僕も力を尽くすからさ、元気出してよ」

 フィリップがそう言うと頭を深々と下げ、密偵はバルコニーから去っていった。


 リュクスの行動は思った以上に早かった。彼女が賊やフランス軍に遭遇しないよう誘導してくれたのだという。奇襲にジャクリーヌは自ら剣を持ち抗戦したが、あえなく捕らえられた。

 守備の陣を敷いていたフィリップは交戦中のハンフリーにすぐさま使者を飛ばし、この事実を伝える。早速呼びつけると、ぶすくれ顔でハンフリーが現れた。


「ジャクリーヌに酷いことはしてないだろうな?」

「当たり前でしょ、僕は非道なことはしません。それよりさぁ彼女、前に会った時よりますますたくましくなってたよ? 一体何を食べたらあんなになるのさ?」

「……鶏のササミとか卵とか」

 高タンパク低脂質低糖質だ。

「びっくりだよ、実の息子の僕より無怖公に似てるもん」

「よく言われる」

「どこが好きなの?」

「うっせぇな! 良いだろうがもう結婚してんだし! お前に関係ねえだろう!」


「関係ないだって? なに言ってんの、僕はジョンの義兄だから君とも兄弟なんだよ。ここは大事な点だ。今でもまだ君は、妻の為に僕との同盟を反故にして兄貴のジョンの顔に泥を塗り、祖国を混乱させてもいいと思ってるの?」

 ハンフリーは答えられない。

「彼女が大切なのは分かる。けど本当は間違いだったって気付いてるんだよね?」

「……妻の助けになりたいし、彼女の人生が輝くようにしてやりたい。今でもそう思ってるよ。けど」

 フィリップは続きを待った。


「………ジョンを裏切るのは、望んでない」


「よく言ってくれたね。うんうん、それでいいんだよ」

「なんだよ偉そうに。お前の方が年下のくせに」

「いいじゃんか。今回のことは賠償金で水に流してあげるからさ」


「え、それじゃ軽すぎるだろ。まさかジャクリーヌを幽閉する気か? オレは捕虜になってもいい。けど彼女のことは———」

「全ては彼女が引き起こしたことだ。夫の君は強要されただけ。そしてこの婚姻は最初から無効だったとローマ教皇に申し立てること。そういう形にしないと納められないよ」


「そんな……」

 ハンフリーの瞳が揺れる。これがジョンなら、一切迷うことなく即断し妻を切り捨てるだろう。

「そこが君の良いところなんだけどね。僕が同盟を破棄しない代わりに、君が負わなきゃならない咎めだ」

 顔を覆うハンフリー。しかし決心し、頷く。

「わかった。お前の言う通り、イングランドの為にオレと妻が負うべきだな」

「それともう一つ。ジョンと話をして。君、ずっと無視してるらしいじゃん。そしたら許してあげる」


 最初からそのつもりで通信機器を持ち込んでいる。またハンフリーはぶすくれるが、画面の中にジョンが映ると、キュッと拳を握った。

 躊躇うことなく先に口を開いたのはジョンだ。


「フィリップに感謝しろ」

「分かってるよ言われなくても」

「ヘンリーが即位した時に、トマスが言ったのを覚えているだろう。兄弟の誰かが祖国を裏切るなら、命を懸けて阻止すると。だからお前が一国の王になりたいと言うなら、おれはトマスに従い全力でお前を倒す。けどそうじゃないなら、まだ間に合う」


 療養中のジョンには覇気が無い。しかしいつもと違い、かっちりした結び目が解けたような温みがある。


「お前を待ってる。戻ってきてくれ」


 ジョンなら、怒鳴りつけて辛辣な言葉でなじるはずだった。その性格は誰よりハンフリーが熟知している。幼い頃から散々泣かされてきたのだ。


「………うん」


 通信を切ると、おもむろにフィリップは杯を二つとワイン瓶を取り出す。

「ほら、愚痴なら僕が聞いてやるよ。ジョンには黙っておくからさ」


 それからハンフリーが酔い潰れた深夜、暗い執務室に一人戻った。書机の燭台を灯してしばらく炎を眺め、引き出しから一通の手紙を取り出す。フランス王家の紋章で封印されたそれは、すぐ灰になるよう敢えて紙にしたためられている。

 これを待っていたのだ。


「ねぇジョン、君が僕に全部見せてくれないからだよ。僕は君の心が欲しいのにさ」

 それにね、フランスに夜明けをもたらすのは君じゃなくて僕なんだ。


「んふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」



◇◇



 しかしジョンの悩みはこれで終わらない。またしてもハンフリーがやらかしてくれたのだ。

 

  

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