第5話 第二の決戦ヴェルヌイユ 2

 体の表面ではなく、奥の方で痛みを感じる。鎧に刻まれた斬撃は体の奥深くにまで届いていた。

 これ、まずいな。死ぬんじゃないか———

「死なせねーわ! 急所はギリギリ外したし、出血止めるからしっかり立ちなさいよ!」


 え、血を止めるとかできるようになったの? いつの間に?

 激痛に声も出せない。


「そうよアンタが忙しくてかまってくれない間にね! アンタの心と体の中のことは、妻よりずっとずっとよく知ってるんだからっ!」

 そっか、寂しかったよな。ごめん。


「総大将なんだからしっかりしなさい。刀身が折れてもエンパワメントは解けないから」

 うん。


 斬られたのは右肩から胸と、左腹から太腿。認識した途端、冷たい汗が額から噴き出て、膝が折れそうになる。

「さすがに死なぬか」


 ラ・イールが振りかぶる。モーションが速い。すんでのところを折れた剣で受ける。ラ・イールが突く。ジョンが払って、斬りつける。ラ・イールが防ぐ。超速の応酬に周りの者は思わず目を奪われる。

 しかし折れて短くなった剣ではジョンの攻撃は届かない。


「!」

 受けが間に合わなくなった時、ラ・イールの大剣が目の前に迫る。頭にもろに食らい、そのまま首がもげたような衝撃で倒された。昏倒しなかったのはメアリーのおかげだろう。


 早く、起きろ。このままじゃ死ぬ。動け!

 思考は前に進むのに、体はちっとも動かない。

 あぁそうか、倒れた時に剣を手放してしまったからだ。掴め、早く。くそ、どうしてこんなに体が動かないんだ。


 やたら緩慢な動作でやっと柄を握る。瞬きするより速く、全身が翻り強制的に立ち上がらされた。見るとラ・イールの剣が一瞬前まで寝ていた場所に突き刺さっている。

 今頃になって後頭部からじわじわと痺れが広がり、すぐに割れる痛みに変わる。


「あ……っううぅぅっっ!」

「痛みなんか気にしてる場合じゃないわよ! テメェよっくもアタシのジョンの頭カチ割りやがってんンなろーーー!」

 待ったなしでラ・イールの大剣が飛んでくる。傷ついた体をメアリーに引っ張られながら、ジョンは奥歯を噛んでなんとか耐える。


 兄トマスを殺されただけではない。ラ・イールは殺害した相手の遺体を木に吊るすという残虐な男で、ジョンの配下も餌食になった。その憎悪を体中に巡らせれば、痛くても走れるし、剣を振る力も湧く。


「なにがエンパワメントだ? 人をおちょくるのも大概にしろ」

「ハッタリではない。エンパワメントはお前のものだけでは無いし、我々には救世主ラ・ピュセルがついているのだ。その身をもって理解するがいい」


「救世主……? フン、ついに神頼みとはな」

 確かに、攻撃の威力もスピードも数段上がった。だがエンパワメントなど、おれ以外に開発できる者がいるものか。もしいたとしても、おれたちの他に使いこなせるものか。


「いや待て」

 アジャンクールでハンフリーの脚を貫き、ヘンリーに迫ったアランソンの強さはちょっと異常だった。エンパワメントしたヘンリーの本気の一撃を受け止めるなど、常人の筋力では不可能なのにだ。

 ボージェの戦いで、ラ・イールから執拗に追われたトマスは己の死を悟り、相棒ボリングブルックを奪われてはならないとサフォークに託した。戻って来たボリングブルックは、開発者ジョンのアクセスにすら心を閉ざしたままだ。


「エンパワメントを完成させるために、二人のデータを狙っていたのか」

 大剣が目の前に迫る。

「それでトマスは死んだ……」

 やっぱりおれのせいだ。トマスも、ヘンリーも、死んだのはエンパワメントが原因だった。


「弱気⁉︎ 今ここで弱音吐くとかバカの極みだし! アンタが死んだらそれはイングランド軍の敗北だっつんだあァァン⁉︎」


 メアリーの往復ビンタ。ハッとさせられ紙一重のところで大剣をかわし、折れた剣で丸太のような腕に斬りつけた。しかし手応えまでもが丸太で、骨を絶つまでは至らない。再び高速で剣と剣がぶつかる。かれこれもう、五十は打ち合っている。


「お前らにエンパワメントが使いこなせるものか。所詮は二番煎じなんだよ、お前も、シャシャの開発も」

 一人端末に向かいブツクサやっているというのは、それだろう。


 エンパワメントシステムはジョンの心。そして偽りのない言葉だ。


 機械とはいえ完全に制御できるものではないし、勝手に動いて成長する。だから共に開発を担う仲間でさえも、全く同じように再現するのは不可能なのだ。

 にもかかわらず、見様見真似のエンパワメントなど———


「全部破壊してやる」

「俺に剣を折られたのに、敵うとでも?」

「おれ一人で勝つんじゃない。イングランドをなめんなよ」


 その時、波が押してくるように壁が圧をもって取り囲む。

「あれがトマス様の仇だ! かかれぇっ!」

 ザントライユ隊を押し包んだサフォークの軍勢が、そのままなだれ込んで来たのだ。

 血飛沫が飛び交う乱戦。ジョンは傷ついた体でなお、折れた剣を振るう。たとえこの身が壊れても、今日ここで報いを受けさせねばならない。体を支えるのはもはや気概だけだった。


「すぐにジョン様を保護しろ!」

 余計なことを、とサフォークに言ったつもりがかき消される。麾下きかに囲まれると次第にラ・イールとの距離を遠ざけられ、その姿は見えなくなってしまう。


「無茶です、もうお下がりください! ジョン様!」

「ヘンリーは片目を失った時、顔に矢が刺さったまま指揮を続けたんだ。おれだって」

 体力はもうゼロ、立つのもやっとだが、応急処置だけ受けるとすぐさま引き返す。


 壁となったイングランド軍の猛攻に耐えきれず、フランス軍は散り散りになってヴェルヌイユ村へと逃げこんだ。こうなれば兵士らにはご馳走の時間で、あとは略奪ハヴォックの合図を待つのみである。

 だが、ジョンの口から出たのはその言葉ではなかった。壊れたかぶとを脱ぐと、透ける金髪に白皙はくせきの額から首まで伝った血糊があらわになる。


「まだスコットランド軍が残っている。奴らは我が父に反旗を翻したウェールズと結び、長兄ヘンリーの片目を潰した。そしてフランスと共に次兄トマスの命を奪った。おれには憎んでも憎みきれぬし、いくら殺しても足りぬ!」

 兵士らは息を飲んだ。サフォークまでもが黙った。


 見るからに高潔で眉目秀麗。見た目だけではない、あらゆる面での秀逸さが無意識のうちに物腰へにじみ出る、取り澄ましたちょっとイヤな男。命令は通信機器で遠隔で済ませ、自分は戦いもせず奥方とパリでショッピング。それが彼らの知るジョンの姿だった。


 だが今はどうだ? 穴が開いた鎧で痛みに震えながら気力だけで体を支え、流れた赤に金糸の髪が貼りついた顔や首筋には青筋を浮かせて。そして体の奥から絞り出すように声を張り上げる。あの怪我だとそれすらも命懸けだろう。


「今日を戦う者一人一人がイングランドの誇りだ! その力を結集し、今こそ憎きスコットランドを叩きのめす! 永遠の宿敵などと向後一切呼ばせるものか。スコットランドの命運は今日尽きる。おれに続け!」


 後に続くのは、うるさいほどの雄叫び。このお方はやはりランカスター王家の血筋だ。アジャンクールでヘンリー陛下と共に勇敢に戦った戦士の心を失ってはいないのだ。


 興奮が伝播し、ヴェルヌイユ村に向かった軍勢はお宝を前に誰一人欠けることなく進路を変え、ビーチャムが組み合うスコットランド軍へと向かった。

 フランス軍と傭兵を撃破できたのは、ビーチャムがスコットランド軍とがっつり組み合い動かさなかったからだ。


「これで好きなように動けるだろう? 存分に暴れまくれ」

「感謝するぜジョン様ぁぁ! ヴルアアアァァァ!!」

 もはや孤立無援状態のスコットランド軍に、なす術はない。


 高貴な捕虜を取れば、莫大な身代金を手にすることができる。だがビーチャムをはじめ誰一人として捕虜を取ろうとはせず、スコットランド軍は全員等しく戦場に打ち捨てられた。


 夕方から始めた戦は、こうして日没を待たずして決着した。

「ジョン様の思惑通りになりましたね」

 しかし、またもザントライユとラ・イールを取り逃がしている。


 サフォークに言葉を返すことなく、ジョンは戦場を後にした。

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