第3話 覚悟

 高速で飛んでくるガラス細工のランプをかわす。背後でガッシャーン! と派手な音がするが、それを上塗りするようなジョンの怒号だった。


「ざっけんな! お前、この同盟がどれほど重要かちゃんと説明したんだろうなぁあ⁉︎」

「しましたよモチロン。ハンフリー様も分かってました」

「分かってんのかよ! ああぁタチが悪ぃぃ」

 ブラッドサッカーはロンドンとパリを往復だった。ハンフリーと直に会い説得を試みたのだが、芳しくない。


「ジャクリーヌ妃が流産して、可哀そうだからって。主張は変わらずエノー・ホラント・ゼーラント三伯領の継承でっとぉ…!」

 連続でインク壺、花瓶、椅子が飛んでくる。

「か・わ・い・そーだぁあああ⁉︎ お優しいこったなぁアアぁん⁉︎」

 さて、頭に血が上りきった兄貴にここからどう説明しようか。

 ブラッドサッカーがちょっと考えた時だった。ドアが開き、黒髪が滑り込んでくる。


「あなた、準備が整いましたので参りましょう」

 新妻のアンヌだ。下ろした黒髪が美しく、すらっとした体形やふわっとした物腰は兄フィリップによく似ている。

 この妻が、できる。

「お気持ちは分かるけれど、怒ったままでは何もかも台無しになりますわ。さあ、深呼吸して」


 想定外のフランドル侵攻に激怒しているのはジョンだけではない。当然ながら領主フィリップも怒り狂っている。


 知らせを聞くや否やアクセスしてきて、『取り下げさせるって言ったよね、話が違うじゃん! 僕を騙すとか許せないんだけど⁉︎』

『今対処してる! 被害的になんなよ黙ってろ』

『なにその言い方腹立つなぁ! もう同盟打ち切るよ!』と、かなり険悪になった。


 それを横で聞いていたアンヌはすぐさま兄と夫の公式会談を設定し、双方に顔が利く商人ブラッドサッカーに仲裁を求めたのだ。


「言っとくけど、三伯領の正式な相続人は僕なんだから、大義は僕にあるからね」

 しかし客間のフィリップはのっけからケンカ口調だった。ジョンの血管がいきなり切れるのではないかとヒヤリとする。


「そんなことはジョン様は十分にお分かりです。お兄様、私の夫は味方なのですよ? もう少し言葉をお慎みくださいな」

 ぴしりと言い返すアンヌ。


「この件に関しては全面的にお前を支援すると言っただろう。忘れたのか」

「じゃ具体的にどうするつもりなのか聞かせてよ。どうせハンフリーは聞く耳持たずでしょ?」

「今、ブラッドサッカーを通じて説得してる」

「じゃあなんでこんな事になったわけ?」

「それは、なんていうか、おれがちゃんと話をできなかったせいだ」

 ジョンが素直に認めた。これは意外だ。


「ほらほらぁ、ジョン様もこう言ってることだし、フィリップ坊ちゃんも一度怒りを収めてぇ。ね?」

 すかさずブラッドサッカーはフィリップの肩を持つ。

 アンヌはジョン側に、ブラッドサッカーはフィリップ側に。申し合わせてはいないが、アンヌとは意図が通じ合っている気がする。


「俺はハンフリー様と直接話してきましたけど、彼にはフィリップ坊ちゃんに対抗しようという気は無かった。むしろ対抗相手はジョン様の方だ」

「ふぅん、やっぱりだね」

「そうですか。予想通りですね」

「なんだと?」

 一人きょとんとするジョン。


「んふふふふふふふふふふふふふふふ。やっぱり君は気付いてなかったんだね。いいよ、教えてあげよう。ノルマンディの統治で君は極めて高い内政手腕を見せつけた。はっきり言ってヘンリー以上だよ。一方ロンドンで内政をあずかるハンフリーの方は、必ずしも上手くいってない。これってハンフリーには面白くないよね?」

「護国卿もジョン様に任せてはどうか。事実、ロンドンにはそんな動きがあるんです。護国卿どころか国王にとさえ」

「ありえん! どこのどいつだそんな馬鹿げたことを言い出すのは! ボーフォートか⁉︎」


「ところが自身の地位が危ぶまれるハンフリー様にとっては馬鹿げたことじゃない。ジョン様の存在は、妬ましい脅威でしかないんですよ」

「……てことはつまり、おれへの当て付けであいつはこんなことをしたと?」


 来る……! 来るぞ。

 三人はジョンの怒りが爆発するのを固唾を飲んで見守る。

 だがジョンは長い息を吐くと、諦めたように言ったのだ。

「おれもトマスにそうだったからなぁ」

 それがあまりに意外だったので、思わずブラッドサッカーは聞いてしまう。

「え、ジョン様が? トマス様に嫉妬を?」


「おれの方が頭も顔も運動神経も良くてあそこもでかいのに、トマスには一度も勝てた気がしないんだよ」

「ぉふ? それ自分で言う?」

「悪いか。おれに惚れるなよ」

「んぶっ⁉︎」

「ヘンリーの失った視力を取り戻せないかと言い出し、父上を説得しておれに開発を進めさせたのもトマスだ。初めての海戦でおれに全面的に指揮させてくれたのもな。そうやっていつも自分は表に出ずに、おれやヘンリーを立てるんだ」


「さすがトマス様っすね。懐が深いなぁ」

「ヘンリーなんか『勝負は手加減無しだぜ!』って、盤ゲームでも戦いごっこでも弟相手にいつも全力で勝ってたから、トマスはああなりたくなかったんだろうな」

 ふふっと、ジョンは笑った。


 そしてフィリップに向き直る。見つめられたフィリップは背筋を正した。

「お前とは争いたくない。ハンフリーはおれが直接追い返すから、これで手打ちにしてくれ。頼む」

「僕は、ほっほほ惚れてなんかないからね!」

「?」


 ———ヘンリー様、聞いてますか。弟二人に何て言います?


 季節の変わり目の嵐が吹き荒れた日、ヘンリーの見舞いでヴァンセンヌ城を訪れた。雑談に花が咲き、まさかあれが最後になるとは思いもしなかった。その時に聞いたのだ。


『どうしてハンフリー様の恋愛結婚を認められたんすか? 王弟は普通、政略結婚でしょう?』

『結婚するには何年か付き合ってからって条件付けたがな。俺もトマスも、一人の女を幸せにする為には生きられなかった。たぶんジョンもな。けど兄弟のうち一人くらいそうあってほしいじゃねぇか』


 そういえば以前ヘンリーは、猪頭亭の娘ジュリアに恋心を抱いていたと弟たちから聞いたことがある。


『一人の女の為に人生を賭ける。誰でもできることじゃねぇよ。何もかもを捨てていいと思える相手に出会えた奇跡を信じてやりたいんだ』

 確かに、簡単なことではない。


『お前ぇはどうだ?』

 そして茶化さずに聞いてきたのだ。その答えを伝えられぬまま、ヘンリーは逝ってしまった。


 共に生きられるのなら、地位も財産も、事業もすべて捨てて構わない。ヴァイオラの為なら覚悟している。

 だがそんなブラッドサッカーの想いを見透かしたように、ヘンリーの死後、ヴァイオラは姿を見せなくなった。


 心配で心配で、すぐにでも会わせてほしいとジョンに頼みたいが、今はこうしてランカスター家の役に立つ事こそ彼女の望みだと自分に言い聞かせている。


「僕だって本当は、君たちの仲直りを望んでるんだからね」

「おれは何にも悪いことしてないんだけどな」

「またぁ、そういうところがハンフリーの神経を逆撫でしてるんだよ。自覚持ちなよ」


 二人の応酬を聞き流しながら、ふとアンヌと目が合う。大役を果たした安堵感からか笑顔を向けられたので、ブラッドサッカーも片目をつむって応じた。


「失礼します! 火急の伝令にございます!」

 その時、扉を叩いて従者が割って入ってくる。

「重要な会談中だぞ」

「はっ、しかしサフォーク伯より至急の連絡で、速やかにジョン様へ申し伝えるようにとの命令にごさいます」

「ここで申せ」


「ヴェルヌイユを奪還した王太子が、1万の大軍を招集しています。このままではノルマンディが脅威に晒されるため、大至急援軍を要請すると」

 ジョンの顔色が変わる。


 ヴェルヌイユはノルマンディの街の一つで、首都ルーアンと主要街道で結ばれている要所だ。

 これまでヘンリーから逃げて決戦を避け続けてきたシャシャがついに、勝負を仕掛けてきた。

「このくそ忙しい時に…!」

 1万を相手に、サフォークが総大将では荷が重いだろう。


「君が出向くしかないんじゃない? 迷ってる場合じゃないと思うけど」

 フィリップはちょっと肩をすくめた。

「でも援軍は出せないからね。僕だってハンフリーの相手で手一杯だもん」

「……それしかないな。弟の軍の配備状況を調べさせてるから、判明次第全て伝える」

「うん。それとね、君は追い返すだけのつもりだったろうけど、情況によっては僕がハンフリーを討つことになるよ。それでもいいんだね?」


「構わない」

 寸分の迷いなくジョンは答える。

 それとは対照的なアンヌの不安そうな表情を、ブラッドサッカーは見守ることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る