ジョンの章 ジャンヌダルク篇

第1話 フランスを救え

 天には黒雲がたれこめ、真昼なのに夜のような暗さだ。

 イングランド王ヘンリーの死から、半年が経過していた。


 ブールゴーニュ派にパリから放逐されて以来、フランス王太子シャシャは中部のブールジュへ逃げていた。玉座に腰掛けながら、長い前髪を指ですいては何本抜けたか数え、また同じことを繰り返している。


「どうして姉上は戻って来ないんだよ!」

 ヘンリーの棺と共にイングランドへ帰国し、ロンドンでの葬儀を取り仕切ったのは姉のケイトだった。でもいくら忙しいと言ったって、手紙の返事くらい書けるはずだ。


「もうあいつはいないんだから、姉上は何にも我慢なんかする必要ないのに」

 姉上は優しいから、きっとあんな奴の為にも涙を流したに違いない。そう思うと髪を引っ張る手に力が入る。五本抜けた。


「もしかして、監禁されて手紙も出させてもらえないのかも」

 この半年間で四十五通送ったのに、一度も返事をくれていない。帰国するようしたためた手紙は検閲されて、姉の手元に届いていないんじゃないか。


「うん、きっとそうだ。あいつ……ジョンのせいだ。あいつが姉上を帰すまいとしてるんだ! いいや、イングランドに残ってるのはハンフリーの方だっけ」

 だって、姉は一歳の息子を膝に乗せてロンドンの議会に出席らしい。


 赤子のイングランド王ヘンリー六世の存在をを内外に示す為だ。ハリーが継承したのは祖国だけではない。ヘンリーの死からわずか六週間後にシャシャの父、シャルル六世が崩御したので、条約通りフランス王をも継承していた。

 

「姉上にそんなことさせるなんて、あの人でなしの弟たちがやりそうなことだ。か弱い姉上を政治の場なんかに!」

 そういえば亡くなった姉のミシェルも、夫フィリップの不在時にはフランドルの統治をいた。どっちも人遣いが荒すぎる。


「でも姉上がぼくを差し置いて、ヘンリーの息子のフランス王即位を認めるなんてあり得ない。ぼくがフランス王シャルル七世なんだから」

 そう宣言はしたが、即位できていない。理由は一つ、政権を握るブールゴーニュ派が認めないからだ。


「かと思えば、フィリップはフランス摂政を辞退したっていうじゃないか。フランスを支配したいんじゃないのか? 一体何考えてるんだか」

 あの黒衣の男はどうも読めない。それにブールゴーニュを攻めようものならすぐに同盟手のイングランドが動く。


 一方フランス摂政になったジョンは、まずノルマンディの統治を安定させようと、フランスでは形骸化していた議会政治を始めた。民意の反映に努め、ヘンリーが課していた重税を引き下げたのだ。


「税を上げるのは大変なことだけど、下げるのはにべもない。兄王が残した遺産を早速使っちゃったわけだ」

 しかし、反乱を煽ろうにもこれでしばらく手出しできなくなった。盤石のノルマンディに攻めどころは無い。パリと周辺もすべて奪われている。


 とはいえ、王国の中部以南の広大な領域を支配しているのは王太子派の方だ。

「だからぼくが本当のフランス王になる道筋をつけなきゃ。そうだよね?」

 フランス王の名の下にきっと姉は戻ってくる。そうしたらまた二人で暮らせるのだ。


「御意」

「いっちょやりますかい」

 答えたのは二人の傭兵、赤マントのラ・イールと髭面のザントライユだ。


 言葉には決してしないがヘンリーの軍事的指導力は卓越していて、全く勝てる気がしなかった。それだけは認める。

「だからヘンリーが消えてイングランドが動揺している今こそ、全面的な交戦に出る。当然勝てるね?」


「愚問ってもんだ。俺たちが王弟トマスを殺してイングランドを敗北させたの、お忘れですかい?」

 ザントライユは黒々とした顎髭を撫でる。


「銃撃と足さえ止めれば恐るるに足らぬとあの戦いで証明した。ヘンリー亡きイングランドは、以前程統率されていない。つまりあとは我らの団結次第だ」

 ラ・イールは、赤マントに負けぬ炎のような赤髪で答える。


「そこなんだよ、ぼくたちの弱いところは。アジャンクールでシャルル・ドルレアンの敗因も同じ。まとまりに欠けるんだ」


 ヘンリーが遠征に集中できたのは、祖国が安定していたからだ。最初の遠征前にケンブリッジ伯が暗殺をはかったものの、それ以降無い。

 そしてグレートブリテン島西部のウェールズ地方は、皇太子時代に自らの手で平定している。アイルランドでの宗主権も確立している。

 残るは永遠の宿敵スコットランドだが、なんとヘンリーは王を捕虜にすることで、ブリテン島内での大きな動きは封じ込めている。


 開発技術や戦術ではなく、これこそがイングランドの強さなのだと思う。シャルル・ドルレアンも気付いていた。だからこそケンブリッジに謀反を起こさせ、ヘンリーの統率体制を内部から崩そうとしたのだ。


 一方シャシャも、敵の敵は味方の理屈でスコットランドとは同盟を結んでいて、傭兵と共にフランス軍の主力にしつつある。

 姉を取り戻すためなら、どんな力だって使うのだ。


「そしたらついに現れたんだ、救世主が。神の遣いだよ。ぼくをランス大聖堂で聖別させて王にすると誓ったんだ」


「へぇ、そら救世主なんてまた胡散臭い匂いがプンプンでありますなぁ。アーメン」

「失礼がすぎるぞ」

 ラ・イールに睨まれたザントライユはヘラヘラと笑ってかわす。


「彼女には不思議な力があるんだ。きっと君たちも気に入ってくれると思う。そしたらぼくたちはフランス人として団結できるんだ」


「彼女ぉ⁉︎ 女が戦場に来んのは邪気が入る! 俺ぁ認めねぇ!」

「落ち着け、ザントライユ」

 女と聞いた途端に一変し、ラ・イールが肩に置いた手を振り払ってザントライユは憤慨だった。


「———フランスを救え。彼女は言うんだ。この意味わかる?」 


 領主の為ではない。フランス王の為でもない。ノルマンディ人もブールゴーニュ人も、皆フランス人として、フランス人と共にフランスの為に戦う。


「そうしなきゃイングランドを叩きのめして追い返すなんてできっこない。考え方を変えなきゃ勝てないんだ」

「けどなぁ⁉︎」


「でもいきなり考え変えろっていうのも無理だと思うから、少しずつ慣れていってよ。君たちには彼女と一緒に戦ってもらうから」

 絶句するザントライユ。ラ・イールは静かに頭を垂れた。


「フランスを救えば姉上は戻って来れるんだ。だからぼくをフランス王に導いておくれ、乙女ラ・ピュセル


 神により遣わされし救世主ラ・ピュセル。

 またの名をジャンヌダルクという。

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