第6話 暗雲

 ボージェの戦いでトマスと共に戦死と噂されたヘンリーが姿を見せたことで、パリは落ち着きを取り戻した。


「パリはいつから新ロンドンになったのかしらね」

 鈴を転がしたような声は、五十近い実年齢よりも遥かに若い二十代のそれと言っても差し支えない。フランス王妃イザボーに華やかに笑いかけられ、ヘンリーも笑みを返した。


「ありがたいことですよ、私はまだフランス王になっていないというのに市民はこんなにも歓迎してくれて。ああ、シャルル陛下のご体調もよろしいようで何より」

 シャルル6世の死後は、現フランス摂政ヘンリーがイングランド=フランス二重王国の王になる。しかし既に事実上の王と言って差し障りなかった。


 パリのサン・ポル館でヘンリーは国王夫妻と面会だった。今日は病床のシャルル6世も身なりを整え列席している。


 カムバックしたヘンリーにパリ市民は大喝采のはずで、なぜなら商人への減税を行っていた。アルマニャック派もブールゴーニュ派も、戦費捻出のため増税路線一本。辟易へきえきしたところに救世主イングランドが争いを平定し、減税までしてくれたのだから人気は高まるしかない。


「でも、戦は終わっていませんわね。弟君もお亡くなりになり残念でしたわ。あたくしも、もしシャシャを失うと思うと正気ではいられません」

「お気遣い痛み入ります。実はシャシャ殿に停戦の申し入れをしているのですが、聞き入れて貰えなくて。それで途方に暮れやって来たのですよ」


「まあ、そうでしたの。最近、あの子は何も話してくれなくて。でもあなた、とんでもない条件を強要しておられるんじゃありませんの?」


「それが、彼は私を倒してケイトを取り戻すまで戦いをやめないおつもりのようで。姉君のミシェル殿が亡くなったのも、夫フィリップ殿が私と同盟したがための天罰と仰っているとか。あの聡明なシャシャ殿の発言とは思えないのですが、一体全体どうされたのでしょうね?」


「あらっ、心外ですこと。ミシェルの死因は病ではなく暗殺、その黒幕はあたくしだと噂を流した張本人は、イングランド王室ではありませんこと?」

「まさか! 私がケイトを苦しめるような嘘を自らでっち上げると?」


「ブールゴーニュ無怖公の殺害も、陛下が糸を引いての事ではありませんこと?」

「そのような噂が未だにあるのは存じていますが、根も葉もないことですよ。シャシャ殿すらご存じなかったといいますし、側近の勝手な暴走とシャルル陛下もお認めになったではありませんか」


 水を向けられたシャルルは、どこを見ているのか分からない目でヘンリーの方に顔を向け頷き、漂うような声でたずねる。

「シャシャは…どうしているのだ。王妃」


「あたくしとも会話しようとしなくなりましたわ。端末に向かってぶつぶつ独りで喋ったり、イライラしていることが多くて、あたくしもどう応対すればよいのか…。陛下、体調のよろしい時に父として話をしてくださいませんこと?」


 ———ったく、その口がよく言うな。


 シャルル6世が精神を病んでもう長い。ひとたび発作を起こせば何週間も、時には何か月間も部屋に閉じこもり、誰彼構わず被害的な言動を撒き散らし、家族までもが離れざるを得なかった。

 その間イザボーはといえば、夫と子供を放置し浮気三昧だ。残された子供たちは修道院や親族に預けられ、みじめな幼少期を強要されたのだから、親子間の信頼など紙の薄さ以下だろう。


 散々放っておいたくせに、今更都合よく夫呼ばわりして父親の役割を強要し、母として本来自分が負うべき親の責務をおっかぶせるわけだ。


「王妃様、どうか陛下にご無理をさせませんよう。私はシャシャ殿から大切な姉を奪った男ですから、恨まれて———」

「王妃よ、シャシャは余の子ではないのだろう?」

 遮られて、これには思わずヘンリーも度肝を抜かれる。


「なっ…! なあにを急に仰いますのっ!? それこそ根も葉もない…」

「王妃が自らの口で語った。シャシャは私にそう言った」

「嘘ですわ! それはあたくしへの反抗心でシャシャが口から出まかせをっ…!」


「シャシャは泣きながら余に訴えた。自分が何者なのかわからない、教えてほしいと」

「………!」


「余には背中を撫でることしかできなかった。今まで父親として何もしてこなかったし、余には確信がないと言うしかできなかった」

 とつとつと起伏のない声。


「シャシャは今、自身の存在そのものをかけて挑んでいる。この争いを、あなたが止められるとお思いか、ヘンリー陛下」


 継承すべき王国があれば王太子のアイデンティティは表面上維持できる。しかしそれを奪ったのはヘンリーだ。しかもヘンリーは、シャルル6世の娘婿ではなくとしてフランス王国を継承する。


「私はシャシャ殿から全てを奪った存在ですからね。なるほど、さすが父親であらせられる」

 ヘンリーは席を立ち、国王夫妻に退室の挨拶をした。


 控室に待機していたモーと共に館を後にする。

「停戦の申し入れは不発でしたか」

 憮然としたヘンリーの顔に結果を悟るモー。


「良い知らせです。シャルトルで王太子軍を蹴散らしたジョン様がフィリップ殿と共に追撃し、シャシャは包囲を完全に解いたとのことです」

「そうか! ジョンの奴よくやってくれたな!」

 ヘンリーの顔がぱっと明るくなったので、すかさずモーは続ける。


「悪い報告もあります。ブラッドサッカーが買収したプラントが、住民に襲われました。ヴァイオラの救援で壊滅的な被害は避けられましたが、住民を煽ったのは王太子派の傭兵ザントライユのようです」


「ハンフリーのドルーの包囲は?」

 ハンフリーに経験を積ませようと、指揮官として向かわせたのだ。ドルーはシャルトルの北にあり、パリとは主要街道で繋がった要所で、襲撃されたプラントにも近い。


「ザントライユも出て来るだろ。落とし前はハンフリーにつけさせろ」

「では、あれを使うと」

「当然だ」




◇◇◇◇


 既にドルーの包囲を固めていたハンフリー軍の元へ、ずりずり引きずられてやって来たのは大砲だ。その名も『キングス・ゴン』。

「なんつうデカさだよ…!」


 真っ黒な巨体に思わず後退するハンフリー。カーン攻略の時も新型大砲を使ったが、これは更に改良し巨大化している。もちろんヘンリーの肝いりだ。

「一番最初に使わせてくれるのは嬉しいけどさぁ」


 まず設置が大変だった。組み立てる間に何度も攻撃され、それだけで死人が出たのだ。

 だが放たれる砲撃は、これまでの定石ごとぶち壊す破壊力だった。


「登って侵入されないように、城壁は高ければ高いほど良かった。けど砲撃で壊されるなら高さなんて何の意味もないな」

 ヘンリーが思い描く戦い方は、確実に時代を前に進めるだろう。

「この戦いが、今後の城砦建築の常識すら変える」


 ハンフリーの指揮のもと、包囲戦としては異例のわずか一か月でドルーは陥落した。これで王太子軍は、パリ近郊の重要な拠点をすべて失ったことになる。しかし傭兵ザントライユは敗走し、捕らえるまでは至らなかった。


「で、次はどうするの?」

 ヘンリーに通信を繋ぎながら、ハンフリーは伸びてきたくせ毛をハーフアップに束ねる。


「確かな情報じゃねぇんだが、ボージョンシーで王太子軍が集結しているらしい。サフォークをそっちにやるから二手で情報を探り、おびき出してくれ」

「オッケー」 


 ハンフリーとサフォークは周辺の街を焼き払い、シャシャを挑発した。だが王太子は乗ってこない。


「これまで決戦でフランスは全敗だし、さすがに学んだか」

 戦わなければ負けない。決戦を避け続ける戦法だ。そうする間に小規模なゲリラ戦を繰り返し、少しずつイングランドの体力を削いでいく。


 そして野営にはだんだん厳しい季節に移り変わる。幕舎の中で毛皮を体に巻きながら、ハンフリーの通信画面の中にいるのはジョンだった。


「オレの方はシャシャに逃げられてばっかりだけど、そっちはヌムールを落としたんでしょ。敵対した守備隊全員に重石をつけてヨンヌ川に突き落としたって聞いたけど」

「降参した後に不意打ちでおれの兵を殺しやがったんだよ。逃走した奴らも全員捕まえて処刑した」


「そういうとこ、ますますヘンリーに似てきたよね」

「そっちも厳しいか?」

「…うん。そっちもだよね」

 互いに、弱音を吐ける相手は互いだけだった。


 これでもヘンリーは石橋を叩いて渡るタイプで、情報収集や物資の補給体制にはぬかりない。食糧や燃料は価格を決めて予約購入しているほどだが、それでも疫病は流行るし、時には兵站へいたんそのものが攻撃を受け補給されないこともある。どの部隊もギリギリの戦いを展開しているのだ。


「オレも昨日から下痢が止まらなくってさぁ、今やっと落ち着いてきたとこ」

「そうか。いつものように、冬になってもヘンリーは戦いをやめないだろう。気持ちだけでどうにかできるわけじゃないが、気を抜くなよ」


 しかし今年の冬は、そのヘンリー自身が体調を崩したのだった。

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