第3話 アングロ・ブールギィニョン同盟
ブールゴーニュ公フィリップは焦っていた。
パリの南西54マイル(87km)のシャルトルはブールゴーニュ派の拠点だが、アルマニャック派王太子軍に包囲されている真っ最中だ。援軍を送ろうにも、その進軍はことごとくブロックされている。
「アルマニャック派の主力はイングランドがほとんど潰したはずなのに!」
共にパリへ入城したヘンリーが帰国した途端、これだ。
フランスには新たな勢力が台頭していた。
アンジュー公やオルレアン総督代理のバタール・ドルレアンという代々の親王家に加え、王太子シャシャは誰彼顧みず戦力になる者をかき集めている。そこで傭兵というフランスを荒らす無法者たちを雇い、各地でゲリラ戦を展開させていた。おかげでフィリップの手が回らない。
しかしシャルトルはパリの門前都市であり、これを奪われるわけにはいかないのだ。
「泣き言を言っている場合ではありません、フィリップ様。イングランド軍は必ず来ます。それまで耐えるためにも食糧と生活物資の確保を最優先にお考え下さい」
「うるさいなわかってるよ!」
リュクスに当たりながら、街への補給を切らせないため、
無怖公の死。それはアルマニャック派にとって好機であった。なぜなら、残された息子フィリップは戦の経験が薄い。無怖公自身は十字軍にも参戦した武将であったが、息子といえばフランドル方面でわずかに戦った程度だ。
「ナメられてることくらい分かってるよ」
「父君のように、フィリップ様がお一人で何もかもをなさる必要はないのですよ。輜重を生かす為に、何かお考えはありますか」
「うん……、そうだ、囮を出そう。囮の荷で敵を引き付けて、本物はその隙に回り込むんだ」
「なるほど、さすがです! 早速采配を致します」
リュクスが出て行くと、幕舎には一人になった。
戦争は苦手だ。このご時世そんなこと言ってられないのだが。戦ってよし指揮してよしのリュクスのような有能な臣下がいてくれて本当に運がいい。
「囮なんてこすい手が使えるのは一度だけだし。僕ならイングランドが来る前に総攻撃かけて勝負を決めるな」
事実、王太子軍は兵力を集めている。
常勝のイングランドが負けた。
ボージェの敗戦によりもたらされたのは、トマスの死だけではなかった。王太子軍はこれまでになく勢い付いている。
そしてシャシャは情報を操作し、ヘンリーも死んだと噂を流した。この手の噂はすぐ広まるもので、アルマニャック派がなお強気に出るわけである。
「お願いだから早く来てよヘンリー!」
王太子軍の総攻撃開始は思った以上に早かった。望遠鏡の先ではもう、攻城
「あああ……どうする、どうしたらいい!?」
「フィリップ様、あれは何でしょうか」
「なんだよ忙しいのに!」
従者が指差す方、目測で6マイル(10㎞)程の距離に小さな砂煙が上がる。言われなけれはわからない程だ。よく気付いたものだ。
何かが来たのだと思ったときにはもう、目の前にいた。轟音とともに、外壁に群れている王太子軍を側面からなぎ倒し、貫いていく。何度も、何度も往復する。
その数、わずか50機ほど。スピーダー部隊だ。花火が散るように、王太子軍がまとまりなく方々へ逃げる。
すると、部隊を指揮する白いスピーダーの男が右手を掲げて走りながら合図を出す。疾走するまま部隊が二つに割れ、更にそれが四つに割れ、八つの小隊がそれぞれに逃げる王太子軍を追い立てる。
尻を叩かれるように追いたてられた王太子軍が一方向に向かう先には、リュクス率いるブールゴーニュ軍が待ち構えていて、叩きに叩いた。
「すごい……」
噛み合う歯車のように敵を思う方へ動かした。芸術的と言っていい、見事な追い込みだった。
王太子軍は包囲を捨て、散り散りに逃げていく。長い籠城戦の帰趨は一瞬だった。シャルトルを守りきることができたのだ。
フィリップのいる緩やかな丘へ単機、スピーダーがやって来る。白いフルカウルのスピーダーに、全身黒の鎧。部隊を指揮していた男だ。
槍を構える従者を手で制し、フィリップも近づいて行く。
重低音でエンジンを振動させたまま停車させ、バイザーの下からアイスグレーの瞳がこちらを見ている。男が兜を外すと、ふわりとストレートの透ける金髪が広がった。
ちょっと、ここは戦場だよ? きれいすぎるし。あぁドキドキする。
イングランド王弟ジョン。初めて会ったのはヘンリーの戴冠式だった。あれから二十三歳になったフィリップの背丈も同じくらい伸びたが、冷たく見下ろされる感じは変わらない。
「来てくれたんだね」
「フン、ヘンリーじゃなくて不満か?」
「どうしてそういう解釈になるのさ? 僕は感謝して———」
そうか、彼なりの照れ隠しなのだ。途中で気づいて、んふふふふふふふふふふふと口角が上がってしまう。
「散らしただけだから、王太子軍はまた来る。すぐに追撃準備だ。お前の兵で動けるのは?」
「あ、うん、すぐ確認する」
追撃の構えを見せ、シャルトルから19マイル(30㎞)ほど南下したところでジョンとフィリップはそれぞれ野営を始めた。
火が沈む頃、改めて自分の幕舎にジョンを招くと、なんと単機でやってきた。
「え? 従者は? 君王弟だよね?」
「要らん。
さすがに主君を案じているのだろう、百人ほどの騎馬隊が近くにいるとリュクスが伝えて来たので、そちらにも食事を届けるようフィリップは命じた。
フィリップの救援をジョンに任せ、ヘンリーは少数でパリへ向かったのだという。
勧めた酒にジョンは口をつけようとせず、鼻であしらった。
「陣中で酔うつもりか? そんなだからお前らは勝てないんだよ」
無礼千万だが、あの強さを見せつけられた後ではぐうの音も出せず、口を尖らせるしかない。
「王太子軍を結集させるなと、ヘンリーからの指示だ」
「だからこんなに急いで陣を構えたの?」
「そうだ。追ってくると思ったら相手は安心して休んでられないだろ。常に斥候の姿をちらつかせ、槍を向け前進しているのはこっちの方だと見せつけることだ」
「ふぅん……」
「お前、無怖公からそんなことも教わらなかったのか」
「うん、ほんとはアジャンクールに行きたかったけど、父から禁止されてたし。父のアルマニャック派との戦いを横で見てただけで、僕は兵士として戦場に出たこともないんだ」
「そうか。突然亡くなって苦労するな」
言い訳するなと突き放されるかと思ったが、意外にも優しい口調に心をキュッと掴まれる。
「あんまり戦が好きじゃなくて、ちゃんと学ぼうとしてこなかったからな。後悔してるよ。君の方こそ、トマスのことは残念だった」
ジョンはふっと笑う。
「おれたちはヘンリーの弟ってだけで、苦労してきたんだよ。特にすぐ下のトマスはな。出来の良すぎる兄を持つと比較される方はきついもんだ」
「だから四人とも中身までマッチョなんだね。そりゃイングランド強いわけだよ。ねぇ、不思議な力見せて」
持ち主の最大能力を発揮させる装置をジョンが開発したと、ヘンリーから弟自慢を聞かされていた。
「これはおれの相棒だから他の人間は受け入れないが、まぁ試しにやってみろ」
渡された抜き身の剣を握る。
「エンパワモン」
フランス語訛りの発音になってしまったが起動したようで、冷たい感触が指先から血管を伝い上がっていく。なんて気持ちいいんだろう。
しかしそれは肘の上で止まり、代わりに頭の中でドスの利いた声が響き渡る。
「誰よあんた……? 勝手にアタシに近づくんじゃねーわよ! このクソ!」
思わず剣を放り投げた。
「……誰これ」
「このクソとか言われただろ?」
「君、こういうのが好みなの? 変わってるね」
「好みとかじゃなくてな。人は普段、筋力や思考をセーブしながら生きてるんだよ。おれのAIは特定の信号で血管を通って人の体中に入り、潜在意識の更に奥まで潜り込んで、その人が本来持つ力を最大限に引き出す支援をする。火事場の馬鹿力を出させるって言えば分かるか」
「うん。それを常に出し続ける状態にするってことだね? すごい疲れそう」
「その通りだ。潜在意識には本人も知らない自我が隠れていてな、自分の好きなタイプが最大能力を引き出してくれるとは限らないんだよ」
「じゃ、このキャラ設定にも意味があるってこと? 君の自我を引き出すのはヤンキーなの?」
「それがコンピュータが出した結果だ」
「へぇ」
なんだか異世界の話のようで、ますますこの開発者に興味が湧く。うっとりしたようなその視線に気づいてか、ジョンは少し戸惑って視線を泳がせた。
「……ヘンリーの為なんだよ。失われたヘンリーの右目になりたくて作ったんだ。でもヘンリーは本当はこんな力使わなくても十分強いんだ。だって、走って鹿に追いついて素手で捕まえるんだぞ」
「なにそれ人間なの?」
「だよな」
ジョンは肩を揺らして笑う。この兄弟はみんな、兄と弟のことを話す時に心から嬉しそうな顔をする。
うん、これを見られるだけでも同盟した価値があるってものだ。
「んふっ、ふふふふふふふふふふふふふふふふんふふふ」
酔ってなくても嬉しいフィリップであった。
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