第2話 悪夢
その頃には黒い布に覆われた棺でトマスも帰国していた。
蓋を開けるまで、ジョンには現実感が持てないままだった。しかし頭蓋が大きく陥没した物言わぬ顔を見て、これは悪夢ではないのだと、崩れそうになる全身で理解した。
「トマス様は迷っておられました」
棺に随伴して戻ったサフォークが語りだす。
戦は、ヘンリーの覇道の為ではなく同盟相手ブールゴーニュを支援するものに様相を変えていた。ブールゴーニュの力が無ければ、フランスでの支配確立は難しい。そう理解しながらも、トマスは戸惑いを漏らしていたという。
「だからあんな判断ミスを? トマスらしくもない……!」
苦い顔で、ハンフリーは拳を白くなるまで握る。
フランス駐留軍総司令官として残ったトマスは、スピーダーで一気に敵地深くへ侵入し破壊や略奪を行う戦術で、フランス北西部を制圧しつつあった。この日もボージェ近郊で野営をしていたという。
斥候が捕らえた兵士から、王太子軍が近くで野営していると情報を得たトマスは、先制攻撃を仕掛けようと奇襲を命じた。
「普段のトマス様なら情報収集し戦術を練るはずでした。罠だと疑うはずなのに、なぜかこの時は……」
しかも、四千の兵力を分散して野営させていた。そのため近くには1500しかないにも関わらず、止めるサフォークらの声を退け出撃してしまったのだという。
「両軍の間には橋がありました。33フィート(約10m)程の、なんてことのない橋です。川岸で銃撃の応戦となりました」
火力なら本来イングランドが勝るが、この時、銃火隊は別の野営地にいたのだ。
銃撃戦で劣勢になればもう、後は白兵戦で押し込むしかない。橋の上の肉弾戦は、先頭に立つトマスを守ろうと、兵士が身を盾にする乱戦だった。
「トマス様を執拗に追い続ける男がいました。赤マントのラ・イールという傭兵で、何かに気付かれたトマス様は戦いの
そう差し出すのはトマスの剣、ボリングブルックだ。
「つまり、エンパワメントを自分から解いたのか……」
ジョンの呟きに、サフォークは眉間に力を入れ涙をこらえて頷く。
その後、別の営地から駆け付けた援軍が遺体を回収したのだという。
ウェストミンスター寺院で葬儀を終え、ボリングブルックを受け取ったジョンは、そのまま一人きりラボにこもった。それからもう、二週間が経つ。
「なぁ、ボリングブルック、何か言ってくれないか」
解析を試みるが、どんな言語で語りかけてもうんともすんとも言わない。セキュリティをこじ開けようとしても即座に跳ね返され、入り込む隙間が見当たらない。
もともと、ボリングブルックには頑固なところがあった。アルフルールでトマスが死にかけた時のことで、ジョンはボリングブルックのプログラム修正を試みた。
「なんであんなになるまでトマスを戦わせた。主の命を守るのがお前の使命だろうが。勝手にプログラムに背くなよ」
「だから死んでないではないか」
無機質に文字を返してくるボリングブルックに、キーを叩くジョンの手が荒くなる。
「生死を彷徨わせること自体がプログラム違反なんだよ! なに勝手な自己解釈始めてんだ!」
「私は背いてなどいない。トマスが望むやり方を最大限に支援した。命を失わないようギリギリで肉体を制御した。もし死んだとしたらそれは病に負けたのであり、私の預かり知らぬことだ」
「薄情なこと言うんじゃねえ! おれはそんな個性にお前を設定した覚えはねえぞ! どうしてそうなった!」
「私はトマスを誰よりも理解している。お前よりも遥かにな」
「んだとぉ!」
それから嫌がるボリングブルックをねじ伏せ、強引にプログラムを書き換えたのだ。『ヘンリー以外の誰を犠牲にしても生きて帰還させろ』と。
「お前はいつも最大限トマスを支援しようとしてきた。けれど最後の最後で、トマスの方からお前を手放したんだよな。つらかっただろうな」
トマスの最期の想いを受け取ったボリングブルック。心と体がバラバラに千切れるような気持ちを、この機械は知っているのだ。
同時にトマスは何かをジョンに伝えようとしている。その為に死を覚悟のうえでエンパワメントを解き、サフォークにその記憶媒体を託した。
「けど、お前は自ら防衛を働かせているんだな? 敵に奪われてはならないというトマスの意思を忠実に守ろうとして。二度と、誰とも心を交わすことなく」
ボリングブルックは沈黙のままだ。
それでいいのかもしれない。もう、お前の相棒はいないんだから。トマス以外の人間など、お前にとって何の価値もないのだろう?
ゆっくりと剣を引き抜くと、ところどころ刃こぼれしている。ついさっきまでトマスが戦っていた息遣いを感じて目頭が熱くなる。
「なあ、どうして死んだ? おれのプログラムのミスなのか?」
なにが悪かった。どうすればトマスは死なずに済んだ。しかしボリングブルックは答えをくれない。
すると、施錠したラボの扉がダンダンとノックされる。王弟ジョンが立ち入りを禁じたにも関わらず遠慮のない音と声で叩き続けるなど、ヘンリーしかない。さすがに無視するわけにいかず、鍵を開けると予想通りの兄は、ちょっと眉を上げた。
「……ひでぇな。飯もほとんど食ってねぇんだろ」
髭は伸び放題で、風呂にも入っていないどころか顔すら洗っていない。ジョンは黙ったまま、手にしていた剣を突き出す。
「おれには無理だった。ヘンリーのエンパワメントになら、ボリングブルックは心を開くかもしれない」
ヘンリーは抜き身の刀身を眺めて、指先でなぞる。激戦の切れ味はそのままで、指先に血が滲んだ。
「相棒は持ち主の心の底まで知ってる。オレたちに聞かせたくないこともあるだろ。だから、もういいじゃねえか。オレも死んだ後、ジェーンをお前ぇに解析されるのはご免だな」
と、鞘に納めた。
おまえのせいじゃない。そう言ってくれたのだと思う。
「そう? ジェーンは色々喋ってくれそうだから、暴露本でも出そうかな」
ヘンリーがちょっと笑ったので、ジョンも笑った。
「ケイトが懐妊したんだ。産まれてくる子はきっと、トマスの生まれ変わりだ」
すごい。子宝にまで恵まれるなんて、やっぱり完璧な王だ。ジョンは「うん」としか言えなかった。
「フランスに行くぞ。フィリップが救援を待ってる。今度はお前も一緒に来い」
「うん」
今はそれしか言えない。
トマスは身を呈し、精神を削り、ボロボロになりながら、何度もヘンリーの為に全てを懸けて勝たせてきた。
今、ヘンリーがおれを必要としている。おれもトマスみたいにやれるかな。
「見ていて、トマス」
手にしたボリングブルックに告げ、ジョンはエルサム宮殿を後にした。
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