ジョンの章 沙羅双樹篇

第1話 死は突然に

 新婚にも関わらず戦いに明け暮れたヘンリーは、ついにパリを手に入れた。

 ブールゴーニュ公フィリップ、フランス王シャルル6世(の替え玉)を伴ってのパリ入城は、歓喜で迎えられた。輪をかけて大熱狂なのがロンドンである。


 カトリーヌ改め王妃ケイトを連れて帰国したヘンリーの姿に、ジョンは胸が熱くなった。ヘンリーにとってはこれこそが凱旋だ。


「おかえり。ごめんね、帰ってきてなんて言って。議会で予算が通らなくてさ」

「いいよ。留守の間、よくやってくれたな」

 通信モニター上では何度も顔を合わせていたが、久しぶりに間近で見るヘンリーの、やわらかみを削ぎ落した尖った精悍せいかんさにはっとさせられる。


「……プランタジネットの大願を成し遂げたんだね」

「まだ始まったばかりさ」

 というわけで、休む間もなくヘンリーは議会を取りまとめて予算案を通すと、新妻を連れて地方行脚あんぎゃに出かけた。


「イングランドは妖精の国なんだ」とケイトに祖国を見せながら、行く先で戦費と若い男を調達すべく演説を打ち、要人と会う日々だという。元からヘンリーの人気は高かったが、仲睦まじい二人に支持率は爆上がりだろう。


 フランスには総司令官としてトマスが残った。ハンフリーはヘンリーと共に帰国し、早速彼女ができたとか運命の出会いだとかで、のぼせ上がっている。

 政務からも離れ、やっと一人になれたジョンは、エルサム宮殿のラボにこもることができた。


 端末を起動させると、相棒AIのメアリーを接続する。開発者のジョンは、ヘンリーのジェーン、トマスのボリングブルック、ハンフリーのモンマスとも会話が可能だ。普段は頭の中に直接語りかけてくる声も、今は画面上に文字で表示されている。


「久しぶり、メアリー」

 ジョンが入力するのも独自の言語で、理論を学ばせようと数名教育しているが、同じようにできる者はまだいない。


「おかえりなさい。ヘンリーが帰ってきてくれてホッとしたんでしょ。アンタ、見た目ほど女たらしじゃないし」

「え、それ関係ある?」


 表に出るのは疲れる。人と話すのも決して好きではないが、ヘンリーの留守を預かる為政者として耐えなければならない。


 いかにも育ちがよさげな透ける長い金髪に、冷たく女性的に整った顔立ち。誰に教わるともなく洗練された物腰のジョンは、幼い頃から一目置かれる存在で、超然として人を寄せ付けない雰囲気がある。それが多くの男性には気に食わなく、一定数の女性にはたまらないらしい。


「この間の彼女にはもうフラれちゃったの?」

「うん」

 人にも、女にもさほど興味はない。関係はあっさりしたもので、いつも寄ってきた女の方から離れていくのだった。


「ヘンリーの為だから必要な事はちゃんとやるけどさ、おれには一人で機械をいじってるのが性に合ってるんだよ」

「1と0の世界がアンタに結果をくれる。そう思ってるんだものね」


「エンジンを物理的にいじるのも好きだよ」

「それだって、手を動かせば何かしら答えてくれるからでしょう? 無反応も結果の一つ」

「「けど人間はそうと限らない」」

 二人の文字が重なる。ジョンはふっと笑った。


「アンタは苦労すると思うわ」

「やめてくれよ」


「だって何でもできちゃうんだもの。戦は嫌いじゃないでしょ?」

 まあまあ好きだ。あの巨大な化け物を意のままに操れた時、ねじ伏せたときの快感はたまらない。


「それでもヘンリーとは全然比べものにならないよ。ヘンリーは、どんな戦いをしてきたんだろうな」

 通信でトマスは詳細に話してくれたが、ヘンリー本人が語ることはなく、ジョンも無理に口を開かせようとは思わない。


 ほとんど全勝という破格でフランスの北半分を手に入れた。行脚先では、ヘンリーは自らの偉業を高らかにパフォーマンスしているだろう。

 だがその栄冠の裏で何百倍、何千倍もの苦悩に苛まれた素顔を、「おかえり」と声をかけた時に見せた心を削りきったような表情を、ジョンは思わずにはいられなかった。


「この旅で安らいでくれるといいわよね」

 イングランド中部にある、ヘンリーお気に入りのケニルワース城にも滞在するらしい。


「ケイトが一緒だからきっと大丈夫だよ」

 超かわいいよとハンフリーから聞かされていたが、まさに愛し愛される喜びに咲き誇る薔薇だった。ヘンリーの方も、十五歳年下の嫁がかわいくて仕方ないようだ。

「完璧な王になったな」

 ヘンリーは兄だが、ずっと離れて暮らしていたため遠くの人のように感じるのだ。ジョンにとって兄とは、トマスだった。


 その時、ジョンの通信用端末の着信音が鳴った。表示を見ると、フランスにいるトマスのコードだ。

「どうしたの?」

 しかし映ったのはトマスではない。黒髪のあれは確か、副官のサフォークだ。真っ赤な目でぼろぼろ涙をこぼしている。サフォークの口が動いた。

「……っっ!」


 腹に思いきり拳を叩き込まれたような衝撃に跳ね上がる。立ち上がる勢いに、横に積んでいた紙の束がバサバサと床に落ちる。喉の壁が貼り付いて声を出せず息を吸えず、震えが膝から脳天まで上っていく。


 ———トマス様が戦死されました。


 画面の中のサフォークは、泣きながらそう言ったのだ。

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