吸血鬼を追え 2
【PM 3:00】
バタール・ドルレアンは先代オルレアン公の婚外子である。認知はされていても公爵位は継げないし、王女カトリーヌとの結婚など叶うはずがない。しかし結ばれぬと知りながらも熱烈に焦がれていた。
「終わりが来ることは分かっていたはずだ。なのに彼女が結婚したからって急にストーカーまがいのことをするか?」
思い通りにならないのならいっそ殺す。そう突き抜けてしまう輩はいるが、それなら護衛がいないところ、例えば部屋で一人きりの時を狙うのではないか。
「バタールは
しかもカトリーヌは、バタールを少なくとも嫌ってはいなかった。二人は淡くとも幸せな時を共にしたと考えられる。
「だから嫉妬しているとすれば、バタールに暴行した奴の方だ」
しかしこの件については全く情報がない。
「それに、王妃はなぜバタールだと…」
目撃情報と髪色も目の色も違うし、バタールは小柄だと聞かされた。ヴァンピールの特徴と何一つ合致しないのだ。
「もぉ、俺に分かるわけないじゃん…」
ブラッドサッカーは頭を抱える。おまけに今日は暑い。広場のベンチに座っているだけで汗ばんでくる。
すると不意に頬に冷たいものが触れ、驚いて振り返った。
「もう諦めたのか、吸血男」
太陽に映えるグリーンのワンピース姿が飲み物を持って立っている。
「ヴァイオラ…? 王妃は?」
「交代してきた」
隣にドサッと腰掛け、コップを渡された。程よく冷えたレモネードは黄緑色の香りがほろ苦く、ブラッドサッカーはごくごく飲んで、ふぅと息をつく。
「サンキュ。俺の考えを聞いてくれるか」
レモネードのおかげで、夏の日差しに沸いた頭が冷静さを取り戻してきた。
「つまり、王妃はバタールだと言うがアンタは違うと思っているわけだな。ならば答えは簡単じゃないか」
「なに?」
「人たらしのくせに分からないのか」
「謎解きとそれ関係なくない?」
「アンジューが言っていただろう? 邪魔してきた奴がいると」
「え…? そんなこと言ったっけ?」
「王妃はヴァンピールの正体を知っていて、そいつを
「ごめん全っ然わかんない」
「そこまでして王妃が庇いたい相手は誰だと思う?」
【PM 5:00】
母と弟の急な
「姉上っ! 心配したよもうっ、平気なの? どこもケガはないの? あぁ…ほんと許せない!」
部屋に入るなり駆け寄ってきたシャシャは、姉の手を取り顔に手を当て、全身をしつこいほどに確認してくる。
「平気よシャシャ」
やんわりとカトリーヌが拒否しても、シャシャは距離を取ろうとしない。
「不自由な思いさせられてない? こんな酷い目に遭ったのもあいつと結婚したからだよ…!」
「まだ結婚して三週間しか経っていないのよ、何も心配ないわ」
「三週間もだよ! 三週間もぼくは姉上と離れていたんだから!」
まるで戦場から帰ったかのように、姉の体を抱きしめる。
「痛い。シャシャ、離してちょうだい」
「あっ、ごめん…」
「あなたはもう大きくなったのよ。大人の男性になって、力も強くなった。私よりも奥方を大切にしてあげないと———」
「嫌だ嫌だ! 好きで結婚なんかしたんじゃないし。ぼくには姉上が一番大切なんだ。それをあの男が何もかも滅茶苦茶にして奪っていってさ。どうしてそんなことが許されるのかなぁ?」
「シャシャ…、私はランカスター家に嫁いだのよ。ヘンリー陛下を侮辱することは許しません」
「なにその『今までの私じゃないのよ』みたいな。やめてよ!」
「私はヘンリー陛下の妻よ。イングランド人になったの。だからもうこんなことはやめましょう」
パリンと、何かがシャシャの中で壊れた。
「…なんで…なんであんな男に…姉上はぼくのものだ…一生ぼくの側にいるんだ!!」
「いやっ…! 離して!」
掴まれた力の強さにカトリーヌは恐怖を覚えて大きな声を上げる。だがシャシャは酷薄に唇を歪ませた。
「無駄だよ、あいつなら来ない。母上が留めているからね。さ、姉上、こんなところ早く出てどこか遠くで二人で暮らそう」
だがその顎に短剣が突きつけられる。
「その手をお放しください」
「……なんだお前は。ぼくはフランス王太子だぞ。その手をどけろ」
シザーリオは堅く告げる。
「いいえ、あなたは王太子の地位を剥奪されました」
「黙れ! 無礼な奴だな!!」
シャシャが片手でシザーリオを突き飛ばす。それは予想をはるかに超えた力で、シザーリオの体は10フィート(約3m)飛ばされた。壁に背中をぶつけながら、シザーリオが目を剥く。
その隙に、シャシャは姉の体を抱きかかえて連れ去ろうと扉へむかう。
ブラッドサッカーとヴァイオラが見たのはそんな場面で、瞬間全てが一本に繋がった。
「王妃を離せ!」
「ぼくの邪魔をするな…!」
双子が構えているので、一番後ろでブラッドサッカーも片足を引く。すると、
「やめて! お願い、傷つけないで。私の大切な弟なの!」
抱きかかえられたカトリーヌが、弦を弾くような声を上げる。
「姉上…」
「シャシャも、お願いだからもうやめましょう。ね?」
そっと伸ばした手に黄金色の髪を撫でられて、シャシャは泣きそうな顔になり、その場にぺたんと座り込む。
「…気付いていたんですね、ヴァンピールの正体に」
ブラッドサッカーに言われて、カトリーヌは頷く。
「本当は切りつけられたのではなく腕を掴まれて、その手が誰のものか、顔を見なくともすぐに分かりました」
「だから庇ってあんな嘘を?」
襲われた時のことを台本を読むようにすらすら話せたのは、最初から用意したものだからだ。
「ごめんなさい…! 陛下が知れば必ず弟を処罰なさる。だからどうしても言えませんでした。けれど、私も嘘をつきましたから、共に罰を受けます」
規律を破ったものには身内であろうと容赦しない。ヘンリーは厳しい男だ。
「姉上がぼくのために…? なんで姉上が処罰されなきゃならないんだよ! 姉上は優しくしてくれただけじゃないか」
「シャシャ! あなたは罪を犯したのよ? どうしてこんなことをしたのか、きちんと話しなさい」
「だって…ぼくは、ぼくは父上の息子じゃないって…、姉上だって母上からそう言われたでしょう⁉ だからぼくをわかってくれるのは姉上だけなんだ」
声を震わせる。
「ぼくは何者でもないのかもしれない。もし父上の息子だとしても、ぼくもいつか発狂するのかな? そう思うと不安で、夜になると怖くてたまらなくて。姉上がいつも側にいてくれたのに、いないからもう眠れないんだよ。それで夜になると仮面を被ってイングランド兵を襲い、気を紛らわしてた。すべてはあいつが、ヘンリーがぼくから姉上を奪ったからだよ!」
「他人のせいにしてはいけないと何度も言ったでしょう? 生まれがどうであれ、母上にとって大事な息子、私にとってたった一人の弟なのよ。たとえ今までと立場が変わっても、それだけは決して変わらないわ」
「せっかく姉上と一緒に暮らせたと思ったのに…なのに…えっ、えっ、うぅうう…」
シャシャは泣きだした。姉に背中を撫でられる姿は、まるで幼子だ。
「バタールを暴行したのも君なのか?」
「…そうだよ。だってあいつ、ぼくと姉上の時間を奪って二人で出かけたりして…許せなかった」
「バタールを暴行⁉ どういうことですかブラッドサッカーさん」
ブラッドサッカーは通称なのでさん付けしてくれなくていいのだが、これはこれで好い。
説明を聞いて、カトリーヌが青ざめた。
「バタールとあなたは兄弟同然でしょう? よくそんなことが…」
「だって…だって…!」
弟を撫でる手を止め、カトリーヌはじっと自分の手を見つめていた。
【PM 7:00】
全てを知らされたヘンリーは「処分は追って伝える」とし、イザボーとシャシャは帰って行った。
「申し訳ありませんでした。もう二度と、弟には会いません」
毅然とした声でカトリーヌはヘンリーに
「それがあの子にとって何よりの罰です。同時に私にとっても。ですから、どうぞ命だけは…!」
ヘンリーは「考えておく」と言い残し、部屋を去った。カトリーヌも下を向いたまま、目を合わせなかった。
「あー、疲れた…」
大きく伸びをしながら邸宅を後にすると、もう暗くなっている。昇り始めた満月は
情報屋のレイはまだいるだろうかと、飲み屋街へ足を向ける。
「アンタが足で稼いだ情報と推理のおかげだな」
すると、月から降ってきたような声。どこにいるのかと見回すと、邸宅の塀の上だ。グリーンのワンピース姿がぴょんと飛び降りると、隣に並んで歩きだす。
「あの二人、大丈夫かな」
「ヘンリー様とカトリーヌ様か?」
「うん。この月をさ、二人で見上げてくれているといいんだけど」
「そうだな。あのお二人ならきっと。そうやって家族になっていくんじゃないか」
苦い夜もあるだろう。それでもこの月のように、互いの心に寄り添っていてほしいと心から願う。
「俺、君の役にたてた?」
「ああ、感謝している」
「じゃあさ、キスしてよ」
「は?」
「男を虜にするやつとかじゃなくて、俺だけに、ちゃんと」
ヴァイオラの瞳が揺れる。二人の間には今、月明かりだけだ。見ている者は誰もいない。
額と額が触れる。直前、優しい感触に心が満たされていく。重ね合わせると柔らかくて、食べてしまいたいような。吐息すら愛おしい。
だがそう感じたのは一瞬で、次に凄まじい違和感に目をひん剥く。
「おまっ…! シザーリオだろ!!」
「ようやく気付いたか。レモネードはオレからの差し入れだ」
「ぐっ…! ぢぐじょおおおぉぉぉ!!」
ブラッドサッカーの悲鳴とシザーリオの高らかな笑いが、明るい夜空に抜けていった。
友情出演:レイ こと小沢怜
本物の怜さんが登場する作品はこちら
星 太一様『LIAR』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886757649
怜さん…?が登場する作品はこちら
『山草さん家のはらい者』★カクコン応募作品
https://kakuyomu.jp/works/1177354054898327284
どちらの作品でも私はいつも騙されっぱなしです。刮目してご覧あれ!
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