吸血鬼を追え 1

【AM 5:00】


「……ぅおい」

 琥珀色の隻眼せきがんが重低音とともに底光りし、思わず姿勢を正す。


「問題無しだ。財務長官へ回しておく」

 承認のサインをするヘンリーの姿に、ブラッドサッカーは全身の穴から安堵の息を吐きだした。


 夜明けと共に一日を始めるヘンリーに合わせて、ブラッドサッカーは毎月五日の朝一に請求書を持参する。几帳面なヘンリーは自らチェックするのだ。ほんのわずかでも誤りがあると即座に突き返されるので、毎月の儀式は決して慣れるものではない。


「一発オーケーありがとうございます」

 結婚式から三週間が経ち、トロワの邸宅でヘンリーはフランス摂政として政務を担っている。


「ところでカトリーヌ王妃の様子はいかがです?」

「平気だと強がってるよ」

 昨日、散歩中のカトリーヌが白昼堂々襲われた。同行していた侍従の応戦で事なきを得たが、犯人は未だ捕まっていない。


吸血鬼ヴァンピールの仕業みてぇだな」

 イングランドとブールゴーニュの同盟により、アルマニャック派は領地を手放し撤退せざるを得なくなっていた。落ちぶれた上流階級の中には賊となり追い剝ぎを繰り返す者もいて、昨今では敵への略奪を英雄視する帰来さえある。ヴァンピールはその筆頭だ。


「優雅で軽やかな身のこなしに、スタイリッシュな黒服と真紅の仮面に覆われた謎の素顔。手に入れた金品は貧しい者に分け与える、神出鬼没の怪人。気に入らないっすねぇ、俺のキュートな愛称”吸血鬼”ブラッドサッカーまでパクりやがって」


「しかしな、カトリーヌはフランス王家(アルマニャック派)出身だぞ。しかも護衛がついてる人間に強盗しようと思うか?」

「うーん確かに。王妃を襲ったところで、かえって民衆からは反発を呼ぶだけですね」


「だろ? オレとカトリーヌへの嫌がらせくらいしかメリットねぇんだよ」

「ヴァンピールの勇気だけは讃えましょう!」

 激怒したヘンリーなど、想像だけで勘弁してほしい。というか機嫌を損ねるような余計な真似しないでほしい。


「だとすると、ヴァンピールの正体はヘンリー様に個人的に恨みを持って?」

「それを探ってくれ」

「へっ? そういうのはもっと適任がいるでしょう?」


「シザーリオに探らせてるが、情報は多い方がいい。それに、カトリーヌはオレに話そうとしないんだ」

 最後の方は少し寂しそうで、ブラッドサッカーは仕方なく頷く。


「一応確認しときますが、報酬は?」

 するとうって変わって良い人ぶった顔のヘンリー。


「上手く聞き出してくれ。それとカトリーヌの護衛にはヴァイオラをつけているからな」

「どういう文脈です?」

「あいつはオレに隠し事はしないぞ。楽しくやってるらしいな、吸血男」

「…分かりましたよやりますよ無償で働かせてください!」

 かわいそうなんて油断して頷いてしまった俺が馬鹿だった。




【AM 7:00】


「散歩に出ていました。ええ、美味しい焼き菓子があると聞いて、焼き上がりの午後二時に合わせ、同行は侍従と侍女のルイーズで徒歩で行きました。陛下の分も買い求めて、振り返った時に不審な黒服の男が居たのです。

黒い帽子のつばで顔は見えなかったのですが、雰囲気が異様で…。侍従が下がるよう申しましたが、じっと立ったままで何だか気味が悪くて。そのまま立ち去ろうとしたところ、急に切りつけてきました。

すぐに侍従が引き離し取り押さえようとしましたが、まるでネズミのように素早く人の間を縫って逃げていきました」


 まるで台本でも読むように、滞りなくカトリーヌは答えた。


「金品を奪おうとしたのではなく、直接危害を加えようとしてきたのですね?」

「ええ」


「するとヴァンピールは最初から王妃に狙いを定めていたのか…。近くで顔を見ましたか?」

「噂と同じ、真紅の仮面でした」

「目と髪の色は?」

「どちらも黒かったように思います」


「襲ってきた男に心当たりはありますか?」

「……いえ」

 少し開いた間に、ブラッドサッカーは滑り込む。


「おありなのですね?」

「いいえ! ありません」

「王妃様、重要なことですから隠さずに」

「私にはわかりません」


「以前お付き合いされた男性ではありませんか?」

「そのような経験はありません」

「でも言い寄られたことはあるでしょう?」


「私が悪女イザボーの娘だから尻軽だと…そう仰るのですか!?」

「いやいや! そうじゃなくてぇ」

 カトリーヌと二人の侍女の視線が痛い。


「失礼なことをぬかすな吸血男」

 しかも後ろからは本物の殺気を放つヴァイオラ。四人の美女に囲まれて一身に非難を集め、むしろ快感である。


「言い寄ってきた中にやたらねちっこい男とか、断っても断っても前向きすぎる男とかいませんでした?」

「思い出したくありません」


「いたんですね?そういう男が」

「覚えていません」

 ヘンリーに言いづらいのはそういうことだろうと、ブラッドサッカーは自分の読みが外れていない確信を持った。しかし、


「王妃さまは覚えていないと仰っているでしょう!」

「それをあなた疑うの?」

侍女二人の援護射撃。ルイーズとクロエは早くも宮中で人気のフランス美女で、もれなくトマスが食ったとか噂されている。


「過去に何かあったって、別に誰も責めやしませんよ。ヘンリー陛下だって独身時代は俺も一緒に———」

「アンタ、それ以上はやめろ」


 ヴァイオラが強力に顎をつかんできて、そのまま唇で塞ぐ。女性三人がほぉーっと見つめている。


「…えっと、何だったっけ」

 頭がポーッとなり仕切り直すブラッドサッカーだが、三人の視線はヴァイオラ一人に注がれたままだ。


「かっこいい…」

 心の声が漏れたカトリーヌに、ヴァイオラは妖艶に微笑む。

「よかったら、意中の男性を虜にするキスの仕方、教えましょうか」

 女性三人の目が期待に輝いた。


「ちょっ、ちょっとヴァイオラ⁉ 悪いこと教えるんじゃないよ。あーそこっ! ガッカリしないの!」




【AM 10:00】


 ———ヴァンピールの顔は、バタール・ドルレアンでした。

 根負けしたカトリーヌが最後に告げた名前だ。ブラッドサッカーも名前だけは知っている。


「最近みんな勘違いしてるけどさ、俺はただの卸売商人なんだからね?」

 イングランド伝統のフル・ブレックファストにがっつきながら、愚痴る相手は情報屋だ。ここはフランスだが、イングランド軍の駐留に合わせて屋台メニューのラインナップも変わりつつあった。


 バタールは、アジャンクールで大敗したアルマニャック派の総大将シャルル・ドルレアンの異母弟で、ロンドン塔に囚われている兄に代わりオルレアン総督代理を務めている。

 知っているのはこの程度なので、ブラッドサッカーはプロを頼ることにしたのだ。男は名をレイという。


 常日頃からあらゆるツテを駆使して情報収集は欠かさないのがブラッドサッカーで、何かと縁がある無精髭の情報屋は今日も二つ返事で引き受けてくれた。


「助かる! 美味い酒用意しとくね」

 いつも期待以上の獲物を手に入れて来るレイには、これまでガセを掴まされたことはない。そして何より仕事が速い。


 二時間たたないうちに提示してきた情報によると、


・バタールが生まれてすぐに父親オルレアン公は無怖公に殺害され、続けて母も病死。身寄りのないバタールは宮廷に引き取られ、王太子シャシャと共に育つ


・カトリーヌへ特に熱を上げていたのはアンジュー公。そしてバタール・ドルレアンも


・目撃情報によると、ヴァンピールは瘦せ型で背が高く、金髪、鳶色の目。足が速く、跳躍力や身のこなしは人間かと疑うほどに軽い


・ヴァンピールに狙われるのは中堅以下のイングランド貴族や兵士で、例えば王弟トマスのような超大物は一度もない


「———っと、こっからは追加料金だ」

「えぇ!? もうちょっとぉー」

 商売上手なこの男はいつもそうだ。が、今回はタダ働きなのでブラッドサッカーも金はかけたくない。


「しゃあない、今はこの手札で動いてみるか」

 父の殺害と、捕われた兄。バタールはブールゴーニュ、イングランド両方に恨みを持つ人物で、ヴァンピールとして暗躍する動機は完ぺきだ。


 ブラッドサッカーはもう一人の手掛かりであるアンジュー公の元へ向かった。




【PM 2:00】


 幸いなことにアンジューとは面識があり、面会を申し入れるとすぐに通してくれた。応接間でしばらく待つと、ずんぐりした男が現れる。


「どうも、お久しぶりです」

「わざわざ会いに来たってことは、今度は何を買ってほしいんだ?」


 屈託なく笑うアンジューは、離れて配置されたつぶらな瞳、ぽてっとした鼻にちょこんとした口がまるでカワウソのような男だ。フランス王家の傍流家系だが、気さくで気取ったところがない。

「毎度あり! ですが今日は折り入って相談がありましてね」


 アンジューは以前、ブラッドサッカーと共にフランドル領でのブラッドプラント出資に名乗りを上げていた。最終的にブールゴーニュ無怖公とヘンリーの後ろ盾を得たブラッドサッカーが勝ち取ったが、当初はフランス王家をバックにしたアンジューが最有力候補だったのだ。


 それを降りてもらうよう、あらゆる交渉の過程で親しくもなったし、それなりに金も積んだ。時には力技も使いながら、地権者フィリップをも巻き込んでお願いしたのだ。円満に納めることができたので、どこか共に闘った戦友のような気持ちを互いに持っている。


「カトリーヌ王妃に贈り物をしたいんですが、何がお好きなのかアンジュー様ならよくご存じかと思いましてね」

「まったく、一体どこでそういう話を仕入れてくるんだ?」

 アンジューは少し目尻を下げる。


「彼女は贅沢はしないし、物を大切にする女性だ。以前東洋から仕入れた螺鈿らでんの小箱を差し上げたが、ずっと大切にしてくれた」

「へぇ。他にはどんなものを?」

「そうだな、プロヴァンス産ラベンダーのフレグランス、それからイングランド産最高級羊毛のストールとか」


「すごいっすね。ライバルの贈り物も相当なものでした?」

「ライバルって、それも知ってるのか? まぁ、終わったことだからいいか。バタール・ドルレアンは王太子シャシャと共に育った。つまりカトリーヌともきょうだい同然に居られるから、物で気を引く必要などないわけだ」


「当時まだ十六か十七歳か、熱烈な初恋だったんでしょうね」

「そりゃあ、カトリーヌは容姿端麗なだけじゃなく思いやりがあって、同年代の女と比べてずっと思慮深い。高嶺の花だったさ。バタールとシャシャにとっては、自慢の姉だろうな。俺もよく邪魔されたものだよ」


「アンジュー様も本気でいらしたんすね」

「ああ、恋していた。それを悪の総統みたいなイングランドの長髪男が、プラントもろとも全部かっさらっていったわけだ」

 恋していた。そう愚直に言えるのはアンジューの美点であり、少し羨ましい。


「でもバタールはカトリーヌ様にとって弟みたいなものでしょう? 愛を告白されて困惑されたんじゃないですか?」

 すると、アンジューは複雑な顔をした。


「それがな、一度二人が外出するするところに出くわしたのだが、カトリーヌは見たことが無いくらい嬉しそうな顔だった。激しく妬いたよ」

「へぇ…。じゃあバタール・ドルレアンも、カトリーヌを奪ったヘンリーを恨んでいるでしょうね。最近姿を見ました? どうしてるかご存じですか?」


「詳しくは知らないが、ブールゴーニュ派と戦って捕われた時期もあったから、平穏無事というわけではないだろうな。それに暴漢に襲われてな。何も言わずに切りつけられ、そのまま殴る蹴るされて、危うく内臓が破裂するところだったらしい」


「えっ⁉ ただの強盗がそこまでやりますか?」

「それが何も盗まれず、死ねとか彼女に二度と近づくなと言われたそうだ」

 彼女とは、カトリーヌと考えて良いだろう。


「つまり、お二人の他にもカトリーヌに恋慕していた人物がいると」


(つづく)

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