第9話 一つの空の下

 ブールゴーニュ無怖公を殺害したのは、弟シャシャの側近だという。

「ぼくは知らなかった。タンギィが勝手にやったことなんだよ! 本当だよ、姉上は信じてくれるよね?」

 母に激しく非難されて、シャシャはカトリーヌにすがるが、王家を弁護してくれる者など誰もいない。


 そしてイングランドとブールゴーニュの同盟成立により、無力なフランス王家はヘンリーの要求を全面的に飲むしかなかった。病床のシャルル六世に代わり政務を担い、その死後、王位を継承するのは王太子シャシャではなくヘンリーとなる。

「摂政として今から実権を握ろうというわけだ。ぼくはそんなの認めない」

 王位継承権を剥奪されたシャシャと母のイザボーは、反対派として勢力を募っていた。


「だから姉上の結婚だって、無効にしてみせるよ」

 さっきから繰り返すシャシャに、既に婚礼衣装を纏い、準備を整えたカトリーヌは困り顔だった。


 トロワ大聖堂で、今日はイングランド王ヘンリー五世と、フランス王女カトリーヌ・ド・ヴァロアの結婚式だ。


 そもそも、フランス内乱の発端は父シャルル六世の発病で、混乱を一層極めたのは母イザボーの浮気だ。イザボーと愛人関係にあったオルレアン公(シャルル・ドルレアンの父でイザボーの義弟)が権力を持ちすぎたため、ブールゴーニュ無怖公は暗殺という強硬手段に出た。それから武力衝突を十二年間繰り返し、一回りして今度は王太子が復讐で無怖公を暗殺するという泥試合の様相を呈している。


「もう、わたくしたち王家は落ちるところまで落ちたのでしょう」

 内紛に決着をつけたイングランド王に、市民は好意的だという。もともと王権は機能していないから、平和と生活が保障されれば王など誰でも良いのだろう。


「だからって、姉上が一人犠牲になる必要ないよ! あんな猛獣みたいな奴に……!」

 しかし、もはや姉が嫌だとは思っていないことをその表情に悟ると、唇を噛んで駄々っ子のように拳で叩いてくる。


「なんでだよ! なんで姉上まで! みんなぼくを置いて捨ててさ! ぼくなんか必要ないんだね⁉ どうせ父上の子じゃないし⁉」

「シャシャ、お願いやめて。痛い、ねえシャシャ」

 駄々っ子も十五才になれば大人の体だ。カトリーヌが恐怖を感じて顔を歪めると、シャシャはぴたりと止める。


「じゃあさ、姉上に頼みたいんだけど」

「なぁに……?」

「奴の剣から、データを抜き取って欲しいんだ」

 シャシャが機械をいじって何をしているのかは知らないが、ここで断ってはまた騒がれそうなので、カトリーヌは頷く。

「やってみるわ。方法はまた教えてちょうだいね」

「くれぐれも奴に勘づかれないようにね」


 ドアがノックされ、現れたにシャシャは剥き出しの嫌悪を向ける。

「失礼!」

 そしてわざと肩をぶつけて出て行った。ヘンリーの分厚い胸筋に若干跳ね返されながら。


「弟のご無礼をお許しください」

「いいよ、そりゃ反感くらい持つさ」

 ヘンリーの婚礼装束は赤だ。白テンの毛皮を肩に羽織った堂々たる風格は、天をも平伏させるだろう。そんなヘンリーは嬉しそうに眼を細める。

「すごく綺麗だ。よく似合ってる」


 カトリーヌからのドレスのオーダーは、胸が目立たないように。それだけだった。貴重な金色の絹糸で織られ、スカートには星のようにきらきらと小さな宝石が散りばめられた贅沢なドレスは、ヘンリーの指示だろうか。


「緊張してるか?」

「とても。実は昨日から落ち着いていられなくて」

「オレも。きっとオレの方が緊張してるんじゃねぇかな」

「本当?」

「うそ」

「おちょくらないでください」

 膨れっ面のカトリーヌに白い歯を見せるヘンリー。


 心など、お渡ししたくありません。

 そう言ってしまった後も何度か散歩に誘われて、クワ太郎とヴィヴィ子とも仲良くなったし、会談の後は手紙をくれた。互いをもっと知りたいと思っているのは間違いない。

 けれど手も握られなかったし、愛の言葉は一つもない。今まで言い寄って来た男性は皆、くどいほどに飾り言葉や贈り物を並べ立てたものだが、ヘンリーは真逆だった。


 あなたの心が欲しい。その言葉に嘘は無いとしても、やはり彼にとって結婚は覇道の手段の一つに過ぎないのだろう。

 しかし、カトリーヌにも意地がある。被害者面など決してしたくない。だからシャシャの言うことはお門違いなのだ。


「それと、式では手を取るから、先に伝えておかなきゃならねぇんだが」

 差し出された手の上に手を重ねると、冷たさに驚く。まるで氷をいじった直後のようだ。

「いつもこうなんだ。湯で温めてもすぐ冷える。エンパワメントの副反応らしくて、使いすぎってことだな」


 弟ジョンが開発したという、不思議な力のことは聞いた。失った視界が補完されるから、戦いやスピーダー以外にもついつい使ってしまうのだという。

 そのデータと盗めという、シャシャの頼みが一瞬頭をよぎる。


「もしかして、それで今まで手も握ろうとしなかったのですか?」

「あんまり冷たいし、悪いと思ってな。みんな悲鳴上げるし。これが式でいきなりだと驚くだろ?」

 こんなに熱量にあふれた筋肉質な人が手を繋ぐのを恐れるなんて、なんだかかわいい。しかしその後の発言は聞き捨てならない。


「みんなって誰ですか。何人いたのですか。どこを触ったら悲鳴を上げたのですか」

「ぅえっ……⁉ いっ今の話じゃねぇし! 過去のことだからな」

「質問にお答えください。何人いたのですか」

「オッ、オオオレはカトリーヌが産まれた頃にはもう戦場に出てだなっ……!」

「他の方と一緒にしないでください。私は悲鳴なんて上げませんから」

「ハイワカリマシタゴメンナサイ」

 よりによって挙式直前の墓穴掘りである。カトリーヌは笑い出したいのをこらえた。


 ゴホンと気を取り直して、ヘンリーはもう一度両手でカトリーヌの手を取る。

「今、フランス王家の威信は失墜している。オレはフランス摂政と次代の王として、人々の信頼を取り戻すと約束する。カトリーヌには何も失わせない」

 冷たい手から、熱さが流れ込んでくるようだった。エンパワメントとは、こんな感じなのだろうか。


「オレはずっと、この夜明けを待っていた。内乱が終わり、祝福と共にフランスの新しい時代を築く時を」

 ランカスターの朝日を沈まぬ太陽にした男が、今度はフランスの空を照らす。彼の中では熱さと冷酷さがせめぎ合っていて、だから嵐を巻き起こすのだ。

「イングランドとフランスは一つの空で繋がっている。だから共にこの世界を照らそう」


 侵略してきたのに元から一つだという。なんて尊大な人だろうか。でも———

 カトリーヌは冷たい手を握り返す。

「冷たくても、この手を決して離しません。私もあなたの心を手に入れます。それが私の覇道です」


 修道院生活では親から捨てられたというみじめな思いと、宮廷では常に狂王と悪女の娘と嘲笑される日々だった。記憶は今なおおりのように残るが、夜明けとともに流れていくかもしれない。変われるのかもしれない。

 もう、至近距離で醜い傷跡を見ても恐ろしくないし、上辺を飾る愛の言葉など要らない。


 ヘンリーの冷たい指が遠慮がちに頬に触れて、それからやさしく唇が重ねられた。丁寧に、慈しむように。

 男性との初めてのキスは、修道院で蜂蜜の壺を誤って割ってしまい、姉と二人でこっそりすくって舐めたのを思い出した。

 同時に、これから何かが変わるという予感に体の中がざわざわする。


 ヘンリーにもそれが分かったのだろう。鼻先が触れ、クスッと笑いあう。

「さあ、行こうか」

「はい」

 ドアが三回ノックされ、そろそろお時間ですとモーの声だった。

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