第8話 黒衣の決断

「むぁったく! あの小僧何をしでかすと思えば!」

 エンジン音と振動などお構いなしの無怖公のバリトン。蒸気車デッカーの狭い車内で、フィリップは何度目かわからぬ溜息だった。


 ランカスターの小僧など手のひらで転がしているだけ、簡単に操れるとか言って、内紛にうつつを抜かしていたのは父の方だ。パリから目と鼻の先のポントワーズを破壊し尽くされて、これはまずいとようやく気付いたらしい。

「遅すぎなければよいですが」

 フィリップの呟きなど、自分の大音声がわんわんこだまして耳に入らないだろう。


 アルマニャック派と協同してイングランドに立ち向かう。もう何度目か分からない「一時休戦」である。

「喉元過ぎれば、どうせまた元に戻るんでしょ」

 フィリップは退屈そうに窓の外のセーヌ川を眺める。


 王太子シャシャと会見するため、親子はパリの南東51マイル(83㎞)、セーヌ川とヨンヌ川の合流点モントローに向かっていた。

 会見は、両河にまたがる橋の上で行われる。橋の両側にはバリケードが築かれ、通行人は立ち入れないようになっていた。


 九月だというのに上から照りつける日差しだ。黒い長袖服は日光を吸収するから、日陰のない橋の真ん中はきつい。

 早く終わらないかなぁ。


 王太子へ敬意の口上を述べる父にならって後ろでひざまずきながら、扇子であおげとこっそり侍従に言おうとした時だった。

 王太子の随員がいきなり剣を抜き、それが無怖公の頭にめり込む。


 スイカに刃物を下ろしたように頭の半分が上から割れ、血が噴き出している。跪いた後ろ姿がゆっくりと横に倒れて、石畳に染みる血の色がやけに赤く目に映る。


「ふ?」

 この光景はなんなんだ? あれは本当に父なのか。ついさっきまで爆声で喋っていたのに?


 だが、目と口をかっと見開いたまま血溜まりに浸る父の横顔が視界を支配すると、次に恐怖に体をがんじがらめにされる。

 血濡れの剣を持った男がフィリップ目掛けて飛んでくるのが目に入る。残暑の太陽を反射する刃が眩しい。


 逃げようとするが、頭と体がうまく連動せず転んでしまう。やられると思った瞬間、時間が凍りついたようになり、フィリップは目をつぶった。

 あんな風に頭かち割られて脳味噌さらすの嫌だなぁ……


 しかし間に入った誰かが、代わりに剣を受けている。

「フィリップ様! お気を確かに!」

 お気に入りの臣下のリュクスだ。

「フィリップ様をお連れしろ! 早く!」

 リュクスの声に反応した侍従に抱えられ、橋に背を向けてとにかく足を前に出す。周りで時の流れが解凍したと思ったら、今度は向かい風のように邪魔されて前に進めない。


 もう、なんでこんなに体が動かないんだよ。

 空気を掴むように感覚が無い足で転びそうになるたびに、従者が両側から支える。バリケードを抜け、蒸気車デッカーに乗り込むとすぐに発車した。だが振動に体を揺さぶられて、ものの数分で吐き気を催す。

 気力だけで堪えて、安全が確保されると、フィリップは下車するなり胃の中のものを全部吐き戻した。


「フィリップ様」

 水の入った革袋を差し出してきたのはリュクスだ。スピーダーで追いついてきたのだろう。

「父上は……」

 聞くまでもないが、リュクスは首を横に振った。

「ご遺体も取り返す事ができず。申し訳ありません」


 がっちり武人体型のリュクスが、震えが止まらないフィリップを抱えて、再び蒸気車に乗せる。日暮れ前には、もともと逗留予定の街に到着できた。

「警護は万全です。何があっても私がお守りしますので、どうぞゆっくりお休みください」

 リュクスはそう言うが、全く眠れそうにない。食事も断った。


 情報は次々に入ってくる。下手人はタンギィという王太子シャシャの側近で、かつて無怖公がアルマニャック派の政敵オルレアン公(シャルル・ドルレアンの父)を殺害した事への報復だという。直近ではブールゴーニュ派に我が物顔でパリに居座られ肩身の狭い思いをしていたから、王太子はこの機会を伺っていたのだろう。

 一方で無怖公もフィリップでさえも、己の優位を疑いもしなかった。


「この難局に及んで、今更十二年前の報復って……」

 寝台にうずくまるフィリップが頭を抱えると、心配顔のリュクスが寄ってきて、遠慮がちに背中をさする。

 これがフランス王家なのだ。アルマニャック派なのだ。今はそんな時じゃないというのに、あいつらは何も分かっちゃいない。

 そう思ったとき、頭の中でぴんと一本の糸が張ったようになる。


「んふっ、んふふふふふふふふふふふふふふふふふっ…」

「フィリップ様…?」

 膝を抱えたまま、くぐもった笑いを漏らす主君に、リュクスは戸惑っているようだ。


 ———すべてヘンリーに仕組まれた。この会見自体も。


 父を焦らせアルマニャック派との休戦を呼び、シャシャとまみえさせるために分かりやすい形でポントワーズを破壊したのだ。

 いいや、下手人はシャシャの側近中の側近と言っていい男だ。いくらヘンリーといえど、そこまで掌中に収めていたとは思えない。


「けど、そうだ、サウサンプトンの時と同じだ」

 最初の遠征の時、シャルル・ドルレアンはヘンリーの旧友で財務長官のスクループと、ケンブリッジを買収し、彼らにヘンリーを暗殺させようとしたではないか。

 あの時はシャルル・ドルレアンの目論見は外れたが、もちろんヘンリーは忘れていないだろう。己の手を汚さずにヘンリーを葬り去ろうとしたアルマニャック派のやり方を、皮肉たっぷりにやり返した可能性はないか。


「シャシャの側近タンギィを買収し手の内に納めていた。あり得る。ヘンリーなら十分あるよ。んふふふふふふふふふ…」

 ああ、震えが治まらない。

 一体いつから始まっていたんだ? 父がルーアンに向けてパリから出陣した時? それともアジャンクールの後? もしや最初に上陸した時からなのか?


 翌日、帰る先は慣れ親しんだフランドルではなく、ブールゴーニュ領の首都、ディジョンの父の居城だ。

 家督を継いだフィリップがまず着手したのは、父の遺体返還要請だった。かなりの金額をふっかけられたが応じるしかない。


 手早く葬儀を終えるが、派手好きの父は豪奢な棺を作らせていて、まだ出来上がっていなかった。まさか自分の方が先に眠ることになるとは思わなかったのだろう。とりあえず仮の棺に収まってもらった。


 それから部屋に一人きりになると、黒い箱の前に座る。コード番号を押し、ゆらゆらする画面から視線を外さずに待つ。


「ぃよう、会いたかったぜ」

 アームチェアに腰かけたヘンリーは、待ち構えていたようだった。

「やっぱり君の仕業?」

「何の話だ」

 けろっとした顔で脚を組み替えるヘンリー。


 しかし、フィリップに選べる道はない。事件の夜からずっと考え続けてきたが、他にない。一度大きく息を吸う。

「イングランドと同盟する。アルマニャック派を倒すのに手を貸してほしい」

 ぶつかり合ったヘンリーの視線からは火の粉が舞うようで、画面越しの熱をフィリップは確かに感じた。


「もちろん、本気で戦うつもりがあるならその勇気を讃えよう、ブールゴーニュ公フィリップ」

 それから、ヘンリーは上半身を前に乗り出す。

「ただし父君のように曖昧な態度をとるなら、オレは征服戦争を継続し、ブールゴーニュ領も取る。フランスが夜明けを迎えられるか、命運はお前にかかっていると思え」


 父とシャルル・ドルレアンがフランスの覇権をめぐる、互いの尾を食い合う蛇の争いに僕は興味ない。イングランドにだって関わりたくなかった。それがフランスの夜明けだって? 僕の肩にそんなもの乗せないでよね。

 

 だが、もはやフィリップには受け入れるしかない。

「ああ、不毛な争いは僕が終わらせてやる」

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