第5話 首都攻め
カーンの陥落は、冷酷王の名と共にノルマンディ全土を恐怖で席巻した。
「冬になっても戦を止めないんだもんなぁ」
吐く息は白い。ブラッドサッカーはパリにいた。
冬は休戦というのが常識だが、イングランドは攻撃を緩めない。トマスの指揮下でスピーダーの速さにものを言わせて進軍し、アランソン、シェルブール、エヴルーと要所を制圧。ノルマンディのほとんどを手中に収めていた。
「いよいよ首都ルーアンに王手をかけたわけだ」
ルーアンは七万の住民と兵士を擁する、化け物のような巨大要塞だ。これを包囲したイングランドに、燃料を絶やさず供給し続けるのがブラッドサッカーの仕事だ。
それと、パリに来たのは家族ぐるみで親交があるブールゴーニュ無怖公からの依頼だった。
パリに戻るぞよ! と言うのだ。主力を失い弱体化したアルマニャック派を、今度こそ追い出すつもりらしい。
市内には同業仲間や馴染みのブローカーが多くいる。取引が成立するなら、彼らにはブールゴーニュもアルマニャックも、あまり関係ない。だから、彼らと共に夜中にこっそりとサン・ジェルマン門を開け、無怖公の軍勢を手引きするのなど造作もなかった。
傑作なのは、無怖公自ら
「アジャンクールの屈辱的な敗戦で、冷酷王ヘンリーをのさばらせたのは誰か。カーンを奪われ、祖国を脅威にさらしているのは誰か。他でもないアルマニャック派の腑抜けどもである! アルフルールが砲口を向けられ恐怖におののいた時、彼らは一体何をしていたか。何もしなかったのだ。ああ、これ以上奴等に祖国の命運を委ねるわけにはいかぬ。今こそアルマニャック派を一掃し、強いフランスを取り戻す時である。同志たちよ、血染めのパリを追われた屈辱を思い出すのだ!」
「ったく、自分のことは棚上げしてよくぞ言えたもんだ」
アジャンクールに参戦せずイングランドの進軍を傍観していたのは、何を隠そう無怖公の方なのだ。
これに歓喜したブールゴーニュ派市民は勢いのまま、アルマニャック派が監禁されている牢獄を襲撃し、血祭りに上げた。
ノルマンディを手に入れる為、カーンで血に濡れたヘンリーとは対照的に、無怖公は虐殺という汚名を自ら負うことなく、政権に復帰したのだ。
「しかし、これからどうするんです? ヘンリー陛下のフランス王位継承を支援するっていう極秘協定があるでしょう?」
がっはっは! とルーヴル宮にどっかり腰を据えた無怖公へ、ブラッドサッカーは口火を切った。
パリと国王を支配下に置いたのだから、今の無怖公にはフランスの統治者として、イングランドの進撃から国土を守る義務がある。しかしそれは、ヘンリーを支援するという密約への明らかな裏切りだ。無怖公は大きな矛盾を抱えている。
「あの小僧、最近めっきり連絡をよこさなくなったのう。苛立っているのか?」
「さあ。あなたと一緒で、あの方は何手先まで読んでいるのか分かりませんから」
「ほう。では、この手はどうだ」
無怖公は、セーヌ川にかかるポン・ド・ラルシュという要塞に軍勢を配備し、橋を破壊した。ルーアンからパリへ進撃する場合の、唯一の渡河地点である。
これに、イングランドは司令官トマス自らが五千人を率い、浮橋を作ってあっという間に攻略し、逆にパリへ睨みを効かせるように守備隊を配置した。
「小生意気な奴が、やってくれるわ! がっはっはっはっは!」
怒り狂うと思いきや、無怖公は上機嫌である。
「うむうむ、司令官の弟を差し向けるとは、ヘンリーの小僧に退く気はないというわけだな」
ルーアンという化け物を相手に包囲戦を展開するヘンリーからすれば、「おっさんよ、余計な邪魔すんじゃねぇ」だろう。トマスを出してきたことが本気度を示している。
「約束を果たすよう迫るヘンリーと、それを遊びながらかわす無怖公か」
一方、籠城して一か月以上経過するルーアンは、深刻な食糧不足に陥っていた。
そしてあろうことか、口減らしのために非戦闘員の老人や女子供、病人一万人以上を街の外に追い出したのである。
体の芯まで凍える雨の中だ。食べ物も着るものもなく放り出された彼らに頼れるのは、敵将イングランド王しかない。
だが、慈悲を乞う彼らにヘンリーが打った手は、施しはせず両軍の間の堀に彼らを留めることだった。
体力の無い者たちだ。ばたばたと死んでは、それを見せつけるために遺体を並べるようヘンリーは命じる。
自らの振る舞いにより、見える形で絶望をあらわにされたルーアンがおののく。首を長くして待つ唯一の希望は、無怖公の援軍だ。
「こうまでされて動かないとなれば、国民の期待を裏切ったと、無怖公の権威は失墜するよなぁ」
そしてついに重い腰を上げる。無怖公が五千人を超える援軍を編成したのだ。
「おいおい、二人とも本気でやり合う気なのか?」
約束を遵守しない無怖公に、ついにヘンリーも我慢できなくなったのか。しかし互いにこれまでの交渉を反故にしてまで、やり合うメリットがあるだろうか。
ド派手な出陣式の演説を遠くに聞き流す。相変わらずよく通るバリトンだ。
ふと、隣の濃い灰色の厚手の外套をかぶった姿を二度見した。
「ヴァイオラ⁉ びっくりしたぁ。いつからいたの?」
「アンタが余計なことをしないか見張っていた」
「もしかして俺がパリに来てからずっと? だったら声かけてくれればいいのに」
「ヘンリー様の邪魔になるなら、殺さなきゃならないからな」
「怖っわ。俺は相手が誰であろうと、寄せられた信頼にはちゃんと応えるのがモットーだよ?」
「応えた結果が、ヘンリー様を裏切ることになる場合もあるだろう」
「今の無怖公のように?」
「アンタは無怖公が裏切ったと思うか?」
ブラッドサッカーは少し考える。
「いや……。シザーリオにも言ったけど、あの二人は欲しいものも同じ、敵も同じで、対立するメリットが無いんだよ。だから無怖公はずっと曖昧な態度を取り続けてきた。それを今ここで覆したら、無怖公は単独でアルマニャック派とイングランドを相手にすることになるだろう?」
だから本音では出陣などしたくないはずなのだ。そしてヘンリーとて、ブールゴーニュとは戦いたくない。なのに、無怖公へそう仕向けたのは間違いなくヘンリーなのだ。
「猛獣と
ヴァイオラはブラッドサッカーの耳元に口を寄せる。
「見ていろ。ポントワーズで面白いことが起きるぞ」
そう囁いて、ブラッドサッカーの唇を吸った。
面白いこと……? なんだ、何をしようとしてるんだ?
だが、冷たい舌に生き物のように口の中を動き回られて、何も考えられなくなる。白い吐息が混じり合い、ただ愛しい気持ちだけが体中をいっぱいにする。
「今夜、来てよ。待ってる」
「約束はできない」
ヴァイオラは羽根で触れるように唇の先にキスして、雑踏へ消えた。
ブールゴーニュ軍とアルマニャック派王太子軍は、ポントワーズで合流し、ルーアンへ向かうことになっていた。
そこで口論が起こったのだ。
アルマニャック軍に提供された肉よりも、ブールゴーニュ軍の肉の方が大きいんじゃないか。始まりはそれだけだった。
だが、口論が暴力沙汰になり、一対一が集団対集団になり、進軍が止まる事態となる。
パリからわずか20マイル(32㎞)地点のことだ。「アルマニャック派に進軍を邪魔された。これは名誉にかかる由々しき事態である!」と、無怖公は王太子軍を激しくなじり、なんとパリに引き返してしまった。
たぶん、最初にブールゴーニュ軍へふっかけたのはシザーリオ達なのだろう。
今度はヘンリーの遊びに、無怖公が乗った。
「そして無怖公は国民の期待とヘンリーとの密約、どちらも正面から裏切るわけでなく、再び曖昧な態度に持ち込んだ。一人勝ちだな」
ブラッドサッカーが呟いた先には、身支度をしてブーツを履くヴァイオラの小さな背中だ。そこには、さっきまで溶け合っていた甘い空気はもう無い。待ってる、と言ってから二日経っていた。
ヴァイオラは振り返らずに言う。
「だがな、遊びというにはあまりに多くの犠牲をヘンリー様は払った。あの方は、無抵抗のルーアン市民を平気で見殺しにできる方ではない。必ず無怖公へ相応の代償を求められるだろう。見ていろ」
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