第3話 冷酷王

 カーンへ向けスピーダー部隊で進発したトマスは、次々と村や町に襲い掛かかった。抵抗を示さなければ危害は加えない。逆にパンとワインを提供し、通行や兵站へいたん確保に協力させるのだ。

 しかし拒否すれば、容赦なく略奪し焼き払う。


 この村もそうだった。名前など知らぬ。略奪は兵士にとって、過酷な宿営生活のボーナスだ。欲を満たしてやるのも軍を維持するには必要である。


「トマス様」

 天幕で一人、干し肉を噛みながら地図を眺めていると、入ってきたのはサフォークだ。アルフルールでトマスを庇った時の傷も、すっかり癒えている。


 アジャンクールでサフォークの父は戦死していたが、改めてトマスに仕えたいと願い出ていた。副官のランドは、小さなリチャードの後見人として祖国に留まるようヘンリーに命じられていたし、トマスはこの男を育てるつもりで承諾した。


斥候せっこうより報告です。予定していたトゥック川の渡河地点が、既にフランスに押さえられていると。至急で守備が手薄な浅瀬を探らせています」

「やむを得んな、しばらく川沿いに進軍しよう」


「それと……あの、村に、びっ美女がいます。この辺りで評判の」

 それまで冷静だったサフォークの目が急に頼りないものになり、直立した体までゆらゆら落ち着かなくなる。


「……で?」

「そっ、それであの、ト、トマス様に……。本当に、ちょっと見ないような美人です。きききっと、お気に召されるかと……」

 なんだ、そういうことか。脱力したトマスに、サフォークは何を勘違いしたのか盛大に土下座する。


「ももも申し訳ありません出過ぎた事を! 最近、トマス様が女性をお近づけにならないので、体調が優れないのではと将校たちが心配しておりまして! 鵜呑みにした私が愚かでした! どうか厳罰をお与えください!」

 そんな心配をしてくれるとは、将校もサフォークも気が利くではないか。


「よし、美人なんだろう? お前にやる」

「ぃえええっっ⁉ けけけけけ結構ですぅ!」

「遠慮するな。俺は散々モテまくってきたし、今は興味ないんだよ」

「いきなりそんな無理です無理ですぅー!」


 涙目になるほどの、サフォークらしからぬこの狼狽ろうばいはなんだ。考えて、一つの答えに至る。

「お前、もしかして?」

 できるだけ優しく、トマスは続きを言わせようとした。サフォークは顔を真っ赤にして、小さく頷く。


「ダメなんです……。何度か試しましたが、女性を前にするとどうしても……」

 同じ男として看過できない問題だ。この男を育てると決めたが、まさかここまで指南しなければならないか。

「わかった。この事は絶対に他言しないから、安心しろ」


 いろいろあったが、ヘンリーが到着した時には、既にカーン郊外を占領していた。


 天幕の外で出迎えると、鎧姿のヘンリーはすれ違いざまに拳を突き出してくる。同じように突き出してゴツッとぶつけ、互いにちょっとだけ口元を緩めた。

 幕僚が輪になり、早速軍議である。トマスは卓上に広げた地図を指差す。


「街は、カーン城を中心に楕円状に市街地が広がり、中心部は旧市街、裾側は新市街と呼ばれてる。新市街は堅固な城壁に囲まれているけど、厄介なことに新市街と旧市街の境目にも古い囲壁があり、二重の防御体制になっている」

 それから新市街の外側の二か所を指で突く。


「ここにそれぞれ修道院がある。少し高台になっていて、砲台を据えるのにもってこいだ」

 修道院は東西に一つずつで、つまり両サイドから街へ砲撃可能なのだ。

「いいな、それ。すぐやろう」

「もうビーチャムに攻略させてるよ。修道士が話の分かる奴で、ビーチャムと意気投合してて」


 それを聞いたヘンリーが笑う。

「ビーチャムと意気投合ってことは、酒と女だろ。とんだ生臭坊主を見つけ出したもんだな」

 そういうのはトマスの得意技だ。案の定、被害を受けたくない修道院は、友好的に明け渡してくれた。


 休む間もなくトマスは布陣し、突入できそうな箇所を割り出し、修道院に据える大砲の諸元を算定する。ここまでの路程で兵站も確保してきたし、占領後に守備隊を配備する為の準備もしてきた。あとはヘンリーの交渉結果次第で、いつでも戦闘に移行できる。


 ところが、ヘンリーがカーンの城代へ降伏勧告をしたためる間に、ビーチャムと意気投合したという修道士が、命からがらの様相でトマスの本陣に飛び込んできた。

「カーンの兵士たちが修道院を破壊しています! 止めようとした修道士もやられました! どうかお助けください!」


 修道院を奪われて砲撃されてはまずいと、カーンの兵士が破壊しに来たわけだ。元々占領しに来たはずのイングランド軍に助けを求めるのもおかしな話だが、ともかく反撃に出たビーチャムが修道院を奪い返し、そのまま市街地への攻撃開始となった。


 急ごしらえの砲台に据えられたのは、ヘンリーと共に上陸した巨砲だ。アルフルールの苦戦で砲撃の重要性をヘンリーは再認識したようで、特に力を入れて開発させた。

「すごい音だな」

 演習で原野に向けて放つのとは違う。発射の轟音と街が破壊される音が交互に、いつまでも頭の中に響き続ける。

 一方で、カーンの新市街から放たれる砲撃は修道院には届いていない。

「計算通りだ」


 穴が開いた城壁へトマスは総攻撃を命じた。

 上から石や瓦礫、火のついた油をまき散らし、新市街の兵士は激しく抵抗した。しかし突入するイングランド軍は精強で、雪崩のように街を覆っていく。


 住民がアリのように列をなし、旧市街へ逃げる。だが守ってくれるはずの囲壁があだとなる。限られた道に多くの人が殺到したため、詰まって進めないのだ。前にも後ろにも進めず追い詰められた住民の恐怖は、イングランド軍にとって略奪への前戯だった。


 トマスは、逃げ遅れた住民を広場に集めるよう命じた。それから自らの足で被害状況を視察しているヘンリーの元へ、ひざまずく。

「恐れながらご進言申し上げます。新市街の住民二千名を広場に捕らえました。ご慈悲は与えず、皆殺しにすべきと存じます」

 副官サフォークをはじめ、ヘンリーの側近モーも息を飲む。


「旧市街の住民は未だ抵抗を止めず、数か月分の兵糧を擁していると情報を得ています。もう九月であり、長期の籠城戦になればアルフルール戦以上の損害を覚悟せねばなりません」

 しかし今回は侵略ではなく占領なのだ。緒戦で兵力を失いたくはない。

「今ここで、力を示されるべきです。どうかご決断を」


「オレは慈悲を与えるつもりはないと、予めカーンの城代に通告した。おまえの戦だ。おまえがそう言うのなら、オレはやろう」

「金獅子の旗の下に」

 赤字に三頭の金獅子。イングランド王家の紋章だ。


 虐殺はどんな事情があろうと決して英断にはならない。それをヘンリーに決断させてしまい、謝りたいような気持ちになる。しかしトマスが謝罪の最初の一文字でも口走れば、兄から本気で蹴倒されるだろう。


 異様な雰囲気の広場に集められた二千人に、兵士、市民、男女、年齢の区別はない。

「構え」

 周囲をぐるりと囲んだイングランド兵が弓と銃を構える。悲鳴が、助命を懇願する声が瓦礫がれきにこだまする。


「放て」

 ヘンリーの号令。

 無抵抗な人民へ矢と銃弾の雨が降り注ぐ。それから一斉に剣を抜く金属音。広場からあふれた血が道路にまで流れた。

 ふいに、赤子の泣き声が聞こえる。トマスが目で探すと、首を斬られた母親の腕の中で、まだ乳首をくわえている。


 悲鳴に混じり細く響く赤子の声に、ぴんと張った鋭利な糸で耳の奥から頭蓋を切断されたように感じ、トマスは腰が退け、無意識に後退していた。

 しかし、ヘンリーはこれで終わらせない。


「ハヴォック!」

 それは略奪の合図だ。掛け声が伝播し、兵士が手あたり次第に金品を奪い、女を犯す。その一部始終を眉一つ動かさずに、ヘンリーは見届けた。

 トマスは、見ていられなかった。体はヘンリーの隣にあっても、目に映る映像や頭の中を引っ掻き回されるような悲鳴は、即座に遮断された。


 アルフルールでの慈悲深さから一転した、イングランド王の非情。目の前で見せつけられた旧市街は戦意を喪失し、その日のうちに降参した。


「あぁ、気持ち悪ぃ」

 言いながらビーチャムはバクバク食っている。

「お前すごいな」

 皆殺しにすべきと進言したはずのトマスは、一口も食べられない。口に入れるのを想像しただけで吐きそうだった。


「いや、食い続けてないと逆に吐きそうで」

 さすがウェールズ戦争時代を生き残ってきた男である。

 ヘンリーは、無言でいつもの量をたいらげた。今日のトマスには広場からあふれた血にしか見えないワインも飲んだ。

 それから、ふと口を開く。


「ウェールズの頃、上官に処刑方法を教わったんだ」

 昔を懐かしむ口調ではない。

「絞首状態でまず性器を切り落とす。次に腹を開けて腸、胃袋と下から順番に引きずり出していく。最後に心臓を切り取って、首を落とし、残った体は四つ裂きにする。お前もやれと言われた。忘れもしねぇ、十四歳の時だ」

 全員凍り付くが、構わずにヘンリーは続ける。


「摘出した臓物を見せると、朦朧もうろうとした意識の中でこれが何なのか理解しようと、一瞬目の色が変わる。その後ショックに我を失うか、意識が飛ぶんだ」

 カーンの臓物をノルマンディ全土にさらした。それは腸なのか、胃袋なのか。


「次はノルマンディの首都ルーアンだ。冬の長期戦になるし、死ねる方がマシだと思うような戦いになるだろう」

 ああ、ヘンリーはこれから、ゆっくりと心臓を切り取るつもりなのだ。


 虐殺という呪いを永遠に背負ってなお、いつまで正気を保っていられるか。ヘンリーは最後まで目を逸らさないだろう。

 トマスは逃げたい。許されるなら今すぐにでもだ。

「ヘイル・ヘンリー」

 トマスが杯を掲げて一気に飲み干すと、ビーチャムや将校も「ヘイル・ヘンリー」と続く。


 吐きそうになりながら、それでも飲むしかできなかった。

 

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