第8話 決戦アジャンクール 3

 戦は思う通りになる類のものではない。敵軍の形をしたとてつもない怪物だ。

 それは、リチャードおじさんと共に十三歳で初陣を経験した時から変わらぬ、ヘンリーの思いだった。


 トマスがおびき出したフランス軍の先陣。その前進が始まるや否や、トマスとジョンの左右からの一斉射撃が、フランスの両翼を撃破した。

 次はフランス軍の中央前衛3万が前進を始める。それは城砦が動き出したくらいの迫力で、イングランド軍に戦慄が走ったのをヘンリーは敏感に感じ取る。

 最前列から前に出ると、軍勢に振り返る。


「怯むな! 今日を戦う者は父から子へ語り継がれる英雄となり、なみなみと注がれた盃で乾杯するごとに生き生きと思い出されるはずだ。オレと共に血を流す者は、オレの兄弟となる。どれほど身分の卑しい者も、今日この日から貴族と同列になるのだ。戦友として共に死ぬのを恐れるな!」


 大音声に、中央のイングランド軍は水を打ったようだった。


「ここをイングランドにする! この地を満たせ。誰にも奪わせるな! その手で栄光を手に入れろ!」

 王が俺たちを必要としている。人々の記憶とイングランドの歴史に名を残すと、俺たちの王が約束してくれた。

 その興奮は波のように伝播し、花咲くアジャンクールの丘を揺らさんばかりだ。

 

「さあ、矢を射込め!」

 砲撃しかり、弓しかりで、フランスよりもこちらの射程の方が長く、強力だ。弾も矢も全部使い尽くすまで撃てと命じる。


 フランス軍はぬかるみにハマったスピーダーを捨て、地面に降りての突撃隊形。3万の前衛とぶつかるのは先鋒、ヨーク公の陣2500人だ。だがすぐには突っ込まない。申し合わせたように側面からの一斉射撃がフランス軍の前進を止める。


「いいぞトマス!」

 そしてヨーク軍から弓兵が前へと飛び出し、果敢に矢を射込んでいく。至近距離で撃たれれば、鏃は鎧をも貫く。息もつかせぬ凄まじい連射だった。


 弾頭と矢の雨に、みるみるうちに斜面には死体が累々と連なり広がる。

 しかしフランス軍は死体を踏み越え殺到した。数だけはまだまだいるのだ。ヨーク公が一歩も退かずに押し合うが、後から後から湧いてくるようだった。


「フランス軍は数の優位を生かして一対一の勝負に持ち込み、その間に残りの兵が指揮官を集中的に攻める作戦だな」

 指揮系統が混乱したフランス軍にできるのは、泥の中、のろまな前進だけだ。その読みに間違いはない。


 だか圧倒的な数に、ついにヨーク公が崩されてしまう。それは乾いた布に水が浸潤するような勢いで、ヘンリーは直ちに舵を切る。

「出るぞ。前進!」

 中央本隊、そして後陣ビーチャムにも前進を命じる。


 かわすのでも、いなすのでもない。正面からぶつかり合い、押し戻され、またぶつかり、受け止める。もう飛び道具を出す暇はない。剣で腕を切り落とし、戦斧で頭をかち割り、拳で掴みかかり殴り倒す肉弾戦だ。

 数では劣るイングランドが、統制の取れない万の壁の間をすり抜け分断し、浸潤を止める。


 負ければ死しかない。一人一人が体の芯までそう覚悟しているイングランド兵の決死の前進に、徐々にフランスの前線は押しとどめられる。

 フランス軍はイングランドの勢いに耐えられず後退しようとするが、しかし背後からは前方の様子が分からぬ味方兵が次々に押し寄せてきて、後退すらもままならない。前からはイングランド、後ろから味方に挟まれ、身動きが全くとれない状況だ。


 ———ここだ。

 彼方へ続く一本の路が見える。海を割る直前のモーゼのような、この瞬間。


「全軍突撃せよ! オレに続けぇ!」

 ヘンリーが大剣を抜いた。ラッパが鳴り響き、イングランド軍がときの声を上げる。8000人が全速で駆ける。


「ジェーン暴れるぞ、エンパワメント!」

「やろやろっ!」


 側にいるハンフリーとモーが顔を見合わせる。

「今暴れるっつった?」

「そういうの困るんですけど!」


 小さくなりつつある国王の背中をダッシュで追う。もっと慌て困るのは麾下きかたちで、猛ダッシュで周りを囲む。


「お下がりください! 前線に出ないよう散々言いましたよね⁉」

「最近物忘れが激しくてな」

「総大将なんだから後ろで高みの見物しててよ!」

「あぁ? 聞こえねぇな」


 ダメだ。諦めた二人は身を盾にする覚悟を決め、ハンフリーがヘンリーの前に出た。


「エンパワメント! 行くぞモンマス!」

 相棒AIの名モンマスとは、ヘンリーの出身地で幼名だ。開発者ジョンが設定したキャラは「いつも最前線で無双してそうな主人公」らしい。


 次々と敵を薙ぎ払っていくハンフリー。成長したなと弟を思った時、前方にとてつもない殺気を感じる。明らかに異質なものが近づいてくる。


 隠そうともせず真っ直ぐヘンリーに狙いを定め向かってくる、三十人ほどの一隊。イングランド軍を退ける様は血路を開くという文字がふさわしく、一度の斬り合いでこちらの同数以上が倒された。中でも先頭の男が群を抜いて強く、どぎつい装飾の剣が血飛沫を散らす。


「ハンフリー! よせっ!」

 しかしその声が届く前にもう、ハンフリーは向かっていた。エンパワメントしたはずの斬撃が、軽々と受け止められている。


「くそ……!」

 ナメるなと繰り出す攻撃は、二打目、三打目とスピードも威力も上がっている。だが、男はまたもやすやすと受け止め、四打目で押し返した。


 弾かれたハンフリーに隙ができる。モンマスが肉体を支援し次の攻撃を何とかかわす。だが後ろから敵兵が迫っていた。

「あっっ……ぐっ……あああああああああ————っっ!!」


 後ろから前へ、槍の穂先が左の太腿を貫き飛び出している。そのシルエットに、ヘンリーの視界が極度に狭くなる。ハンフリーの目の前に迫る刃が、まるで自分の顔に迫るようで———


 ガキイイイィンッ


 受けた大剣に痺れるほどの振動が伝わる。

「うそ、なんなのこの強さ? この人、人間?」

 ジェーンがそう漏らすほどで、この威力ならハンフリーが弾き飛ばされるわけだ。


「お前ぇ、一体何者だ? この力はなんだ?」

「我が名はアランソン公! これを待っていたのだヘンリー」

「……オレを飛び出させるためにハンフリーをやったってのか」


 怒りとともにヘンリーが左足を踏み出す。闘気と共に、アランソンの剣を押し返した。そのまま大剣を操っているとは思えぬ俊敏さで打ち込んでいく。防戦一方のアランソンを援護しようと、周りの兵がヘンリーに向け剣を突き出す。


「邪魔すんじゃねぇ!」

 流れるような動きで、たった一度でそれらをいなす。ヘンリーの背後から飛び出したモーと麾下が、敵兵の体に剣を差し込んでいく。


 いなして振りかぶった勢いを乗せて、ヘンリーの剣がアランソンへはしる。バランスを崩しながらも、アランソンは何とか受け止めた。


「オレの斬撃に耐えるとは、お前やっぱり普通じゃねぇな。どんなからくりだ?」

生憎あいにくだったな、貴様を捕らえる為だ!」


 爆発のような突破力でアランソンが押し返す。さっきのハンフリー同様、弾かれたヘンリーの隙をついて次の一撃が繰り出される。

 だが、ヘンリーの方が速かった。


 アランソンが剣を振る前にもう、ヘンリーは切り返している。大剣が横に一閃し、アランソンの剣がバキンと真っ二つに折れ、首から地を流して倒れた。


「生憎だったな」

 その死体には目もくれず、向かうのは麾下に囲まれ後退するハンフリーのもとだ。太腿にはまだ槍が刺さったままである。


「抜くぞ」

「ああ……っ、抜いてくれヘンリー。オレはまだ戦える! 足を切り落としてでも戦ってやる!」


 従者にハンフリーの体を押さえるよう命じ、ヘンリーは槍の柄を短く切り落とした。傷口から決して目を離さず、突き出た槍の刃に手をかける。


「オレはまだ戦える! まだやれる!」

 口で荒く呼吸しながら自らを鼓舞するハンフリー。


 手のひらが傷つくのも構わず、ヘンリーは穂先を握って一気に引き抜いた。ハンフリーが獣のように呻き苦しみ、従者が足の付け根をきつく縛って止血する。


「くそ痛てえぇぇっ! おいっ! この足を切り落とせ! ちくしょう、オレは戦いたいんだ!」

「すぐに処置を施せ。弟の足を切り落とすのは許さん、必ず救えと外科医に伝えろ」

「御意」

「くそおぉぉぉっ! オレはまだ戦える! まだやれるんだああっ!」


 ヘンリーはもう、戦場を向いていた。総力を投じた突撃はまだ終わらないのだ。

「旗を高く持て」

 駆け寄った旗持ちの従者が腕を頭上に掲げる。赤地に金獅子の旗が、灰色の空にはためく。


「イングランド王ヘンリーはここだ! 金と名誉が欲しい奴はかかって来るがいい! このオレをモノにしてみやがれ!」


 万がひしめく戦場に轟く大音声。

 ヘンリーは血の路を踏んで、自ら前に駆け出した。

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