第5話 忠告

 ブラッドサッカーのフランスでの仕事は燃料補給である。これは食糧確保と同列の最重要ミッションだ。本国からの輸送と戦場でかき集めた鮮血で、ここまでは必要量を供給できている。


 しかし、今後は獲得した領土を維持しなければならず、本国からの輸送を待つだけでは不足する。必要分は現地で入手と、皇太子時代からヘンリーはブラッドサッカーを通じて準備をしていた。それが大陸でのブラッドプラント建設だ。


 ここまで大きな仕事はブラッドサッカーにとっても初めてで、しかも埋蔵血は古戦場を掘ればどこでも出るわけではない。地中を走る『地血脈』に当たらなければ何年も採掘できないことがザラにあるのだ。が、これがいきなり当たった。


 かくしてブールゴーニュ無怖公、イングランド王ヘンリー、ブラッドサッカーの三者による共同出資で、フィリップの所領フォントノワの古戦場にプラントが完成した。


「ヘンリーはこのために俺を儲けさせてきたんだな、きっと」

 次は輸送ルートである。


 無怖公はプラント出資には同意しても、輸送にブールゴーニュ領を抜けるのは許諾していない。それを許せばイングランドとの同盟を内外に示すことになってしまうからだ。

 つまるところ、イングランドとブールゴーニュの同盟話に回帰していた。


「ここからはもう俺の仕事じゃないしねぇ」

 迂回ルートを模索しているが、かなり遠回りになり不効率だ。

「どうしたもんかなあ」


 考えながら、フランスでの拠点にしているイングランド領カレーのアパートメントに帰ると、玄関扉の鍵が開いている。プラントからもさほど遠くない場所だ。

「あれ」

閉め忘れたかな? いや、なんか不穏な感じがする。


 恐る恐るドアを開け、一応護身用ナイフを抜いて、そうっと入ってみる。事務所にしている奥の部屋の灯りが揺れ、間違いなく誰かいる。

「誰だ」

 腹に力を入れて、できるだけ低い声を通す。


 かばんを置いて、両手でナイフを握りしめる。玄関は開けたまま退路を確保し、膝をガクガクさせながらすり足で進む。

 ろうそくの灯りが漏れる事務所までもう少し———


「そんなにビビるな」

 背中をポンとされ、毛穴という毛穴が全開になる。

「ぅわあああわあああぁひいああっっっっ!」


 まさか後ろから来るとは思わず、前にしか集中していなかったから完全無防備な背中だ。振り返って無茶苦茶にナイフを振り回しながら後ずさると、絨毯じゅうたんのわずかな段差にかかとを取られて、派手に尻もちをついてしまう。


「痛ってえ! って、ヴァイオラ!?」

 まだ震える手でナイフを突きつける先には、くりんとした円い瞳と長いまつ毛でこちらを見下ろす姿。グリーンのワンピースから伸びる素足がこの上なく綺麗だ。


「そんなに怖かったか?」

「おっおお俺は一般人だ! 前回殺されそうな目にあったのだって、未だに心に傷は残ってるんだからな!」


「そうか。だが勝手に首を突っ込んできたのはアンタの方だぞ?」

 言いながらヴァイオラはナイフを手から取り上げて放り、ブラッドサッカーの上にまたがる。


「……っ!」

 唇を覆われていた。理解する間もなく、もう口の中まで絡めとられている。

 ちょっと、いきなりかよ。玄関開いてるんだけど。

 ここは最上階の角部屋だから、住民が通りかかることもないのだが。


 力を抜くと床に倒された。吐息も荒く唇を交わし合いながら、手探りでバックルを外される。ヴァイオラが膝で腰を少し浮かせたので、ワンピースの下から手を這わせ一気に到達する。


「え……?」

 そこにはあるはずのものがなく、代わりに無いはずのものがあった。

 無理やり顔を離して、両手でスカートを上までめくる。ブラッドサッカーの眼前には、彼の股間についているのと同じものがあった。


「………」

 言葉が出てこない。

 すると、膝立ちになったヴァイオラが高らかに笑い出す。


「いい顔を見せてもらった。オレは双子の弟の方だ。どうする、続けるか?」

 言いながら、ワンピースの脇から手のひら大の風船のようなものを引っ張り出して見せる。


「はぇ……」

 まだ言葉が戻ってこない。


 見た目も声も瓜二つ。双子とはいえ男女でここまで似るものなのか。いや、男でこの容姿なのだから、美貌という点でいえば弟の方が数段上だ。むき出しの腕も足も一切の男性要素は無い。これ以上なく綺麗だと思ったばかりだ。

 弟はシザーリオと名乗った。


「えと、とりあえず下りてくんない?」

「アンタ、慣れてるな」

「君こそね」


 一人称がアタシからオレに替わっただけで、喋り方まで同じなのである。

 隣でシザーリオが白い太腿を剥き出しにあぐらをかいて座ると、どっと疲れてブラッドサッカーはそのまま床にのびた。


「で、何の用なの。人んに勝手に侵入してさ」

「アンタがブールゴーニュ無怖公と親しいのは、父親のコネか?」

「そうだけど」


 ブラッドサッカーの生家は毛織物貿易の事業主で、父は二代目だ。ブールゴーニュ家が支配するフランドル地方は毛織物製品の産地で、祖父の代から公爵家とは親交があった。ヘンリーがブラッドサッカーを贔屓ひいきにする理由もそこにある。


「今のところ、ブールゴーニュが敵対し参戦する動きはないと見ているが、アンタの方で何か掴んでいないか?」


「俺も無いと思ってるけど、万一このままイングランドが敗れると、フランス防衛の手柄は全てアルマニャック派に持っていかれることになる。さすがにそれを良しとはしないんじゃないかなぁ」


 アルフルールでの苦戦はブラッドサッカーの耳にも入っている。トマスが三途の川を渡りかけたらしい。


「イングランド軍はアルフルールからカレーに向かってるんでしょ? だから、アルトワに防衛線くらいは張るんじゃない」

 フランスの北端でドーバー海峡に面したカレーはイングランド領だが、周辺一帯はアルトワといい、現在はフランドル伯に領有権がある。


「フランドル伯は無怖公の息子フィリップだったな。境界に兵を並べるってとこか」

「プラント建設には巨額の金がかかってる。それを破棄してガチに敵対するメリットは、ブールゴーニュにもヘンリーにもお互い無いよ」


 ブラッドサッカーは言い切る。これは両者と何年にも渡る交渉を重ねてきた商人の確信だ。


「なるほど。すると手を打つべきはブールゴーニュではなくアルマニャックの方か」

 シザーリオはちらと見下ろして、生々しく唇を舐めてみせる。


 急いで体を起こし着衣を整えるブラッドサッカーに、シザーリオは爆笑だった。

 ヴァイオラの顔でこんなに笑う彼と、孤独に憑りつかれたような後ろ姿の彼女とは、やはり別人だ。


「俺は商売の範囲で協力はするけど、頼むから怖いことには巻き込まないでくれよ?」

「アンタ、ヴァイオラはやめておけ」

 ふいにシザーリオは厳しい目で言う。


「アンタみたいに真っ当な商売してる奴にはな、あいつは樹海みたいなものだ」

「それどういう意味?」


「オレたちは異端者なんだ。それは何をしようと生涯変わらない。あいつはアンタの人生を迷わせて、絡みついて抜け出せなくさせて、最後には破滅しかもたらさないぞ」


 だから今のうちに忘れろ。

 その言葉はブラッドサッカーの中にぽとんと落ち、波紋を広げ、さざ波のように繰り返し内臓を揺らし続ける。


「樹海から抜け出すのと、地血脈を掘り当てるのと、確率は同じくらいじゃないかな。でも今は仕事に集中しなきゃならないからねぇ、恋愛遊びしてる場合じゃないんだよ」

 そうかわすのが精一杯だった。


「仕事といえばな、イングランド軍の進路上にフランス軍が集結しているぞ。これ以上一歩も通さないつもりだ」

「どこ? 合戦ならかき入れないと」


 シザーリオは壁に大きく貼られた地図を指さした。そこは今居るカレーの南方44マイル(約70km)、アジャンクール村と書かれている。


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