第4話 言葉途切れて

 眩しくて目を細く開けると、初めて見る天井だった。

 ———どこだここは。何してたんだっけ。


 ぼうっと考えていると、不意にここはフランスで今は戦時中だと記憶が蘇り、はっと体を起こそうとする。しかし簡単には動かなかった。


「気づかれましたかトマス様、大丈夫です。ここはアルフルールです」

 モーだった。


「熱が下がらずに、四日間も目覚めなかったのですよ。よかった」

「四日も……」

 体が錆びた鉄のようになるわけである。聞けばモーも体調を崩していて、療養しながらトマスが快癒するまで側にいるよう、ヘンリーに命じられたらしい。


 次々とアルフルール攻防の記憶が戻ってくる。

「乾いた服とシーツで眠るのって幸せだな」

 しみじみ言うと、汚物まみれだった全身をモーと従者が3人がかりで洗浄したのだという。


「ヘンリーはどうした」

「トマス様のご想像通りだと思いますよ」


 正統な領土要求を拒否したのだから、皆殺しは当然の処罰である。そう述べながらしかし、司令官ゴクールは最後には自らの意思でひざまずき降伏したため、ヘンリーは住民の助命を宣言していた。そして囚人となったゴクールらを夕食に招待したらしい。


 ようやく砲撃音から解放され静けさを取り戻した街では、生きるための営みが再開された。ヘンリーは自分の足で被害状況を見て回り、ここを補給基地にするため早速復興に取り掛かっているという。


「残忍さで恐怖を植え付けるよりも慈悲深いイングランド王の方が、これからフランスを攻略していくにはイメージ良いだろう?」

 トマスが言うと、モーも頷く。


 それから重湯が運ばれてきたので、ゆっくりと口に含む。温かさとほのかな甘みが染み入るようだった。

「あの、聞いてもよろしいですか」

「なんだ?」


 隣で、硬く乾いたパンをスープに浸して食べるモー。スープは細かく刻んだ肉や香草と一緒にうっすら脂が浮いていて、いい匂いがする。


「高熱でうなされているとき、ヴァイオラと」

 ぎく。


「何度か仰っていました」

「……お前、やな奴だな」


 他の兄弟ならそっとしておいてくれることを、わざわざ前置きして聞いてくるのがモーだ。視線が痛い。

 このままだんまりを貫けそうにもなく、弱く溜息を吐く。


「そうだよ、あの異端者ヴァイオラだよ」

 ヘンリーの配下だと知りながら関係をもっていたのは、五年も前のことだ。


「父上が親政復帰して、ちょうどハルとギクシャクしてた頃でさ。俺がいらぬ野心を抱かぬようにと、監視するつもりでハルがよこしたんだろうと思ってた」

 トマスはずっと父の傍にいた。それは父とハルの決定的な対立を仲裁する為だったのだが、王位を狙っているように見えただろう。


 そんな折にヴァイオラは誘惑してきたのだ。どうせハルに命じられたのだろうと、誘われるまま応じた。しかし逢瀬を重ねるにつれ、どうやら違うらしいと気付いた。ヴァイオラが体を開くのはハルの為ではない。


 ヴァイオラは俺を愛しているのではないか。


 そう感じた時には結婚が目の前に迫り、終わりにしようと彼女の方から言ってきた。その後は、一度もない。


「亡くなった奥方様とはおしどり夫婦でいらっしゃったと思えるのですが」

 妻のことは好きだった。領地も欲しかったが、それ以上にこの人と結婚できたらいいなと思っていた。しかし互いを知り夫婦として絆を深める間もなく、病で逝ってしまったのだ。


「妻を失って一年半だ。けど思い出すのは妻じゃなくて、なぜか彼女のことなんだ」

 ヴァイオラはまだ俺のことを———。

 愚かだと思いながらも期待してしまっている。


「異端者で、身分も所領も持たない。命じられれば誰とでも寝る。そんな女だ。だから愛したことなど一度もなかったのに、なんでだろうな」

 ちょっと考えてから、モーは微笑んだ。


「私はそのように人を想ったことがありませんので的外れかもしれませんが。今、ヴァイオラのことを話されたトマス様のお顔には、生気が戻っています。優しい目をしておられます。それは彼女を想っているからではないのですか」


「……そうか、そうなのかな。とっくに終わったはずなのに。愛したことなんてなかったのに、そうなのかな。これじゃ女の趣味が悪いって、もうハンフリーの悪口言えないな」


 モーが「そうですね」と笑い声を立てるので、トマスも笑った。

 ヘンリーの弟なのだ。女性からすれば憧れの存在で三人とも遊ぶには苦労しないのだが、ハンフリーは見る目がなく、いつもしょっぱい目に遭っている。


「『どうせハルから相手にしてもらえなかったから、代わりに俺なんだろ』ってヴァイオラに言ったことがあってさ。最低だよな」

 王位に関心はない。しかし何をやってもハルには敵わなくて、それでも年子の兄に勝ちたくて、裏ばかりかこうとしていた時期があった。


「ジョン様も、年子の兄のトマス様には同じような気持ちを抱いていると思いますよ」

「そうか? あいつの方がずっと頭いいし、顔もいいし」

「でもトマス様の方がモテるじゃないですか」

「数で張り合ってもなぁ」

「まあ、そうですけどね。ヴァイオラも、フランスに来ていますよ」


 ヘンリーのことで、知らせるべきことがあれば誰よりも先に自分へ報告しろというのだけ、ヴァイオラとは今でも続いている。しかしそれ以外の目的で会うつもりはない。これからもだ。

 トマスはモーから目をらした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る