第2話 アルフルール包囲戦 2

「これは酷いな……」

 荷台から下りたトマスとサフォークは、腐臭に袖で鼻を覆う。


 イングランド軍も悲惨だが、アルフルールの街の中はもっと凄惨だった。人々は飢えと疫病に疲弊し尽くしていて、道端では死体や汚物がそのまま朽ちるのを待っている。早朝、街にはあるべき賑わいがなく、今日も長い一日が始まるという絶望が人々の頭上に見えるようだった。


「民の為に一刻も早く降伏を受け入れるべきでしょう。フランス王家は一体何を考えているのか……」

「それがシャルル・ドルレアンであり、フランス王家のやり方だ」


「戦争とは、こういうものですか」

「お前はこれが初陣か?」

「はい」


 素直で屈折したところのない青年だ。そして布が水を吸うがごとく覚えが良く、伝達内容をメモすることなく一字一句暗記することができた。


「まずは情報集めだ。ヘンリーが通達を出すから、それに反応する反戦派を探すぞ」

 通達は、これ以上抗戦するなら女子供も含めて皆殺しにするという苛烈なものだった。正統なプランタジネットとして領土回復を要求しているのだから、これに逆らうは処罰されて当然という理屈である。


 だが、予想以上に主戦派の結束は固く、反戦派はことごとく封じ込められていた。


「フランス軍がきっと来て、イングランドの蛮族なんざ蹴散らしてくらぁ。王家の格が違えんだよ」

「そうだそうだ、シャルル・ドルレアン様が救ってくださるさ。それまでの辛抱さ」

「王太子ルイ様だって、もう近くまで来てるって聞いたぞ」


 街の声を裏付けるように、シャルル・ドルレアンが大急ぎで兵を招集し進軍しているとサフォークの父が伝えてきた。

「まずいな」


 タイムリミットが迫っている。今のイングランドに、アルフルールに背を狙われながら援軍と組み合う体力はない。

 為すべきことは一つ、援軍が到着する前にアルフルールを陥落させることだ。


「トマス様、あの門楼を奪えないでしょうか」

 サフォークが指さすのは街の南西、ルール門の巨大ゴーレム門楼バービカンだ。


「門楼を取れれば、外側からの攻撃はもっと楽になると思うのですが」

「やってみる価値はあるが……」


 旅人に扮した二人は、武器防具を装備していない。短剣一本では心もとないし、それに門楼を奪えたとして、次にイングランド軍を突入させるべく迅速に門を開かねばならない。でないと自分たちは袋のネズミだ。


「では奪うのではなく、破壊できませんか」

 街を囲む外郭の薄い部分をこじ開ける攻撃から、真正面をぶち破るのに転じる。単純すぎて裏も策略もない。だからこそ上手くいくかもしれない。直感的にトマスは感じた。


「いいぞサフォーク、作戦変更だ。あの門楼だけに集中攻撃と、父親に伝えてくれ」

 まさに不眠不休でトマスは奔走した。守備隊の中で目ぼしい者を見つけては金と食料で買収し、内側から門を開く算段をつける。


 お陰でトマス本人はほとんど食べることができず、みるみるうちに頬がこけるまでになった。


「トマス様、少しお休みになられないと」

 そして疫病はトマスの体をも蝕んでいた。水を飲んだだけで下痢と嘔吐が止まらず、高熱に立っているのもやっとの状態だ。


「こんなところで倒れて、ヘンリーの決意に水を差すわけにいかないんだよ」

 正統な理由はあれど他国へ侵略する。どれほどの覚悟で兄が臨んだのか。それを思えば命くらい懸けなければ、ヘンリーの決意には応えられない。


 ヘンリーは最後通牒を出した。即ち、二日後までに降伏勧告を受け入れないなら総攻撃をかけ皆殺しにすると。司令官ゴクールは引き延ばしをかけるが、ヘンリーは応じない。


 一方地下から土台へ火を放つべく、ランドの指揮で再度トンネルが掘られていた。地下と地上の両方から高温で燃やされれば、さすがに堅牢なゴーレムといえど崩れるだろう。援軍が到着する刻限を考慮すると、これが最後のチャンスだ。


 たとえ犠牲が出てもかえりみないランドは死に物狂いの様相で叫ぶ。

「前進しろ! とにかく掘り進めるのだ! 進めえぇっ!」

 鉱夫も兵士も身分も関係ない。全員一丸となって掘る。敵は撲殺。掘って、掘って、掘りまくる。昼夜関係なく無我夢中で掘り進み、ついにたどり着いた。


「よし! 火を付けたのだな!」

 知らせを持ってきたサフォークも白い歯をこぼす。


 まず地下から爆破、それから夜陰に紛れて門楼の下に薪や小枝の束を置き、埋蔵血から抽出した燃料を撒いたところに火砲を撃ち込んだのだ。

 地下と地上から火攻めにされた門楼が燃え上がる。守備隊は消火に走るが、火の勢いはそんなもので止められない。


「この混乱のうちに早く門を開けるぞ!」

「トマス様!」

 鋭い声と共に短刀を構えるサフォーク。正面から剣を抜いた守備隊が集団で向かってくる。逃げようとするが、逆側からも同じ集団がにじり寄って来て、広場に取り囲まれた。


「くそ……っ、だが門楼は崩れ、我が軍の突撃は時間の問題だぞ」

「それでも我々は降伏などしない。時間さえ稼げれば援軍が来るのだからな」

 ニタニタ笑うのは司令官ゴクールだ。ここに二人が潜んでいると、買収した誰かが密告したのだろう。


「トマス様、お逃げください!」

 サフォークが斬りかかる。一瞬躊躇した後トマスは駆け出したが、数分もたたぬうちに背中を殴られ、捕らえられた。疲労と高熱で体に力が入らず、ゴクールのところまで引きずり戻されると、サフォークが倒れている。


 死んだのか。父親に申し訳ないことをしたな。


「ネズミが入り込んだと聞いたが、トマス様ね。まさか王弟サマがお越しになるとは、イングランド王にこの姿を見せつけてやったらどうだろうな?」


「これくらいで国王がビビるわけないだろう。宣言通り、俺も含めて皆殺しにするさ」

「強がるなよ? 身代金は一体いくら払ってくれるだろうなあ、稼がせてもらうぜぇ」

 と、早速拳と蹴りがお見舞される。しかしトマスは呻き声一つ漏らさず言い返す。


「先に言っておくが、今ならまだ降伏勧告期限に間に合うぞ。それに、本当に援軍が来ると信じているのか? お前たちの為にフランス王家が動くと?」

 汚れた顔を歪めてみせる。ヘンリーと同じ琥珀色の瞳が底光りする。


「外と遮断されているお前たちは知らぬだろうが、シャルル・ドルレアンからの救援要請を、王太子ルイは断ったぞ」


 フランスは国王シャルル6世が精神病を発症したことで、代わりに政権を担っているのは王妃イザボーと王太子ルイだった。


「んなわけがあるか! はん、この期に及んでハッタリかよ、往生際の悪ぃ」

 しかしゴクールはわずかだが動揺していた。トマスはそれを見逃さない。


「ハッタリなものか。アルマニャック派が兵を招集しているのは事実だが、二日後の勧告期限に間に合わないから此度の援軍派遣は困難と、そういうことだ。この戦が始まってから一ヶ月間もあったのに、間に合わないとはどういう了見だろうな? つまり最初から援軍を出すつもりなど無いということだ。フランス王家はここまで耐え抜いたお前たちを見捨てるつもりなんだよ」


「……黙れ」

「だが、イングランド王なら街の惨状に慈悲をかけるかもしれんぞ。お前とてこの街に愛着があるだろう? 徹底破壊と皆殺しなど望んでいないはずだ。破壊から街を救った英雄司令官として名を残したくないのか?」


「嘘だ! そんな情報はない!」

「そりゃあそうだ。捨て駒にする奴らに真実なんて伝えるもんか。それが王族ってやつだよ。俺も王族だからな、間違いない」


「捨て駒だと……!」

「そうさ。フランス王家はアルフルールを見捨てたんだ」

 繰り返す声はゴクールだけでなく、その場全員を縛り上げる。


「待っても来ない遠くのフランス王家を信じるのか、目の前にいるイングランド王の慈悲心に賭けるか。決断の時であろう、ゴクール司令官」


 沈黙するゴクール。両腕を押さえられ膝立ちのトマスは、ゴクールを見上げる格好だ。しかしその目に撃ち抜かれたように誰一人動けなかった。

 その時———


 ドガガガガッドオオオォォ——ン!


 落雷のような音が響きわたり、巨大な門楼の一部が崩れる。


「タイムリミットだ」

 トマスが言うと同時に内側から門が開かれ、イングランド軍が突入した。

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