トマスの章 凱旋篇

第1話 アルフルール包囲戦 1

 ヘンリーがフランスに上陸した。

 三年前に自分が初上陸した時はなんとも思わなかったのだが、兄の上陸には胸が熱くなり、トマスは大きく深呼吸した。


 休む間も無く進軍するイングランド軍は、上陸地点から3マイル(4.8㎞)の距離にある港町アルフルールを手に入れようとしていた。


 総勢1万の兵と物資が上陸するには四日かかるが、その間にもやるべき事は山積している。先行隊として街の南西側に営地を構えたトマスは、ようやく天幕に腰を下ろした。


「艦隊による港の封鎖が完了しました」

「三時間後、街を外から封鎖にかかるぞ。それまでお前も休め」

「はっ」


 頭を下げるのは副官のランドだ。彼はヨーク大司教の反乱時、ジョンに弱味を握られこちら側に寝返った男である。どんな取引があったのか詳しく聞いてはいないが、以来ランカスター家に忠誠を尽くしている。


 アルフルールは周りを城壁にぐるりと囲まれた堅牢な港町だ。わけても、

「塔が26箇所って多すぎだろ」

独り言にも出るというものだ。ここから集中砲火を浴びせられては、うかつに近づけない。


 そして最大の難敵が、トマスが布陣するルール門だ。巨大な門楼バービカンはまるでゴーレムのようにそびえ立ち、あらゆる攻撃を平手で無力化しそうな存在感だ。


 しかし、イングランドはどうしてもアルフルールを手に入れる必要があった。本国からの補給路で、戦場への橋頭保となる港なのだ。またセーヌ川河口に位置するからには、そのまま上ればパリへ直結していて、首都へ睨みを利かせることにもなる。


「ヘンリーは楽観視してるみたいだけど……」

 皇太子時代のブラッドプラントの戦いから更に改良された新型ランチャーの威力に自信があるようだが、トマスにはそうと思えなかった。


 イングランド軍の真の強さは銃火器ではなく、機動性と駆動力を活用した連携攻撃だ。それが包囲戦では完全に封じられる。


「だからこそ、シャルル・ドルレアンは全力をかけてくる」

 最後の一人まで徹底抗戦を命じるだろう。陰キャだがやりきる男だ。


「悪いイメージばかりが湧いているな」

 頭に直接響く、低く落ち着いた声は、剣に搭載された相棒AIのボリングブルックだ。トマスの剣は通常サイズの長剣で、今は椅子の横に立てかけてある。


「俺はいつもヘンリーの裏を考えてるよ。ヘンリーが楽観視するなら最悪の状況を考えないと。起こってからじゃ遅いだろ」

「役割としてそうなろうとしたのか、あるいはなってしまったのかな」


「元からこういう嫌な性格だから」

 兄に勝ちたくて、裏ばかりかこうとしていた時期があった。ボリングブルックはその記憶と過去の思いにまで入り込んで言ったのだ。


「まあ、初戦で兄貴が突っ込まなくてよかったな」

「ほんとだよ! ヘンリーも成長したよね」

 ヘンリーは総帥なのだ。それもこれまでとは規模が違う戦の。総帥が前に出るのは自軍の存亡をかける時である。


「それをいつもの調子で初戦から最前線に飛び出すんじゃないかって」

 弟三人と将軍ビーチャムとモーで囲んで、くれぐれも前線には来るなと口酸っぱく言った。「なんでええぇ?」とジェーンが一番危なかったが、自覚してくれて全員ホッとしている。


「さてと、一回りするぞ」

「休まないのか?」

「ヘンリーも休んでないと思うよ」


 それからきっかり三時間後に街の封鎖が始まり、作業は夜を徹して行われた。街の出入りは三カ所の門のみに制限され、物資の搬入等はほぼ不可能となる。


 大砲を撃ち合い、攻城用のやぐらを破壊され、防護柵を壊されながら、戦況は動かぬまま一週間が経過した。まず、確保していた食糧が尽き始める。

「堀の下にトンネルを掘って進め」


 街の守備隊は城壁の内側を相当に補強していて、重火砲や新型ランチャーをもってしても破壊は困難だった。地下から塔の土台部分を破壊するため、多くの鉱夫を連れてきている。が、

「伝令です! トンネルが爆破されました!」


「中の者たちは!?」

「救出を試みておりますが、多くが生き埋めになった模様です」

二週間が経ち、三週間が経ってもアルフルール守備隊は粘っていた。


「何度降伏を求めても断りか。そりゃそうだよな」

 ヘンリーは守備隊司令官のゴクールに接触していたが、今のところ折れる気配は無いという。包囲戦とは常に守る側に有利な戦いであり、そう簡単に手放すはずがない。


 こうなれば根比べである。一日一回配布される食事量が目に見えて減少していき、雨と寒さに気持ちを削られながら、成果の出ない攻撃を繰り返す。


 そして悪いことにトマスの予想が当たり、九月に入ってもまだ街は粘り続けた。事態が好転する兆しは全くなく、守備隊とフランス軍を外に引っ張り出せない。泥沼だった。


「何とか街の内部に入り込む手段はないか」

 その夜、トマスはランドや信頼できる配下を天幕に座らせた。


「街は籠城ろうじょう生活に徐々に疲弊してきています。降伏勧告に応じないことに反感を持つ者も出ています」

「そういう者を抱き込み、内側から門をこじ開けさせられないだろうか」

「できなくはないかと存じますが……」


 全員顔を見合わせる。誰がやるかである。無論のこと大人数で侵入、交渉するわけにいかない。極めて危険な賭けといえる。


「俺が行く」

「閣下が⁉」

「それはなりません、私が!」


「いやランド、お前には俺が不在の間の指揮を任せる」

 それ以上の有無は言わせない。トマスにはそれほどの気迫があった。


 なぜなら、イングランド軍は崩壊に向かっている。慣れない環境下で食した貝や果物に当たり、病が蔓延している。更にはまだ九月も初旬だというのに夜が寒く、雨が多い。思わぬところで死者は既に2000人を超え、現在進行形の状況が改善する見込みはないのだ。


「これ以上、敵国内で戦力が減少すれば殲滅せんめつさせられる」

 そのくらいの危機であり、我慢比べのリミットは近づいているのだ。


「閣下、何卒なにとぞ私をお側に置いてください。私の身を呈して閣下をお守り申します」

 進み出るのは十九歳のサフォークだった。隣に座る父親も共に頭を下げる。


「私からもお願い申し上げます、閣下。何卒我がせがれを盾にお使いくだされ」

「……わかった、では親子で連絡を取りあえるよう、策を講じてくれ」


 それからトマスはアーマーを外すと、用意させた粗末な服に着替え、サフォークにも同じように命じる。天幕にはランドとサフォークの三人だった。

「ランド、俺たちを殴れ」

「はい……?」


「このままじゃ、イングランド軍に身ぐるみ剥がされた哀れな旅人には見えないだろ。だから殴れ」

 服はボロ雑巾でも、気品あるトマスとさらりと艶のあるサフォークの二人組は、見るからに高貴な生まれである。


「し、しかし! 主君に向けそのようなことは!」

「いいからやるんだ! やれないなら斬首に処する!」

 温厚な普段のトマスからは想像もつかぬほど激しく、雷のごとく怒鳴りつけられランドの喉が上下する。


 すべては祖国のため、兄王のため———。

 その思いに一撃打たれたランドは拳を握る。


「……失礼します!」

 トマスはヘンリーに引けを取らない武人体形だ。かなり力を入れて顔を殴るが、半歩後ろに下がらせただけだった。


「お前、この程度でヘンリーに勝とうと挙兵したのか? こんなんじゃヘンリーのデコピン一発で死んでたな。ジョンに寝返って正解だ」

「申し訳ありません、次は全力でいかせていただきます!」


 トマスは、幼い頃に猛獣の兄と取っ組み合いの喧嘩で鍛えられてきた男なのだ。タフさは常人の比ではない。

 こうしてランドの拳が限界を迎えて、顔を腫らし追い剝ぎされた旅人に扮した二人は、街への配給品を積んだ荷車の中へ潜り込んだ。

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