第9話 上陸

 冥界より出でし1500の軍艦はルシフェルの使い。闇の巣窟に蠢く蜂の大群のごとく海峡を埋め尽くし———


「今はそんな場合ではないか」

 青白く整った横顔でつぶやくシャルル・ドルレアンのライフワークは、詩作だ。初めて見る規模の艦隊は圧巻で、まさに物語の一場面だった。


 夜明けとともにセーヌ湾に現れたイングランド軍を迎え討つため、麾下きかと共に海岸が見渡せる丘の上にいた。


 ケンブリッジを利用した暗殺計画は失敗したが、政権にもヘンリー個人にもダメージは与えたはずで、出航はもう少し後になるという情報を鵜吞みにした。油断し配備が薄い場所を突かれたうえ、『善良なケンブリッジをだまそそのかした悪魔シャルル・ドルレアン』と、その罪をもなすりつけられている。

「ああ、ヘンリーをあなどっていた。フランスでここまでできるのは、ブールゴーニュ無怖公だけだろうな」


 だからもう、これからは一手の読み違いも許されない。

 シャルル・ドルレアンは若干二十歳。己の力量と、政敵ブールゴーニュのたぬきオヤジの手恐さはわきまえているつもりだ。


 丘の上から望遠鏡で見下ろす。望遠鏡を使わなくても、小さな黒いものが虫のように海から陸へ沸いているのがわかる。

 接岸した船からブリッジが下され、次々にスピーダー部隊が砂を撒き上げ発進していく。


「なっななっなっななぜフランスの砲撃が一つも当たらぬ! まるで時空をねじ曲げ砲弾を逸らしたかのようではないか」

 答えは単純で、着弾する頃にはもうイングランド軍がそこには居ないからである。


 大きい声を出そうとすると吃音きつおんが出てしまう。だから日頃は小声でそっと喋るようにしているのだが、この状況には意に反して大きくならざるを得ない。


「なななななんという速さだ」

 みるみるうちにフランス軍の前線の一部が崩壊させられ、イングランドが中へ食い込んでいく。その中の一機にシャルル・ドルレアンは目を奪われた。

「あれは、王弟トマス」


 前線を食い荒らし先行隊を指揮するのは、黒塗りで筋肉質、それ自体が老練な戦士のようなスピーダー。率いるのはわずか60機ほどの部隊だが、一つに固まったまま高速で駆け抜けてフランス軍を割り、削っていく。


 陣形を保ったまま集団が高速で走る。敵にぶつかっても誰一人欠落しない。これだけで部隊のスペックの高さを物語っている。

「以前もそうだった」


 三年前のこと、当時宮廷ではブールゴーニュ派が幅を利かせていた。それをくつがえすため、シャルル・ドルレアンは先代ヘンリー四世と同盟し、支援を要請したのだ。その時やって来たのがトマスだった。


「あいつらは異国に来てまで調練を欠かさなかったが……」

 やばかった。ブールゴーニュどころじゃない、こっちまでやられる。調練を見ただけで危険を感じたので、同盟を破棄し帰ってもらったのだ。おかげでとんでもない額の賠償金を請求され、未だ支払いを終えていない。


「しかし、この動きは当時の比ではない」

 割って削る。それを繰り返しながらも、決して捕まらない。フランス軍はいいように翻弄ほんろうされている。その間にも軍艦から歩兵が次々に上陸し、砲撃に負けじと前進していく。


 上陸してきた歩兵の厚みが増していき、ついに両軍ががっぷりと組みついた押し合いになったとき、側面からトマスとは別のスピーダー部隊が躍り出る。


「だっっだだだ誰だ?」

 麾下に問いながら望遠鏡を覗く。赤と白のイングランドカラー、流線型の尖った未来感あるフォルムながら、剥き出しのエンジンの骨太さが調和したスピーダー。


「恐らく、末弟ハンフリーかと」

 末弟はシャルル・ドルレアンとほとんど変わらない年齢のはずだ。兄の威光を掲げてるだけの奴と聞いていたが———

「なっなッなっなんだあの強さは!?」


 すれ違う相手を切り倒す。踏みつぶす。ただそれだけだが、全員が同じ精強さで揃えられた部隊は、まさに壁が迫ってくるようだ。これも一朝一夕ではない調練の賜物だと、同じ武人としてシャルル・ドルレアンには芯から震えるほど理解できた。


 正面はトマスに食いちぎられ、側面からハンフリーに踏みならされる。

「崩れたところに……次が来る」


 望遠鏡を向けるは、トマスの背後。次のスピーダー部隊が迫っている。

 汚れが目立ちそうなホワイトのフルカウル。シンプルながら洗練された大胆なカッティングデザインのスピーダーだ。

「あれが開発を一手に担うという王弟ジョンか。美男のうえ自ら戦い指揮もできるとは、噂通り憎たらしい奴だな」


 シャルル・ドルレアンは癖のない真っすぐな金髪を払った。吃音があり人嫌い、公爵家などに産まれたくなかった彼の人生にはありがたくもない産物だが、よく出来た顔はモテ男だった父親譲りだ。


 ジョンとトマスのスピーダー部隊が合流し、スピーダーの軌跡に沿って戦場には血の赤い線が引かれていく。その攻撃をなんとか凌いだとしても、続いて乗り込んでくる歩兵や騎兵の波にはもう太刀打ちできない。


 だが、上陸できたイングランド兵はまだ1500人程度で、スピーダー部隊などその一割ほどに過ぎない。体勢を立て直す間はあるはずだ。

 フランス軍の砲撃音が雷神の槌のごとく空気を震わせ、全身に振動が響く。


「そそそそそうだ、砲撃の手を休めてはならぬ。これ以上の上陸を阻止するのだ!」

 自然と語気も強くなる。

 砲撃の標的となり、接岸する前に炎を噴き上げる軍艦。砂とともに飛び散る歩兵騎兵ども。

「わっわっ我々には狩の神ディアナに見初められし砲台がある」

 山の中腹にあり、海岸を狙うには絶好の位置にこしらえた砲台だ。


「伝令です! 山の中腹の砲台が奪われました!」

「なぬ⁉ デっデデデデディアナが⁉」

「イングランド将軍ビーチャムと名乗っています。砲台をフランス兵の頭上に向けてほしくなければ、撤退を勧告すると」

「クッ!」

 本気のようだ。砲口は海岸線ではなく、既にフランス陣営に向いている。


 シャルル・ドルレアンが決めかねている間に、着岸した軍艦がブリッジを降ろす。そこへ、長い焦げ茶色の髪の男が姿を現した。

「国王ヘンリーか」

 目立つ出で立ちをしているわけではない。特段なのはその身が放つ覇気だ。これだけ離れていても、そこだけ別の光が当たっているように見える。戴冠式に呼んでもらえなかったシャルル・ドルレアンがその姿を目にしたのは初めてだが、思わず身震いした。


「化け物め……いや、悪魔ルシフェルか」

 悪魔じみた男が砲台を見上げたのを合図に、ディアナが火を噴く。はっと目を移せば、いつの間にかスピーダー部隊は後続歩兵のラインまで前線を下げていて、取り残されたフランス軍だけが次々浴びせられる砲弾の餌食になっていた。


「てってッ撤退だ! アルフルールの守備を倍増しろ!」

 胃に油ぎった石をいくつも詰められたような鈍痛に突如襲われ、腹部を押さえる。

「既に守備は万全です」

「バッッッッッバカを申せ! 見て分からぬのか? あんなイカれた奴らを相手にするのだぞ! いいい一刻の猶予も許されん! すぐに取り掛かれ!」

 言いながら自分もスロットルを全開に、麾下きかには見向きもせずに引き返す。


「イングランド軍はイカれてる」

 スピーダーを軍の主力にと、シャルル・ドルレアンも考えなくはない。しかし現実的に無理なのだ。危険すぎるし、そんなことをしたい人間はフランスにはいない。

 襲い来る風圧と、転倒したら全身が粉々になるという恐怖と、ぶつかり合う衝撃に耐えうる強靭な肉体と精神を持つ、頭のネジが何本か抜けたイカれた戦士———それがイングランド軍だった。


「鍛え上げてきたというわけか。フッ、望むところだ」

 以前トマスが見せつけた調練は厳しいものだったが、実際はもっともっと過酷に追い込んでいるに違いない。


「簒奪者ランカスター家。黒羽に覆われし呪いの一族よ、その血でフランスの大地を浸すがよい」

 ああ、フランスに来たことを後悔させてやる。ぶんぶん飛び回る蜂を撃ち落とす算段なら、こっちにもある。

「ヘンリーを地面に這いつくばらせ、弟の血で溺れさせてやる。紅の饗宴の始まりだ」

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