第6話 サウサンプトン陰謀事件 2
一度眠りについたが、ふっと目が覚めてしまった。窓の外はまだ夜が明ける気配はないが、雨はほとんど上がっている。しばらく目を閉じるが、眠気はもう戻ってこない。
「ハルぅ、怖いの?」
頭に直接語りかける声。寝台横に立て掛けてある大剣のジェーンだ。
「ああ、恐ろしいさ。戦のことを考えるといつもな」
他に聞いているものは誰もいない。素直な気持ちを言葉にするのは、果てなく広がる星空を眺めるのに似ている。
「しかも、一度の遠征だけじゃきっと終わらないんでしょ? 怖いのに何度もやらなきゃならないの?」
「そうだな、目的を達成するまで何回かかるかな。その度にこんな思いをしなきゃならないんだろうな」
ジョンの調整の甲斐あり、ジェーンとはたまに言い争うことはあっても、こちらの意図をガン無視して勝手に走ることは無くなり、信頼関係を築いてきた。
そして王になってからは「他者を犠牲にしてでもヘンリーを生かす」という最重要プログラムが組み込まれた。ヘンリーは不機嫌になったが、ジョンも断固譲らない。それが王の使命と分かっていても、腑に落ちないものだ。
「モーちゃん、どうするのかな」
ヘンリーの恐れの奥へとジェーンは入り込んでくる。けれどいやな気はしなかった。
主君ヘンリーか、義兄ケンブリッジか。どちらを選んでもモーは何かを失わねばならないのだ。
昔、モーが自ら命を断とうとした時を思い出す。
『死にたいんならオレに言え。オレがお前の命を背負って王になってやる』
そう告げたあの頃と、思いは今も変わらない。互いに覚悟はできている。モーは生死を分かち合う、四人目の弟なのだ。
その時、固い音でドアがノックされる。
「誰か」
「私です。ご報告したいことがあります」
モーの声だ。
寝台に腰掛けたヘンリーはテーブルの短剣を引き寄せ、背後に隠す。
「入れ」
「このような時刻に申し訳ありません」
夜中にもかかわらず、モーの服装はきちんと整えられている。
「どうした。なぜそんなに濡れている」
後ろ手にドアを閉めながら、モーの立つ床がみるみるうちに丸く濡れる。もう雨は小降りだというのに、服から髪からぽたぽた垂れているからには、随分前から外にいたのだろう。
だが、ヘンリーに向けたその目には強い決意が現れていた。
モーの左手が腰に下げた剣に添えられる。
———来るか。
しかしこちらからは決して抜いてはならない。ここでもヘンリーは待った。寝巻きの膝の上に置いた両手はぴくりとも動かさなかった。
ややあってモーが口を開く。
「我が義兄ケンブリッジと、財務長官スクループ卿、グレイ卿が、陛下の暗殺を企てております」
「
「はい。明朝夜明けとともに、決行です」
「して、おまえは」
モーの左手が剣の
右手で留め金を外すと、モーは床に剣を置き
「決意が固まるまで時間を要し、申し訳ございませんでした。私へお命じください。夜明けまでにケンブリッジの首を取れと」
ヘンリーは背中に汗が伝うのを感じた。一つ、深く息を吐く。
「おまえの忠節、しかと見た。だが処断は裁判で決定する。夜明けまでに三名を生きたまま捕え、オレの眼前に連れてこい」
「御意」
□■
夜明けを待たず三名は逮捕となった。
ケンブリッジは、ヨーク家というランカスター家にとって不都合な家柄という理由だけで貧乏にさせられた恨みを持っている。それが正統なプランタジネットの後継者モーの姉と結婚したことで、野心に火が付いたのだ。これは分かりやすい動機だが、問題は財務長官スクループだった。
尋問から裁判までの取り仕切りを任された弟のトマスは、サシで向かい合う。
「スクループ、お前はヘンリーの心のカギを持つほど、芯から信頼されていた。無くてはならない存在だと、分かりきっていたはずだ。それこそ王の権威を利用しようと思えば、その身を金貨に
スクループにはもはや抵抗する気力は無いようで、憔悴した顔は年月を二十年先取りしたようだ。
「魔がさした、としか申せません。叔父のヨーク大司教が陛下に反旗を翻し、ジョン様の手により晒し首になった事も、自分の中で折り合いをつけたつもりでいたのです。ですから陛下に恨みなど……。しかしシャルル・ドルレアンは使者を通じ、言葉巧みに私の心に忍び込んで体の自由を奪い、気づかぬうちに操られ……、気付いたら戻れないところにおりました」
「グレイ卿もか」
「いかにもです。彼は主君ノーサンバランドをジョン様に処刑され、主君同様に元々ランカスターへ反感を持っていましたから、シャルル・ドルレアンには余計に操りやすかったのでしょう」
「ヘンリーの失望は相当に深いものだよ。分かるだろう?」
「私の命は陛下の手の中です。モーよりも先に全てを陛下にお知らせしなかった、それが私の罪です」
ヘンリーは国王として処刑を求めながらも、旧友のことを最後まで諦めきれない気持ちでいる。だから一切の取り仕切を最も信頼する弟に託したのだ。
三名の裁判と処刑を終えたトマスは、ポーチェスター城で裁判に関する一連の記録を厳しくチェックしている。机の前にはヴァイオラが控えていた。
「ヘンリー暗殺に成功した後、東西南北からロンドンへ軍勢が押し寄せ、宮廷を支配する計画だったというわけだ。これが成功していたらとんでもないことになっていたな」
ヴァイオラは頷く。
「ギリギリのところでした。今のところロンドンは静かなものですが、市長に警戒するよう伝えています」
「ヘンリーに変わった様子は?」
「………。今頃は、ケンブリッジ伯の息子に会われているかと」
「腹の底から信じていた奴に裏切られて、平気でいられるヘンリーじゃないよな」
はあぁと書類を手元から離す。視線を合わされて、ヴァイオラも苦笑した。
「ヘンリー様はお優しいから」
「そうなんだよ! モーは処断無しだし、スクループなんかに最後まで情けをかけようとするしさ。ケンブリッジの息子だって保護するよう命じてきたんだろう?」
「はい」
まだ四歳の子ではあるが、父親を殺された恨みでいずれ反乱を起こすかもしれない。だから今のうちにその芽を摘んでおくべきと多くの臣下が進言した。無論、トマスも同じ意見だ。
「良くて幽閉、最悪暗殺だからな。俺みたいな誰かに実行される前に、ヘンリーは自分の手元へ保護したわけだ。ったく」
その優しさがいつかヘンリー自身を、ランカスター家を窮地に立たせる事になるのではないか。ヴァイオラに視線を落としながら、トマスは思う。
父王はヴァイオラらロラード主義者を、異端として厳しく取り締まっていた。しかしハルは彼女の命だけではなく仲間と家族の命までも救い、生きる糧をも与えた。それは下手をすれば彼自身も異端とみなされ破滅する、細い一本橋を渡るような際どい選択だったのだ。
だからこそ彼女はヘンリーのためなら信仰だって捨てるし、死ねと命じられたら迷いなくそうするだろう。
異端者はどこへ行っても人間扱いなどされない。そんな暮らしに比べたらこうして使命があるのは幸せなことなのかもしれないが———
「暗殺すべきでしょうか」
トマスの逡巡は刃物のような声に遮断される。
「魔がさしたことにして? やめておけ、これ以上ヘンリーの心を荒らすと遠征が
「はい」
「お前が四歳の子供と仲良くなれるとは思えないんだがな」
「そっそんなことは……、やってみなければ……仲間の手を借りればきっと」
だんだん声が小さくなっていくのを、肩を揺らしてトマスは笑う。
「ケンブリッジの子の名は何という?」
「リチャードと」
「リチャード。……名前まで一緒なのか」
リチャードといえば、ハルにとってはもちろんリチャードおじさんだ。
窓の外、ヘンリーが向かったであろう西側の部屋を見やるトマス。その眉間が険しくなるのを、ヴァイオラは見つめていた。
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