第5話 サウサンプトン陰謀事件 1

 八月一日のフランス出航に先立ち、七月二十日、ヘンリーは出港基地サウサンプトンのポーチェスター城へ入った。街には一万人以上の兵が続々と集結している。

 先に到着していた三人の弟たちの姿を認めると、バシンと肩を叩いてやる。


「ぃよう、ハンフリー。聞いたぜ?」

「ヘンリィィィ! 助けてええぇ!」

 末弟は半泣きだった。


 閲兵で、ハンフリー軍のスピーダーが規定より二台少ないことが判明した。動員すべき兵員や装備は身分によって厳しく定められていて、これを満たさないハンフリーに対し、王室財務長官スクループは給与の支払いを拒否したのだ。


「グロスター公の称号と領地を返上するか? それなら酌量してやるけどよ」

「仕方ないよね、王弟が軍規破るんじゃ示しがつかないもん」

「まったく、どうしてお前はそういうしょうもないミスするんだ? 理解できない」


「そんなああああぁぁ!!」

 三人の兄たち全員から冷たくあしらわれ、ハンフリーは自軍兵士の給与を一年間自前で支払うハメになるのだった。


 たとえ身内であってもヘンリーの軍律は容赦ない。それはウェールズ遠征を経て身をもって作り上げた規律であり、イングランド軍の強さの秘訣でもあった。

 足りない船や補給の調達など準備に忙殺されながら、ヘンリーが書くのはフランスへの最後通牒つうちょうだ。


「大アキテーヌ、ポワトゥー、リムーザン、ノルマンディ、アンジュー、メーヌ、トゥーレーヌ、プロヴァンスの領土回復。

かつて黒太子ブラックプリンスエドワードが捕虜にしたフランス王ジャン二世の未払いの身代金の支払い。

フランス王位の移譲。

王女カトリーヌと持参金200万クラウン。

以上をプランタジネットの後継として正統に要求する」


 ちなみにジャン二世が捕虜になったのは六十年前の話で、とっくに本人は亡くなっている。


 こんな過大で傲慢極まりない要求をフランス王が受け入れるはずがない。案の定『我がフランス王を脅かす簒奪さんだつ者め、正統など決して認めぬ。おびただしい血の責任を取るがよい』

 と、総大将シャルル・ドルレアンが叩き返してきた。


「その返事を待ってたぜ」

 ようやく作戦の全容が官職へ明らかにされたのは、出航三日前である。ヘンリーの情報統制は徹底していて、細かい行先を兵士らへ伝達することすら禁じた。


「ところでモーはどこへ行った?」

 重要なブリーフィングにも関わらず姿が見えない。

「陛下がご存じないのですか?」

 弟らも上級将校も顔を見合わせるだけだ。


 そのモーが現れたのは、夕方になってからである。

「どこへ行ってた?」


「とある情報筋と会っていました。シャルル・ドルレアンをはじめとするアルマニャック派がノルマンディ(イングランドの対岸)に兵を集結しています」

「それはどこの誰だ」

「申し訳ありません、言えません。配備が手薄な港を急ぎ探らせていますので」


「オレに言えないだと?」

「申し訳ありません」

 頭を下げるとすぐにモーは立ち去った。


 翌日も、翌々日も、モーとは顔を合わせても、喋るのは互いに業務報告と連絡だけだ。変わらぬといえば変わらぬが、どこかに焦れるような不快感がある。


 サウサンプトンに集結した軍勢には、ケンブリッジ軍も含まれている。だが動きはない。

 ヘンリーはじっと、ひたすらに待った。それは最も骨が折れることだが、いたずらに動いて軍を動揺させるわけにはいかなかった。


 そして出航を翌日に控えた、七月三十一日の太陽が沈む。

 各所で決起の宴会が催される中、ヘンリーは部屋で一人書き物だった。遺言だ。


「……雨か」

 しとしとと降り始めていた。夜明けまでには止むだろうか。書き終えると封印し、そばにいないモーの代わりに従者へ、今夜はもう休むと伝える。


 静かな夜だ。戴冠前から準備を重ねてきた。ようやく、この時が来たのである。



□■


 ハルと出会ったのは八歳の時だ。


 遊び相手になるようにと義父リチャード二世から命じられたが、出会ったその日から後を追いかけるので精一杯。五つ年上のハルは何をやっても頭二つは飛びぬけていて、それでいてモーができるようになるのをいつも待ってくれた。


 アイルランドでもウェールズでも森が二人にとって最高の遊び場で、木登りや動物を追いかけるのはもちろん、秘密基地を作って夜通し過ごし、体中を虫に食われた。

 リチャードおじさんが囚われて政権が変わり、二人の立場が逆転しても関係は変わらない。だが、そんな子供の世界を引き裂くのはいつも大人たちだった。


 モーには、リチャード二世から正統な後継者と指名されたプランタジネットの血が流れている。


 ランカスターを良しとせぬ者は皆、モーの血を求めた。正統な王位継承者と担がれ、ヘンリー四世に対し反乱が企てられたのは一度や二度ではない。成長するごとにその意味は重くのしかかり、モーを苦しめた。


「王位が欲しいと思ったことなんて一度も無いのに、なぜ」


 物事はいつもモーの意図とは別のところで進められていた。自分は、デザートの最後に添えられたサクランボのようなものである。何が入っているのか中身は何も知らず、ただ無くてはならない飾りとしてだけ存在する———。


 だからもう消えてしまおうと思った。いずれこの血がヘンリー四世ではなくハルを苦しめることになるのではないか。そう思うと不安で胸が潰れそうだったのだ。

 ウェールズでのある夜、城を抜け出したモーは一人で森へ向かった。


「木の枝に縄をくくって首を吊ろう」

 だがとどかない。台がないとムリだ。


「誰にも見つからないように森の奥で刺せばいい」

 しかし喉を突くのも、胸を刺すのも、手首を切り裂くのも、怖くて寸前で止まってしまう。


「少し休んで、気持ちを落ち着けたら次は必ず」

 木の根の間にうずくまる。情けなくて涙が出てきた。

 こんなこともできないのか。大好きなハルの為に、兄と慕う人の為に命を投げ出すことすら自分にはできないのか。だから大人から良いように利用されてしまうんだ。


 そうしているうちに、うつらうつらしてしまったようで、気付いた時には辺りが薄明るくなっていた。


「モー! 返事しろ! いるんだろ!」

 朝もやの静けさを破るハルの大声にはっとして、あわてて短剣を鞘から抜く。手が震えて落としてしまった。


 早くしなきゃ、ハル様に見つかる前に———!


「モー、心配したぞ」

 言うなり、モーが拾おうとする刃物を先に奪って、遠くへ投げた。全身で息をするハルの髪には小枝や枯葉が絡まっている。夜明けとともに全速力で走ってきたのだろう。


「ハル様……」

「遅くなった。ここを覚えてたんだな」

「はい」

 無意識にたどり着いた場所は、秘密基地を作った木の下だった。


「モー、死にたいんならオレに言え。オレがやってやる。そしてお前の命を背負って王になる。だからオレの許しなく勝手に死ぬのは許さねぇ」

「私が生きているだけでハル様にご迷惑をかけるのですよ。これからも、ずっと」

「だったらオレもこれからおまえに散々迷惑かけまくってやるから、覚悟しろよ」


 上り始めた朝日が二人の顔を照らす。右目の視力を失ったばかりの、ハルの琥珀色の瞳は揺るぎない。

「……強くなります。もう、どんな練兵にも決して弱音は吐きません。ハル様の為に命を捨てられる男になります」



□■


 そして月日が巡り、再びこの血が守るべきものを突きつける。


「では、明朝夜明けとともに決行だ。各々、遺漏無きよう」

 ケンブリッジが言うと、最後の打ち合わせに集まっている財務長官スクループ卿、グレイ卿とも黙って頷く。


「モー、明日は頼むぞ」

 義兄に肩を叩かれる。皆が出ていくのを待ち、一人沈黙に浸かる。


「雨か……」

 夜明けまでには止むだろうか。


 ケンブリッジが憂き目にあうことは、実の姉も、甥も同じ運命を辿ることになる。既に経済的にはかなり困窮させられているのだ。


「ハル様、私は———」

 モーは剣を取り、雨の中外へ出た。

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