第4話 プランタジネットの後継者

「こんちはー。調練ご苦労さんです」

 しゃらっと練兵場へ入っていくブラッドサッカー。遠征を想定した厳しい野営から戻った二人の弟トマス、ハンフリーに、戦場でヘンリーの右腕を務めるビーチャム将軍は、疲労困憊の顔だった。


「先に言っておくけど俺たち金ないし、これ以上血を売りつけようとしても無駄だからな」

「王弟閣下が二人そろって、いきなりそれ言うんですかい? イングランド大丈夫なのか?」


 ごもっともである。トマスとハンフリーは口を尖らせ、ビーチャムは一人爆笑だった。彼はヘンリーが十代の頃からウェールズ地方で共に戦ってきた友人で、今では王直属軍の指揮を任されている。


「そういやビーチャムの旦那、最近財務長官スクループ卿に会われてます? ウェールズ時代からのお仲間でしょう? 何か耳寄りな投資情報はありませんかねぇ」

「最近会ってねえなあ。あいつは二言目にゃ金がない! だからな、聞いてるこっちが疲れるぜ」

 ビーチャムはどストレートな武人で、嘘や駆け引きが得意なタイプではない。シロと見て良いだろう。


 暗殺計画は、ブラッドサッカーの想像よりも遥かに大きなものだった。ヴァイオラによれば、フランス侵攻に向けサウサンプトン港に集結している兵の中に反乱軍を紛れ込ませ、一斉蜂起させるつもりだという。


 あっけなく殺されるところだった。なのにブラッドサッカーが選択したのは、情報集めなら俺も協力できるからやらせてくれと、自ら血溜まりに首を突っ込むことだった。

『勝手にしろ。次は命の保証はしてやれないぞ』と、ふっと彼女が見せた、困ったような素顔が忘れられない。


「スクループ卿が嘆くのも無理ないっしょ。何もかもがこれまでとは桁違いだ。ヘンリー陛下だって戦費の為に、イングランド王家伝統の『黒王子ブラックプリンスエドワードのルビー』を、泣く泣く売ったらしいじゃないっすか」

 超高値がついたとブラッドサッカーの耳にも噂は届いている。


「あぁ、あれな。絶対嘘だよ。ただのでかいルビー」

「伝統なわけないし。詐欺だよ詐欺」

 弟二人がけんもほろろに暴露する。


 領主貴族等の有力者はもちろん、ヘンリーは自治体や一介の商人にまで借入を募っていた。公爵の身分と領土を持つ弟たちも例外なく巨額の戦費拠出を要求されたので、金欠というわけだ。かつて皇太子時代のヘンリーにぶん殴られたカンタベリー大司教アランデルなど、今までの宗教会議が歴代の王たちに献納したいかなる額よりも巨額な金を融通したといわれる。


「へえ、やっぱアランデルって、ブラッドプラントで稼いだ裏金がたんまりあったんすね。で、今日は商売の話じゃないんすけどね、ヘンリー様の姿が見えないんですがどこ行ったんです?」


 答えるのはビーチャムだ。

「休養でウェールズに行かれたよ。即位してから二年近く休みなしで働き通しだったからな」

「うげ、ありえない。頑健すぎでしょ」

 そう言われ、ビーチャムはちょっと得意そうに笑う。


「顔の傷の時はもっと凄かったぜ。目の下から鼻の方にこう矢が刺さってな、まずやじりを抜くのに命懸けだ。6インチ(15㎝)突き刺さった鏃を取り出すには、傷口を更に広げる必要があって、それから縫い終わるまでずっと地獄の苦しみだ。よくぞ耐え抜かれたと思うだろ」

 もちろん麻酔なんか無い。想像して、三人とも鳥肌が立つ二の腕をさする。


「う、ウェールズはお一人で行かれたんです?」

「それがモーと二人だってよ。オレも一緒に行きたかったのにさー」

「二人で」

 愚痴るハンフリーは気付かぬが、ブラッドサッカーの瞳がわずかに見開かれる。


 別れ際、ヴァイオラに言われた。

『ヘンリー様は確固たる証拠を掴むまでは決して動かない。そして動く時は一気に、一突きに決める方だ。くれぐれも邪魔をするなよ。殺すぞ』


 今ここで、まだ確たる証拠を掴んでいないモーのことを、弟たちに伝えるのは避けた方がいいだろう。

「その気持ち分かりますよ。あの二人って、妬けるくらい仲良いっすよね」

 ブラッドサッカーは笑みを作った。



□■


 王に安息日はない。臣下が楽しめること全部を、王たる者は諦めなければならないのだ。

「けど、王にも限界はあるぜ……?」


「その程度でよくイングランド王名乗れますね」「このままだと未来永劫『借金王ヘンリー』で歴史に名を残しますね」「あなた休むんですか? 私は働いてるのに」と、ヘンリーが弱気になるたびモーは多少の暴言と愛の鞭を振るってきた。

 その甲斐あり政治、外交、経済、すべてにおいてヘンリーはあらゆる努力を尽くし、着々と進めてきた侵攻準備は最終段階に入っている。


 しかし今日はどうしても納得がいかなかったらしい。

「るっっせぇな! 出てけ! みんなオレの視界から消えろ!」

 机をひっくり返し手あたり次第に物を投げつけ、猛獣の八つ当たりだった。


 おろおろする家臣を横目に、モーがおもむろに自分のスピーダーの調整を始めると、いつの間にか横で一緒に手を汚しながら作業する顔の嬉しそうなこと。


 というわけで大草原を最高時速でぶっ飛ばし、海岸沿いをのんびり走りながら二人がやって来たのはイングランドの西方、ウェールズである。練兵場で走るのと遠出するのとでは、まるで気分が違う。


「懐かしいな」

「ええ」

 荒々しい断崖の先に立ち、海を見下ろす。遮るもののない潮風にこげ茶色の長髪をあおられながら、ヘンリーは近頃見せたことのない笑顔だ。


「あの時は、いつまでもこの戦いは終わらねぇと思ってたよな」

「はい。フランスはどうでしょうね」

 アイルランド、ウェールズと、二人は実に九年間を戦場で共に過ごしてきた。


 またしばらく走ると、なだらかな傾斜が続く丘では、緑の中にぽつぽつと白い点が浮いている。羊が草を食んでいるのだ。

 青臭い草の中に二人で寝転ぶ。暑くもなく寒くもなく、曇って湿ったウェールズの空気は妖精が肌を撫ぜていくように、ちょっとくすぐったい感じがする。


「オレは、アイルランドにもウェールズにも愛着を感じる。おまえはどうだ?」

「それを聞けば民たちは皆喜ぶでしょう。私もアイルランド出身ですから、同じ気持ちです」


「帰りたいか?」

「そうですね、今はそうは思いませんが、将来いつか」


 アイルランド総督(イングランド王支配下のアイルランドにおける王の名代)だったモーの父は、土着部族との小競り合いで戦死している。本当は、イングランド王はハルの父ヘンリー四世ではなく、モーだったはずなのだ。なのにモーは、ハル親子の監視下に置かれることになった。所領を全て没収され、名もなきモーになったのだ。


 ———あの頃、オレたちは同じだった。


 突然父親が国外追放され、一度何もかもを失ったのはハルも同じだった。モーと出会ったのはそんな時だったのだ。

 何も持たずともいつも朝日を待って、ハルは戦場を走り抜けた。やがてモーも共に走るようになり、何千回、何万回と剣を合わせ、競い合い言い争い、笑いあった。そんな全部が、このウェールズの大地にある。


 今なら、互いに殺そうと思えばいくらでもやれるのだ。そういう状況に仕向けている。

 ケンブリッジが主導する暗殺計画にモーが関わっているらしいことを、複数の情報筋からヘンリーは得ていた。


 モーはヘンリー親子よりも正統なプランタジネットの後継者だ。だから父王はモーを監視するようヘンリーに命じ、それは今なお続いている。モーと、その義兄ケンブリッジのヨーク家に力を与えてはならない。それはランカスター家にとって脅威以外の何物でもないからだ。


 しかしもう、互いに無力な子供ではない。本気で王座を狙おうを思えばモーにはできる。とは違う。


「あの頃、森に秘密基地を作ったな。覚えてるか?」

 ヘンリーが言うと、モーは笑顔になる。

「何日も過ごしましたね。木の実を食べて腹を壊したり、蜂蜜を採ろうとして蜂に追いかけられたり、ブランコを作って漕いだら縄が切れてブランコごと飛ばされたり」

 つられてヘンリーも笑う。


「ところでおまえ、ちゃんと家に帰ってんのか? 子はまだできねぇのか?」

「いきなりですね。陛下がお忙しい時は私も帰る間が無い時はありますが、けどそれは回数の問題だけじゃありません。色々あるんです」

 どうでもいい話がしたかったのだ。

 延々と下劣な話が続き、そろそろ宿泊先のカーナーヴォン城に向かおうとスピーダーに跨った時である。


「義兄のケンブリッジですが、経済的にかなり苦労しているようです。減免を認めていただくことはできませんか」

 

 戦が起こると、諸卿は独自に兵を集める。身分により拠出金額や用意すべき兵の数、装備内容が規定されていて、用意できなければ罰則があるのだ。ましてやケンブリッジに収入を与えていないのは、他でもないヘンリー自身である。


 ケンブリッジが貧乏生活を強いられれば、妻であるモーの姉や、二人の間の子にも苦労を味あわせることになる。そうさせたくないモーの気持ちは自然なものであり、仲の良い姉と義兄への思いもヘンリーは承知している。


 トゲを刺されたような思いだが、努めて平静に答えた。

「どんな理由であれ、軍律を曲げることはできない。おまえもそれは分かっているはずだが」

 それがイングランド軍総帥としての定めだ。

 モーは静かに頷き、スピーダーのエンジンを始動した。

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