第2話 血染めのパリ

「エンパワメント」

 刃を持つ指先から冷たい感覚が腕を上り、心臓に到達すると同時に一気に全身へと駆け巡る。この感覚が好きだ。


 音を立てて大剣が空を切る。ヘンリーの肉体とジェーンの意図とが一つになり、夜が明けて間もないウェストミンスター宮殿の中庭を縦横無尽に舞う。脳裏には取り囲む六人の相手が映り、向かってくる相手を研ぎ澄まされた動きで斬り伏せていく。


 思う通りに体が動く快感。やがて風の妖精とダンスを踊るように手足が軽やかになり、想像以上のスピードで刃が走る。脳裏の相手は六人どころか、終わりなく次々現れては消えていく。


 ロンドンは埋蔵血を原料にしたアスファルトに覆われた街である。しかし誰もいない中庭に芽吹いた新緑は生命を主張し、ヘンリーの目にも春の喜びが輝いて映りこむ。


「いやー、眼福っすね! ほんと惚れ惚れする。まるでダヴィデの剣舞だ。ずっと見てられるもん」

 汗ばんだヘンリーは上半身裸だった。いつから居たのか、ブラッドサッカーが拍手とともに近づく。


「朝っぱらからのぞきか?」

「俺も色んな男女見てますけどね、これならぜひ抱かれたい」


 うっとり見つめてぞろりと唇を舐められては、とっとと服を着るに限る。最近運動不足なので本当はもう少し続けたかったが、きもちわるい。


 ちょっと残念そうに、ブラッドサッカーが赤ワイン瓶を手渡す。

「ほい、フランス土産」

 見ると、ボルドー産の最高級品だ。


「ブールゴーニュ産じゃねぇんだな」

「いや〜、そこ突かれると辛いんすけどね」


 パリが震撼した。

 フランス王シャルル六世が精神病を発症して以来、政権はまともに機能していない。


 宮廷を牛耳るのはブールゴーニュ派で、国政改革を求めるパリの民衆は、こぞってブールゴーニュ無怖公(フィリップの父)こそ改革者と立てた。それが暴動に高じたのだ。


「そこへカボシュって熱烈なブールゴーニュ派の屠殺とさつ業者が加担したことで、暴動は一気に虐殺へと炎上したんです」

 家畜を解体するがごとく、アルマニャック派の官僚を次々に惨殺したという。


「ナタを持って追いかけ回し、迷いも恐れもなく背中からバッサリと。や、おっかない」

 カボシュと民衆は王の居住ルーヴル宮に迫った。こうなってはもう無怖公にも止められない。


 国王シャルル六世は、自分の体がガラスのようにもろいという妄想に支配されている。体を粉々に砕かれるという常軌を逸した恐怖のまま、助けを求めた先がおいのシャルル・ドルレアンだった。


「シャルル・ドルレアン率いるアルマニャック派が武力を用いたことで、暴動はブールゴーニュ派との衝突へと様相を変えたわけです」

「その顔だと、お前は十分に血を吸って来たわけだな」

「分かります? さすが」


 武力衝突はあっという間に両者とも千人単位に膨れ上がった。

 血生臭い現場に似合わぬ伊達男の指示で、黒服の男たちが専用の器具で死体から次々と血を抜いていく様がヘンリーの目に浮かぶ。ブラッドサッカーにとって、終盤の戦場は宝島なのだ。


「大漁だったんすけどね、ブールゴーニュ無怖公は息子がいるフランドルまで撤退しちゃいまして」

 結果、ブールゴーニュ派はパリから駆逐された。それが今回の交渉が破談になった最大の原因である。


 ヘンリーは無怖公の息子フィリップに通信機器を渡すと同時に、父親の方には水面下で同盟をもちかけていた。

 が、無怖公はこれを退けた。


「賢明な判断だ、オレでもそうする」

 政権から撤退させられるという不利な状況下での同盟提案など、無怖公が受け容れるはずがない。イングランドに借りを作るようなものだ。


「タイミングが悪かったっていうか、なんかね~」

 後味の悪い顔をするブラッドサッカー。朝日が昇った宮殿からは、働き出した人の賑わいが伝わってくる。


「シャルル・ドルレアンはどんな奴だった?」

「地下が似合う男っすよ。ホラ、父親を無怖公に暗殺されて、ずーっと根に持ってるっていう。けど父親も父親ですけどね。ご存知でしょう?」

「『美女という美女を絶叫させ、自らも種馬のごとくいなないた』ってやつか」


 2000%悪意しかない揶揄やゆは、オルレアン公ルイという男が女にモテたうえ金遣いも人遣いも粗いと、とにかく嫌われていたからである。暗殺されても誰も仇を取ってくれないのだ。


「そうそ。派手だった父親を反面教師にしてるみたいでね、引きこもって詩なんか作っちゃってますよ。一見おっとなしいけど、裏では何やらかすか分かんないタイプだね」


 父親惨殺の恨み晴らしで、フィリップへ毎日の不幸の手紙はまだ続いているらしい。内容は『お前の血で傷を洗う』とか『体中の血を全て吐き出させてやる』とかブラッドサッカーにはたまらない血ネタをはじめ、漆黒と紅の饗宴だという。


「へぇ、オレの曲に作詞してくんねぇかな?」

「どういう音楽なんすか?」

 ヘンリーは趣味でギターン(ギターに似た楽器)を弾いて作曲もする。王子時代は、猪鹿亭で酔っぱらってよく演奏していたものだが。


「なんかこう、革新的だと思うだろ。誰もやってないし」

「はぁ……」

 繰り返すがブラッドサッカー個人的にはヨダレものだ。しかし斬新すぎて誰も理解できないだろう。


 ヘンリーがブールゴーニュ派と駆け引きの一方、アルマニャック派シャルル・ドルレアンに対してはトマスが圧力をかけていた。前年、援軍を要請されたはいいが知らぬうちに一方的に同盟を破棄された件で、トマスが請求した賠償金はとんでもない額で、払いきれないシャルル・ドルレアンはなんと、弟を人質に差し出したのだ。


「さすがトマス様、うまい事やりましたよね」

 酒にめっぽう強いトマスの手にかかり、この人質はぺらぺらとあらゆる情報を喋ってくれた。そのいくつかを提供してやると、美女の生き血を吸ったようにブラッドサッカーの瞳が生き生きと輝く。


「今回はアルマニャック派とブールゴーニュ派が勝手に争ってくれたんだから、良しとしようじゃねぇか」

 その間にイングランドは侵攻準備を整える。皇太子時代からハルが思い描いていた通りになったわけだ。


 だが、ブラッドサッカーには一つだけ引っかかることがあった。

『イングランドには既に手を打った。ヘンリーの命運が尽き、血濡れの果実に口づける時はそう遠くない』

 別れ際、シャルル・ドルレアンはそう言ったのだ。陰キャだが実行力はある男だ。


「ヘンリー様、モーはどこに行ったんです? いつもなら夜明けと共に出勤なのに」

「モーか? 新婚なんだからゆっくり来いと言ってる」


 ヘンリーは大剣を担いで建物へと戻る。

「朝飯食って行けよ。これ、早速飲もうぜ」

 ワイン瓶を掲げる誘いは魅力的だが、ブラッドサッカーは断った。

「ちと気になることあるんで、今日はこれで」


 宮殿を後にすると、音もなく寄って来た部下の黒服男に告げる。

「モーを監視しろ。絶対に勘付かれるなよ」

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