第7話 プランタジネットを超えろ

「では頼むぞ」

「はっ。このランド、必ずやジョン王子のお役に立ちましょう」


 立ち去る男を見送りながら、ジョンは幕舎の外へ出た。空は厚い雲に覆われている。入れ違いでやって来たのは、弟のハンフリーだ。


「1マイル(1.6㎞)の距離で森の包囲は完成したよ」

「よし、燃料補給し、兵士には交代で休息を取らせろ」


 そこはロンドンから直線距離で180マイル(290㎞)、ヨーク市北部のゴールトリーの森だ。ジョン・ハンフリーの連合軍は、ノーサンバランドの反乱軍を囲んでいた。ノーサンバランドは経験豊かな将で決して侮れない相手だが、ここまでの戦いはジョンの思惑通りだ。


 度重なる皇太子ハルの狼藉に対して国王ヘンリー四世に代わり制裁を与える。そういう大義名分はあるものの、中身はハルへの反乱だった。

 前線指揮官はノーサンバランドだが、彼に資金を提供し、裏でアランデルと繋がり利権を得ようとしているのは、ヨーク大司教という腹黒聖職者だ。


「だから一気に決着をつけず、お膝元ヨーク市まではるばる追い込んだんでしょ?」

「ああ。ハルを貶めようとした罪は重い。ランドのあのびびった顔見ただろう?」

「ハルをなめるとどうなるか、思い知らせてやろうぜ」

 口角をつり上げ、ハンフリーは兵士の元へ戻っていった。


 ランドが戻るまで、しばらくかかるだろう。ジョンも自分のスピーダーの調整を始める。

 すると頭の中に若い女性の、ちょっとドスの効いた声がする。


「さっきのランドの話、マジムカツクわ」

「ヨーク大司教のこと?」

 ジョンの剣に搭載された相棒AIのメアリーだ。ちょっと感情的になりやすくて、ついでに言葉遣いも悪くなりがちだ。


「ヨーク大司教って男、一体何様のつもり? 『ハル王子の重なる放埓ほうらつ、そして飽食という病体にこの国は侵されそうになっているのだから、出血療法を行う必要がある。血管の障害を洗い清めるのだ』とか言って、っはぁ? 許せないんだけど。ハル王子がいつ放埓飽食したってのよ! たまに飲み過ぎて単独ライブ開催するだけでしょーな! アンタの腹ん中の方が漆黒ドロドロでキモいっつーの」


 そういう例えではないのだが、名誉の為に言っておくと、歌と楽器演奏を趣味とするハルの実力はかなりのもので、猪頭亭ライブはいつも大盛況である。


 こんな悪態も、ジョンにとっては心地よいBGMだ。物事を何でもアルゴリズム化して考えがちなジョンには、メアリーのような感情論発想はない。議論しようと思わなければ、彼女は面白い。


「彼らはハルに冷遇されてたからね。今が権力を取り戻すチャンスなんだよ。まあ、言いたいことくらい言わせてあげればいいじゃない。きっともうすぐランドが彼らを説得して、和解条件の要望書を持ってくるよ」


「要望⁉ どうせ権力と金でしょ? ハル王子をコケにしておいて、どのツラ下げて言えるもんだわ! アンタそれ受ける気じゃないでしょうね? ざけんじゃねーわ!」


 剣は今、スピーダーの側面に据えられている。憤慨したメアリーに連動してエンジンがかかったので、ジョンは鉄臭い排気を真正面から浴びるはめになった。


「こら! 無駄に燃料消費するなよ。『皇太子ハルはこれ以上の争いを望まない、ゆえにそなたらの要望を受け入れ和解したい』って内容で、おれがランドに提案させたんだよ」

「なにそれーっ! アンタ頭どうかしてんの? 徹底的にんなさいよ!」

「物騒だね」


「でも、ランドってもともとはノーサンと挙兵したんじゃなかった? それをよく離反させたわね? どうやったの?」

「そこはさ、彼にもいくつか弱味があってね」

「うっ、知ってたけどアンタやっぱ、性格悪いわ」

 ジョンは目を細めた。


 それから間もなく、大粒の雨が落ちてきた。時折風が強く吹き、横から打ち付けるようになる。思ったよりも時間がかかり、ランドがヨーク大司教の要望書を携えて戻ったのは地面に水たまりが出来る頃だった。


「ではこちらから出向くとしよう」

 これは帰ったらまず洗車だな、と泥をはね上げながら真っ白なスピーダーを走らせる。


 雨除けの天幕にはノーサンバランドとヨーク大司教が神妙な顔で鎮座していた。

 少し拭いただけなので、ジョンの髪と服はまだ濡れたままだ。にもかかわらず、一歩踏み入れた瞬間に天幕は凛としたジョンの空気に支配され、二人の顔色が変わる。

 更にジョンは先手を取った。


「これはこれは大司教閣下。反逆者一味を鼓舞扇動し、神の言葉を剣にとって替えようという閣下のお姿を、こうして拝見することになるとは。鐘の音に集う信徒たちを前に、神の教えを講じておられた閣下の方が、はるかにお似合いであったように思いますぞ」


「いいえ王子、私はなにも平和を乱そうとしているのではない。ランドにも申した通り、罪は乱れた今の時勢にあり、我々は身の安全を保つためにやむを得ず、この非常手段に頼ったに過ぎないのです。我らの公正なる要求さえ認めていただけるなら、誠の忠誠と心服が、皇太子殿下へ頭を垂れるに相違ないのです」


「しかし要求が容れられないのであれば、もちろん我らは最後の一人まで決戦の覚悟である」

 歴戦のノーサンバランドは、まだ若いジョンへ挑戦的な目を向けた。


(っはあ? 見てなさいよ、エンパワメントでぶっ殺したるわ!)

 あの、本体はおれなんだけど。ジョンは腰に下げた剣をコツンとして、笑いを噛み殺す。


「貴殿らの要望書について異存はない。ええ、履行すると宣誓しよう。ついてはこの朗報を兵たちに伝えてはいかがか。戦の終結を皆さぞかし喜ぶことでしょう」


 ジョンが命じると祝杯が運ばれてきた。風はますます強く、時折従者たちが天幕の足や布を支えなければならないほどだ。


「それでは、和平に乾杯」

 掲げた杯を、ジョンは一気に喉へ流し込む。そして続けた。

「ああ、ノーサンバランドよ、もし御異存なければ、あなたの兵をぜひ閲兵させてもらえないだろうか。敵として一戦交えるはずだった勇士たちの姿を、この目で見てみたいのだよ」


 上機嫌に笑ってみせるジョンに、ノーサンバランドは頷く。

「もちろん、異存はありませぬ」

 答えたノーサンバランドが立ち上がった時だった。


 ジョンとランドが剣を抜き、テーブルが倒れて杯が派手な音を立てる。その横ではランドに刃を突き立てられたノーサンバランドが屈んで呻いている。


「エンパワメント」

 雨よりも冷たい感覚が指先から全身を駆け巡る。つい先程までの笑顔はもう欠片もない。

 大司教の近衛が束になってかかろうと、ジョンの敵ではなかった。支えを失った天幕が突風にあおられ、飛ばされていく。


はかりおったか! お……おのれ……履行の誓約を反故にするつもりか!」

 腰を抜かして動けない大司教に、ジョンは剣を突き付けた。


「おれはお前たちの苦情を聞いて、正すべきものは改めると約束したに過ぎない。それはおれの名誉にかけて履行しよう。だが、我が兄に対して謀反を企てた以上、お前たちは相当する罰を受けるものと覚悟するがよい」


 そしてランドに手足を縛り上げさせると、スピーダーを通じて命じる。

「予定通りだ。指揮官と将校は全員掃討しろ。既に武装を解き戦意を失った兵は逃がしていいが、ノーサンバランドの兵は全員連行だ。閲兵し我が軍に組み入れる」


「了解」

 スピーカーの向こうで、ハンフリーのスピーダーが快音を響かせ疾走する。


「ランドよ、良い働きであった。これからも期待している」

「ありがたきお言葉に存じます」

 頭を下げるランドへ憎々しげな視線を向ける二人。


「お前たちは市中引き回してから処刑し、首級を城門にさらしてやろう。市民からよく見えるだろうよ」


 すると痛みをこらえたノーサンバランドが歯の間から声を出す。

「く……っ……この簒奪さんだつ者どもが! 親子兄弟揃って、プランタジネットの血を汚しおって…!」


「プランタジネット家か」

 そういえばこの男の母はプランタジネットの出だったなと思い出す。


 ジョンは冷たいアイスグレーの瞳で見下ろした。

「プランタジネットがどうした? ハルもおれたちも、そんなものは恐れない。おれのことはランカスターのジョンと呼べ」

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