第6話 黒衣のブールゴーニュ
フィリップは手渡された書簡を開封せず、窓の光に透かして見た。
「警戒するねぇ。シャルル・ドルレアンからじゃないんだからさ、心配はないさ」
それは毎日しつこく嫌がらせの手紙を送りつけてくる相手の名である。
「引っ越した翌日からまた届くって、完全ストーカーだよね?」
黒衣のフィリップはまだ封書を調べている。別段喪中というわけでなく、彼はいつもこの出で立ちだった。自分には黒が似合うと思っている。
対称的に派手な柄物にジャラジャラアクセサリーのブラッドサッカーは「お気の毒さまだな」と、ヒクヒク笑いだ。
「もしかしてぇ、フィリップ坊ちゃんがフランドルくんだりまでわざわざ引っ越してきたのは、嫌がらせから逃れるため?」
「領民の要望に決まってるでしょ。言っておくけど、ブールゴーニュよりここの方がよっぽど栄えてるからね? それにフランドルは食べ物が美味しいし、毛織物産業が盛んだから、これからどんどん成長する地域の経営は面白いよ」
フランスの中東部を支配する大貴族、ブールゴーニュ公爵家の嫡男フィリップの現在の称号は、フランドル伯だ。フィリップが相続したフランドル地方とは、フランス北部からベルギーの一帯を呼ぶ。
フランスは、国王シャルル6世が精神病を発症したことで政権が安定せず、諸侯が覇権を争う内乱状態にあった。その筆頭がブールゴーニュ公家だ。フィリップの祖父の代から宮廷を牛耳っている。
自然な流れでアルマニャック派という対抗勢力が存在し、その領袖はオルレアン公家という。
「フィリップ坊ちゃんの親父さんは強烈だもんなぁ、いきなり政敵オルレアン公を暗殺ときた」
これがまかり通るのだから、ブールゴーニュの天下というものだ。
しかし無論のことアルマニャック派は、わけてもオルレアン公の遺児シャルル・ドルレアンは黙っているわけにいかない。武力行使はもちろんのこと、ブールゴーニュ公爵家が所有するぶどう畑に放火したり、宮殿の周囲に汚物を撒いたり、並んでいる
「やり方が陰湿なんだよ性格悪い」
矛先は息子のフィリップにも向き、呪いの言葉がてんこ盛りの不幸の手紙が毎日送りつけられてくる。たまに毒物や危険物も封入されているのだから、油断ならない。
フランドルに居を移してやっと解放されたと思いきや、翌日にはまた届き始めたのには、少し悪寒がした。
「開封されないと分かってて、毎日送りつけてくる根気だけは褒めてやるけど」
しかし今、透かして見ていた書簡の差出人はシャルル・ドルレアンではない。
ブラッドサッカーは勝手にワイン瓶を開け、自分の分だけグラスに注いだ。
「イングランドでは政変があって、ハル皇太子を失脚させ政権を取り戻した父王が、アルマニャック派に援軍を出したんだ。次男のトマス王子を指揮官にな。さすがにそれは知ってるでしょう? けどその矢先、当のシャルル・ドルレアンの方が急遽坊ちゃんの親父さんと和解しちまって、トマス王子は何の戦績も上げられずに帰国したって話だ」
言いながら、これ美味いなと傾けるのはブールゴーニュ産の白ワインだ。フランドルは気に入っているが、ワインだけは故郷に敵わないとフィリップは思う。
「だから、僕はイングランドにもフランスにも興味ないんだよ。父と違ってパリの宮廷なんか行ったこともないし、シャルル・ドルレアンの顔も知らないし」
「でもなぁ、その書簡は父上宛じゃなく、坊ちゃん宛なんだぜ?」
フィリップはもう十五歳だ。だがブラッドサッカーは未だに坊ちゃんと呼ぶ。彼に大方の楽しみや悪さを教えたのはこの男だから、ブラッドサッカーにとってはいつまでも坊ちゃんなのだろう。
封書には「プリンス・オブ・ウェールズ及びランカスター公 ヘンリー」とフランス語ではなく英語で書かれ、留めはランカスターの徽章、赤薔薇の印影だ。プリンス・オブ・ウェールズはイングランド皇太子の称号で、もちろん会ったこともなければ、今まで書簡のやり取りもない相手だった。
それに加えて、プレゼントまで用意されていた。厚さ6インチ(15㎝)ほどの額縁のような真っ黒い四角。それにコードを入力する為の文字盤が繋がっている。
「ソレ重たかったんだけど、何なのかなぁ。皇太子に聞いたら『知りてぇならタダじゃいかねぇよなぁ?』ってふっかけてきて、教えてくれなかったんだよね。その手紙に書いてあるんじゃないの?」
まだ開けていない手紙を指さす。商人経由という、非公式ルートでわざわざよこしてきたのだ。中身が気になって仕方ないのはブラッドサッカーの責任ではない。
オルレアン公を暗殺した父は『無怖公』と呼ばれる豪傑で、まだまだ衰えを知らない。父がイングランド、わけても父王の方ではなく、皇太子ハルに支援を要請しているのは知っているが———。
「なんで僕宛なの? しかも父王に負けて失脚したくせに。もしかして救援要請?」
「それは手紙を読んでみなきゃだけど、でもねぇ、一度転ばせたくらいじゃハル王子は倒れないだろうねぇ。父王の老い先は長くないだろうし、大法官アランデルとトマス王子じゃ国民の支持が得られない。彼は人気あるからね。だから対抗できる奴はいないと思うぜ。モーくらいじゃないか」
「誰それ」
「皇太子の側近中の側近だよ。同じ家に暮らしてるくらいだ。けど、えっらい複ぅ~雑な事情があってな、」
「あぁ、もう説明してくれなくていいから。皇太子なんて興味ない。僕にとってイングランドは、羊毛の原産国以上の意味も価値もないんだよ」
「じゃっ、皇太子が羊毛を輸出してくれなくなったらぁ、困るわけだ」
「……そうだけどさ」
「更にぃ、作った製品を逆輸入してくれなくなったらぁ、もーっと困るわけだ」
「……うん」
ブラッドサッカーはキラキラした目でチーズを口に運ぶ。油分で潤った唇が妙に淫らで、フィリップは思わず生唾を飲んだ。
「ま、ハル王子からの依頼は果たしたからね。あとは壊すなり燃やすなり、坊ちゃんの好きにするといい。でさっ、せっかくフランドルまで来たんだから今夜街を案内してくれよ」
「悪いけど、僕は妻の側にいなきゃならない。彼女はまだ慣れてないんだ」
「あ、そっち系行くつもりだった? やっぱ若さの盛りだねー。俺は奥方も一緒にと思ってたんだけどぉ」
「そうやって歳下をからかうの、大人げないよ?」
「俺はハル王子のことも坊ちゃんのことも好きだぜ。じゃまた後でな。ご馳走さ〜ん」
油っぽくなった指先を舐めて、吸血鬼は部屋を出ていった。
「……そりゃロンドンには店出したり進出したいけどさ」
フィリップは黒髪の前髪を両手でかき上げる。
よし、読むだけ読んだら捨てようと決めて封を切った。
「なにこれ……」
しかし書かれていたのは黒い箱の取説と、『オレの弟が開発したんだすげーだろ』という自慢だけだった。
英仏間には海底ケーブルが通っていて、無線電信技術はフランスにもある。イングランドでは音声を伝送できるとも聞いた。ただ、映像を伝送できるとは初耳である。
プレゼントの黒い箱がカメラとディスプレイと無線伝送装置になっていて、それで相互に顔を見て音声通話ができるらしい。
「んんなバカな」
少し裏返った声で言いながらしかし、皇太子がそんな虚勢を張る意味がどこにもないことを分かっている。
理由は単純明快で、イングランド軍は強いからだ。支援を求めながら、下手したら自分たちが食われるのではないかと、父もシャルル・ドルレアンも気付き始めている。だから今回は双方和解し、トマス王子のイングランド軍には帰国してもらったのだ。
「で、なんで僕に……」
書簡の最後には皇太子への直通コードが書かれていた。これを知るものは、両手で数えられる程しかいないという。
手筈は整えてやったのだから、あとはお前の方からアクセスしてこいってわけだ。
「ハル王子か……。尊大な奴! んふふふふふふふふふふふふふふふっ」
僕は興味ないのに、シャルル・ドルレアンといい、イングランド皇太子といい、どうして僕を引っ張り出そうとしてくるかなぁ。
手紙を燃やそうと火に近づけるが、やっぱり思い直し、デスクの引出しの中にしまった。
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