第5話 プランタジネットの心臓

 心臓の病が癒えぬ父は、居住のウェストミンスター寺院で静養していた。ようやく面会の許しが下りたハルは父の私室へ招き入れられ、椅子の近くへ来るよう命じられる。そしてひざまずいた。


「恐れ多き陛下にして父上、この度は臣下として、また実の息子として陛下であり父上の命に従うため、御前に参上しました。私の行動について陛下が疑念を抱いていらっしゃることを承知しています」


 父の腹心、アランデルも陪席している。父の顔は青白いが、しっかりとした声が返ってきた。


「あぁハルよ、どうにも分からぬのはそなたの心のありようだ。父祖たちの道とは別の方に進もうとしている。アランデルへ不当行為に及んでその議席を失い、弟トマスにとって代わられる始末だ」

 決して不当行為ではないのだが、それは飲み込む。


 心のありようが分からぬ、か。分かろうとしてくれたことが一度でもあったろうか。


 厳しく教育された覚えはあれど、気付くと父の笑顔はいつもトマスに向けられていた。

 けれど、リチャードおじさんは違ったのだ。


 十二年前、父が率いる10万の兵に取り囲まれ、国王リチャード二世は人質の少年ハルを解放しようとした。


『よき息子ハル、お前は父の命令に従うのだ。ここで死んではならぬ』

『国王陛下……いえ、リチャードおじさん、僕は父の所業に納得できない。ここに残ります』

 リチャードは慈しみの表情でハルの両肩に手を置いた。


『それはならぬ。お前は父に、息子殺しの罪業を負わせるつもりか』

『僕は、僕は……リチャードおじさんの息子です。だから殺されても構わない』

 するとリチャードは嬉しそうに、寂しそうに微笑んだ。


『余は、お前が生涯我が友であることを祈っている。余には、これからの成り行きが分かっているからな。さあ、お前の道を行きなさい』

 そしてリチャードは捕らえられた。亡くなったのはそのすぐ後だから、ヘンリー四世として即位した父が暗殺したのだろう。


 こうして跡目のないリチャードを廃することで、父は王位を簒奪さんだつしたのだ。

 ハルは問いを返す。


「リチャード陛下の失策に、議会や民の不満が募ったことは存じております。父上がイングランドの為に挙兵されたことを否定する気は毛頭ございません。ただ、お聞かせください。父上はいかに思っておられるのかを」

 頭を上げる。


「リチャード陛下より王位を奪ったことを、どうお思いですか」

 空気がぴりついた。アランデルが息を飲むのが分かる。


 ハルが父の手を拒否して以来、父はハルを正面から見ようとしなくなった。翌年からハルは十年間近くブリテン島の西方、ウェールズ平定の前線に派遣され、父が体調を崩すまで呼び戻されることはなかったのだ。


「ぶっ無礼な! いくら王子といえど、言って良いことと悪いことがございますぞ!」

 声を荒げたアランデルに対し、父は静かなまま答える。


「余にはプランタジネット家の後継として、イングランドを正しい方へ導く責務があった」

「リチャード陛下もプランタジネットでした。そして私もプランタジネットです。私にもイングランドを正しい方へ導く責務があります」


「ハルよ、そなたはこの父へ同じことをするというか?」

 それはつまり———

「王位を委譲しろと申されるのか⁉ 陛下がご静養にあられるのを良いことに、なんたる傍若無人な! 恥をお知りなさい!」


「恥を知るのはお前の方だ、アランデル! 私は陛下の正統な嫡男です。弟トマスを利用し王権を狙っているのはアランデルの方だ!」

「それはあまりに暴言でありましょう!」

 アランデルは般若はんにゃの形相でハルを睨みつけ、ああだこうだとまくし立てたが、王は静かにそれを遮った。


「して、ハルよ、そなたの導く正しき道とは」

 ハルは迷わない。

「フランス征服です」


 フランスの北部ノルマンディ、中部アンジュー、南西部アキテーヌの領土回復は、ヘンリー親子の祖であるプランタジネット家代々の悲願だ。そのために祖先は、後世百年戦争と呼ばれる戦いを幾度もフランスへ仕掛けたのである。


「フランスが分裂状態の今こそ、千載一遇の時です」

 フランスは国王シャルル六世が精神病を発症したことで政権が機能せず、覇権争いの諸侯が武力衝突を伴う内乱状態にある。その二大派閥がアルマニャック派とブールゴーニュ派で、どちらもイングランドへ支援を求めていた。


 父は積極的な介入を望まないが、ハルは違う。

「陛下の即位から十年以上が経過し、政権は盤石です。今こそ、プランタジネットの父祖が受けた屈辱をフランスへ与え返すのです」


 ハルが産まれるより前にイングランドはフランスから撤退を余儀なくされ、現在まで休戦状態である。侵攻を再開すべしの声は議会の多数派だが、王は慎重だった。


「お忘れですかな。今回、陛下がトマス王子を指揮官に派兵したのは議会の意思であり、アキテーヌ奪還の援助をから得るためでありますぞ」


 4000人と小規模ながら、しかしそれはハルの努力を根底から覆すものだった。父王とアランデルがしたのは、ハルとは真逆の事なのだ。父が親政復帰する以前に、アキテーヌ奪還の援助はとうにからハルは取り付けている。


 それをわざわざ破棄し、方針転換したのはアルマニャック派に肩入れする為ではなく、皇太子ハルの影響力を弱体化させ、国王の存在を内外に誇示する目的でしかない。


 ———対フランス政策こそがプランタジネットの、そしてランカスター王朝の心臓なのだ。だからこの機を内紛、しかも親子の諍いなどで逃すわけにはいかない。

 ハルはせり上がってきた苛立ちを下腹に押し込み、言葉を選んだ。


「陛下に進言申し上げます。アルマニャック派とブールゴーニュ派をより争わせるのです。その水面下で両者と交渉し、有利な条件を引き出すべきです」

「ふむ、しかしそう都合よくは争いなど起こらぬぞ」


「いいえ、起こすのです」

 鍛えた鋼のようなハルの隻眼せきがんから、父は目を逸らした。


「……余にはやはり、そなたの心のありようがわからぬ。何を望んでおるのか」

 やはり、こうなるのか。

「そなたの政策を容れるわけにはいかぬ」


「しかし陛下———!」

「余は少し疲れた。もう下がるがよい」

 ハルは歯噛みするしかなかった。


 アランデルに追い出されるようにウェストミンスター寺院から出てきたハルの表情に、結果を悟ったモーは黙ってハルの後に続く。


 しばらく無言で歩き、気持ちを落ち着けてから、おもむろにハルは話しかけた。

「お前は父上をどう思う?」


 モーと出会ったのは、リチャードおじさんと共にアイルランド遠征の時だった。最初はモーが人質ハルの監視役だったが、政権が交代すると、今度はハルがモーの監視役になった。


「私には、何をお考えなのかよく分かりません。リチャード陛下と共に私も殺されると思っていましたが、今もこうして生きています。私を生かすことが有益と判断されたのかどうか……」


 モーをハルに託す時、父はこう言った。

『よいか、飼い慣らすだけで、決して心を許してはならぬぞ』

 そして裏切った時には、その手で息の根を止めるのだと。


 将来人の上に立つ者としての試練を息子に与えたつもりなのか、簒奪さんだつ者と言われ続ける苦しみがそうさせたのか、ハルにも分からない。


「だがオレはそうは思わない。王が人と向き合わずに、統治が成るものか」

 それは若き日のほとんどを戦場で過ごしたハルが得た経験値の一つだった。


「オレは父上とは違う」

 父と子の決定的な違い———。それは、ハルにはモーをはじめとするかけがえのない友人、部下、そして弟たちがいることだ。


 これは弟たちが思うような親子のすれ違いではない。まぎれもない権力闘争なのだ。


「ブラッドサッカーを呼べ。もう一度ブールゴーニュと接触する」

「承知しました。ハル様、」

「なんだ」


 モーはアイルランド出身らしい、澄んだ大きな緑色の目でハルを見つめた。

「始まるのですね」


「大げさだな、外交努力だぞ?」

「茶化さないでください。ハル様の望みは領土回復だけではなく征服、即ちフランス王位でしょう。外交努力で手に入るもんですか」

「今のところ、イングランド王位すら危ういけどな」


「弾頭や火薬を増産させます。金策も練らなければ。それと———」

「おまえ……」

 目を丸くしたハルに、モーははっきりと言った。


「フランスを征服し、イングランド=フランス二重王国の王位を手に入れる。プランタジネットの悲願を超えて行けるのはハル様、いえ、ヘンリー五世陛下をおいて他にありません」

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