第3話 退場

「あぁ……痛ってぇ……」

 体を起こそうとして、またすぐうつ伏せになる。酷い二日酔いだった。

「いや、そんな飲んでないはず……」


「しこたま飲まれてましたよ」

 現れたのは、身支度も完璧なモー。ついでにここはモーの部屋、モーの寝台だ。昨夜は途中から記憶がない。


 猪頭亭からほど近いコールドハーバーの邸宅には、ジョン以外の三兄弟と執事に従者、そしてモーが暮らしていた。ジョンの部屋もあるのだが、彼はエルサム宮殿の自分のラボで飯を食いながら機械をいじり、そのまま力尽き、起き抜けにまたすぐいじり始めるという、王子にあるまじき生活をしている。


「お着替えを」

 ガンガンする頭と戦いながら上半身を浮かせて腕を半分上げると、モーが服を脱がせていく。なすがままされるがまま、手早く髪をとかされ髭を剃られる。


 彼は従者ではない。もう一人の弟のようなものだが、ハルのことは従者以上に知り尽くしていた。酔い潰れたハルを背負って、文句一つ言わず後処理をするのなど朝飯前である。


「何もしたくねぇよぉ……オレのスピーダーがよぉぉ」

「甘えるんじゃありません」

 お母さんモーの言う通り、特に今日は議会を欠席するわけにはいかないのだ。


 嫌いな蒸気車デッカーに押し込まれて揺られる。

「おぅっ……ぅ」

 思わず呻いて口元を覆うと、さすがモーは冷たい水を差しだしてくれた。


 着いた先は議場、ウェストミンスター宮殿だ。父王ヘンリー四世は健康状態が思わしくなく、二年程前からハルが政務を主導していた。従って、議会はボーフォートという柿の種のような顔の男を中心とするハルの一派で占められていたが、情勢は半年前に一転した。小康状態の父王が親政復帰したのだ。


 昨日の襲撃について早速ハルは釈明を求められたが、己の正当性を主張したところで梨のつぶてで、父王一派のヤジとともに評議員の解任と皇太子のあらゆる権限を剥奪される結果となった。


「まさか陛下がここまで厳しい処断をされるとは」

「予想はしていたさ」


 まだ痛む頭を押さえながらのハルに、モーは歯がゆさを感じる。長らくハルに排斥、冷遇されていたアランデルは、王の威光でいきなり大法官に返り咲いていた。


「アランデルはプラントで私腹を肥やし、脱税しているのには証拠があります。それを根拠にハル様はプラントの明け渡しを求め、再三の要求にも応じなかったため、強行手段に出られたわけです。それを今度は『皇太子は遠征中に守備隊員の給金を横領し、飲み代に使った』など根も葉もない中傷で、鬼の首でも取ったような顔をして」


 正確には『給金は支払ったが後からカードで巻き上げて飲み代に使った』のだが、それにしても、ハルは付け入られるネタがこの程度しかない男なのだ。


「そう怒んなって。今は待つときだ」

 蒸気車デッカーが並ぶロータリーで、ちょうど到着した車から転がるように出てきたよく知る人物に、ハルは足を止めた。


「どうしたジョージ?」

「ハッ、ハル王子っ……! 大変です!」

 初老の男性は同居する弟ハンフリーの執事、ジョージである。


「レッチが逮捕されました!レッチだけではありません、王子の家臣は全員……」

「なんだと⁉ 一体どうして」

 レッチは長年ハルの家政を預かる執事だ。騎士ナイト階級で、逮捕される理由など皆目見当もつかない。


「王子のプラント襲撃を知りながら通報を怠ったと、謀反の罪を着せられて……」

「クソがっ! レッチは関係ねぇだろう! それで?」

「抵抗する間も無くロンドン塔へ連行されました」

 自宅から監獄のロンドン塔までは目と鼻の先である。


 ハルは踵を返すと、ウェストミンスター宮殿の中へ大股で戻っていく。

「ハル様、まず落ち着きましょう」

 早足でモーが追うが、まったく聞く耳を持たないハルの足は速まるばかりだ。


「落ち着いて、冷静に解決しましょう。今やっても形勢が不利になるだけです」

「黙れモー! 落ち着いてなんかいられっか! 罪のないオレの家臣がロンドン塔にぶち込まれたんだぞ!」


「お気持ちはよく分かります。しかし今は待つ時だとご自分で仰ったばかりでしょう!」

「うるせぇ!」

 頭に血が上ったハルを止めることなど誰にもできない。モーは覚悟を決めた。


 ハルが向かうのは大法官の執務室である。ノック無しに扉を蹴り開ける。

「ひいっ! な、何事かね、いきな———」

「これがテメェのやり方か!」


 隆々の腕でアランデルの胸倉をつかむと、拳を振り上げる。その腕にモーがしがみつく。

「離しやがれ!」

「いけません! ハル様の代わりに私がぶん殴ります」

「あぁ? いいから離せっつってんだろ!」

「いえ私に殴らせてください」


 モーが逆の手を拳にして振り上げる。屈強な男二人から構えられ「ひえええっ」と小さくなったアランデルは、気にしているらしい薄い頭頂部が丸見えだ。裏返った悲鳴で衛兵を呼ぶ。


「オレは自分でやらなきゃ気が済まねぇ!」

「では気が済むまで私にお向けになってください。そしてアランデルは私が」


「だーかーらー! 分かんねぇ奴だな! オレのものを傷つける奴は誰だろうと許さねえんだよ!」

「でしたら帰ったら私がテーブルでも破壊してさし上げますから、私を殴ればよいでしょう。アランデルは私がやります」


 モーは額に玉の汗を浮かべ全力だった。ハルは6フィート(188㎝)の長身に、大剣を余裕で振り回す体格である。モーの体格も引けを取らないが、ハルの筋力と運動神経は猛獣並みなのだ。手加減などしていられない。


「失礼します」

 言うと同時にモーの右拳がアランデルの鼻にヒットする。

 何が何でも、ハルに先に手を出させるわけにいかない。


「あうぅぅっ……」

 鼻血を出したアランデルが部屋から退避しようとしたところに、衛兵が駆けつける。

「うるがあああぁぁぁーーっっ!!!」

 ついにモーの腕を振り払ったハルが解き放たれた。


「うひいぃぃぃっ! はっ、早く王子を捕らえろ!」

「し、しかし!」

 衛兵は動けない。ウェストミンスター宮殿の衛兵にとって、皇太子ハルは絶対守護の存在であり、間違っても槍を向ける対象ではないのだ。たとえ猛獣であっても。


「ゔおおおおおっ! アランデェェェルゥゥーー!!」

「ハル様っ……!」

 後ろから歯がいじめにするモーを引きずったまま、アランデルと複数の衛兵を素手で病院送りにしたハルには、当面の間自宅謹慎が命じられた。



◇◇◇◇


「こんちはー。自宅謹慎って聞いたから暇を持て余してんのかと思ったら……」

 今日のハルは鼻唄を歌いながら、プラントの戦いで墜落したスピーダーバイクに、車体を覆うカウルを溶接していた。ほとんどのパーツを新調することになったが、幸いなことにかろうじてエンジンだけは無事だったのだ。


「へえ、こんなの見たことないや。王子のデザインっすか?」

 ハンドルから地面スレスレまで覆った一体型のフルカウルは、光沢を抑えた深い鈍色。無骨なフレームを包みこみ、メタルの冷たさがありながらどこか女性的ななまめかしさを感じる形だ。


「まるで金属に乗った妖精っすね」

「そろそろ来る頃だと思ったぜ、ブラッドサッカー」


 ブラッドサッカーとは通称で、血の卸売人だ。鮮血から埋蔵血、精製血まで扱ううえ、各所で得てくる情報を取引材料に渡り歩く。ハルは自分とさほど歳の変わらぬこの人物の本名も素性も知っていたが、あえて通称のまま呼び続けている。


「巨大プラント入手おめでとうございます。あの埋蔵量だと自軍だけじゃ使い切らないっしょ? ジャンジャン売ってくださいよ〜」

「誰が欲しがってる?」


 作業する手は止めず、今度は地面に寝そべりながら下部を溶接していく。熱を帯びた部分がオレンジ色に光る。

「それぁもちろん、アルマニャック派も、ブールゴーニュ派も」

 ぴくりと鼻唄が止まったのに、ブラッドサッカーは口の端を吊り上げる。


「やっぱり! 王子の目線の先はフ・ラ・ン・ス」

「別に隠しちゃいねぇよ」

「ただァ、父君陛下と方針が違いすぎる」


 横に伸びた唇を濡れた舌で舐める。艶のある目の光はその名に違わず、人の生き血を味わった直後の吸血鬼ブラッドサッカーを連想させた。


「王子の代わりに評議員になったトマス王子は、父君のお気に入りでしょ? 王族なのに恋愛結婚を許可されて、新しくクラレンス公爵にもなって、父君の命でフランスに遠征するみたいじゃない。一気に王座へ近づいたわけだ」


 事実である。ハルが排斥されたことで、トマスは病床の父の元、王座すら狙える位置にいる。


「最近、トマス王子に会われてます?」

「失せろ、吸血ゴキブリ野郎が」

 がばっと体を起こし、フェイスガードを外してハルは本気だった。

「おっとぉ、王子を怒らせると怖い怖い。そうじゃなくて本題はこっち。アランデルの腰巾着、ノーサンバランド伯が兵を集めようとしてますぜ」


「……なんだと」

「アランデルの奴、この機に本気で王子を潰す気みたいで」

 くつくつとブラッドサッカーの軽薄な笑いは、この状況を心底楽しんでいた。


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