ヘンリーの章 ハル王子篇

第1話 ブラッドプラントの戦い

「おはようございますハル王子っ! これから出撃って時にエンジン切ってボーっとしちゃって、どうしたんですかっ⁉」


 いきなり響き渡った甲高い声に、何が起こったのか分からず呆気にとられる。それから後ろを振り返るが、極太タイヤのスピーダーバイクの後ろに誰かいるはずもない。


「あたしジェーンっていいます! これからよろしくお願いしますねっ! あ、ほらほらっ、ちゃんと前見てくださいよっ」


 イングランドの皇太子ハルこと、ランカスター公ヘンリーのスピーダーバイクの側面に据えられた武器、刃幅8インチ(約20センチ)はあろうかという重量級の大剣に搭載されたAIだ。容量不足で入れ替えると言われたのが二日前。前のAIはエドマンドといい、物静かな男だったのに。


「おい、そのキャラ設定をしたのは当然ジョンだな?」

「はいっ、もちろんあたしの産みの親ですからっ! こう見えてあたし、王女って設定なんですよ。でも着飾るより戦う方が好きでみんなを困らせて、挙句にイケメン傭兵隊長に恋して駆け落ちしようとして……」

 見えないし。声だけで困らせるには充分だし。


 ジェーンの意図はハルの脳内へ電気信号で直接送られ、ハルは音声として認識する。従ってその声は他人には聞こえず、ハタからみれば彼はぶつぶつ独語を喋っているようだ。


「分ーったから、まず様付けはやめろ。敬語もだ。装飾つけてる時間が無駄だからな。それから、オレが許可するまで勝手に喋るなよ」

 ジェーンは1.7秒考えたようだ。


「オッケーハル! じゃ行こっ」

 なんだ、急に上から来たようなこの感じ。王女だからか?


 スピーダーを大きく旋回させ所定位置に入ると、既に麾下きかたちがスタンバイしている。

「絶対勝とうねハル!」

「あのな、許可するまで喋るなって今言ったばっかだよな?」


 ロンドンより南南東へ直線距離で50マイル(約80㎞)、森に囲まれた『バトル』という名の戦場跡に建つブラッドプラントだ。夜明けの天気は快晴、乾いた風が艶のあるこげ茶色の長髪をたなびかせる。


「おはよう。全員配置についてるな」

 ハルが喋る内容はスピーダーを通じて全兵士へ伝達される。

「これより作戦を開始する。トマス、ハンフリー、準備はいいか」

 

「いつでもいいよ」

 年子の弟トマスの部隊は、正門に構えるハルとは逆側、プラント背後の部隊を指揮させている。


「こっちも完璧」

 末の弟ハンフリーは東側だ。


 森の戦いにはこれまで幾度も苦しめられてきた。スピーダーバイクの進行は阻まれ、最前線の確立は困難。起伏と遮蔽物が多く、防衛する側に常に有利だ。当然森の中には敵兵が埋没していて、うかつに足を踏み入れようものならブービートラップと狙撃の餌食となる。そしてプラントへ続く一本道は敵の射程内と、まさに難攻不落。


 ———だから夜明けとともに奇襲をかける。


 ほとばしる興奮をスピーダーの冷えた金属の感触で鎮めながら、ハルは全軍に告げる。

「撃ち方用意」

 既に空全体が薄い光に包まれている。視界に問題はない。


「放て!!」

 号令とともに、全方位から兵士が肩に担いだ発射装置ランチャーで放つのは、これまでの銃の射程より遥かに遠くから、そしてより強力な破壊力を持つ弾頭だった。

 従ってここは敵兵の警戒網の外であり、気付かれたところで反撃はない。


「次! 間をあけるな!」

 一発放つと次の列と交代。三方から森へ向けてそれを繰り返す。砲弾と共に木々の梢が勢いよく破裂し、塹壕ざんごうに潜んだ敵兵をも容赦なく傷つける。森はもうもうと煙に包まれた。


「やめ!」

 煙が晴れるまで三十秒ほどだったろうか。スピーカー越しにハンフリーが喉を上下させるのが分かる。

「……えげつねぇ」


 木々は見るも無残な姿に変わり、まるで屠殺とさつされた豚が幾重にも広げられているようだ。

 銃の精度で大砲の破壊力を持つ兵器。ついでに組み立て式で持ち運びが楽なやつな。そんなハルの無茶振りに、二番目の弟ジョンが文句をたれながら開発した新型ランチャーは、予想を大きく裏切ってくれた。


「よし、突入する!」

「行こ行こハルっ!」

 嬉々としてスピーダーのスロットルを全開に、一本道を進む。エンジンが火を噴き、快音に置いて行かれないよう麾下が続く。


 森が消えても敵が全滅したわけではない。城砦のようなプラントの上から、平たくなった森の中から銃撃される。プラントからはスピーダーに乗った敵兵が次々に飛び出してくる。


 麾下の援護射撃を背後に、ハルは大剣を抜き両手で構えた。両脚で挟んだスピーダーはハンドルで操縦しなくても、足腰の体重移動だけで自在に操れるのだ。

 そして、


「エンパワメント!」

「オッケー、ハル!」


 武器を持つ指先から流れる冷たい感覚。ジェーンの信号パルスが血管を通じ全身へ満ちる。すると視力を失った右眼の視界がハッキリと広がり、ずっしり重い剣が綿のように、体は羽根のように軽くなる。まるで枝でも振るように剣を右に左に凪げば、群がってきた敵兵が吹き飛ばされていく。


「ハル、後ろから三人来てる!」

 ジェーンの声にスピーダーを蹴り上げ上に跳ぶ。軽々と体が舞い上がり、後方に一回転しながら下降。下にいた敵兵たちの頭をかち割り、再びスピーダー座席に着地した。


「次左ね。壁登るよっ」

「壁登るぅ? お前ぇ一体なに考えて……っ!」


 ジェーンの操作でスピーダーが唸り、再びスロットルが全開になる。いきなりグンと体が後ろに持っていかれそうな衝撃。ハルの意図とは別に、爆音のスピーダーが最高時速の218マイル(350㎞)でプラントの湿った石壁を登り始めた。奥歯を食いしばったハルは片手でハンドルを、もう一方で剣を握りしめるしかない。


 しかし垂直に切り立つ壁を、重量級のスピーダーバイクで登りきることなど不可能だ。

「おいおい、まさかお前……」

「ハル、跳んでっ!」


 スピーダーが描く放物線の頂点でなお、ハルは迷った。自分は跳べる。しかしスピーダーバイクは落ちていくしかなく、果たして彼は生きていられるか。良くて全身複雑骨折だろう。

 大事に大事に手入れしてカスタマイズしてきたのによぉ……。


 重力に捕われる前に、断腸の思いで愛車を蹴る。空中で手足を泳がせてバランスを取り、内臓をぶん殴られたような衝撃で着地。そこは全体を見渡すことができるプラントの屋上で、つまりは敵の司令部だ。

 はるか下方から、ズガアァァ———ンと悲しい音が聞こえる。


「ぃよう、みんな会いたかったぜ」

 ハルの琥珀色の隻眼せきがんが、朝日を反射して黄金に輝く。


「何をしている! 王子一人だ、早くやってしまえ!」

 しかし圧倒されたように誰一人として動けない。

 大剣を持つ指先から全身に力をみなぎらせ、熱が立ち昇るかのような覇気でその場を制す。


「投降するなら命は助けよう。それとも、もう一度新型ランチャー撃ち込まれてぇか?」

 一歩踏み出すハルへ、その場の全員が畏怖した。真正面から朝日を浴びたハルの鍛え上げられた筋肉に包まれた体は神話の神としか言いようがなく、一人が武器を捨てその場にひざまずくと、波のように連鎖していく。


「くそううっ!」

 悔しがる指令官の首根っこを片手で鷲掴みにすると、屋上の端から突き出す。人の悪口を言うには不向きな、全身から放出されるハルの大音声が早朝の戦場に響き渡る。


「このプラントは制圧した! 今すぐ戦闘をやめ投降するなら命は助けよう。選択するがいい!」

 それは白鳥がまさに今飛び立たんと、翼を広げたようだった。迫力に戦場は静まり返る。


「えぇーっ、もう終わっちゃったの⁉ 俺まだエンパワメントしてないんだけど!」

「なんだよハルの奴、全部一人で!」

 プラントを包囲し、これから突入というところでお預けを食らった弟二人を除いて。


 あぁあ……グッチャグチャじゃねぇかよ。

 しかし眼下に無惨な姿で横たわる愛機に、本当は一人泣きそうなハルだった。

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