第4話 大雨

 雨が降っていた。大雨だった。学校に行くのが鬱になる。

 それでも、行かなければならない。


 行ってきますと言って、傘をさし、家を出た。

 雨の日には様々な登校の仕方がある。


 親に車で送ってもらう人、カッパを着て、自転車で行く人。

 傘をさして行く人。

 平坂は三つ目に位置する。雪乃もだ。


 「おはよう!」


 背後から雪乃が声をかける。騒がしい雨音にも負けないような声で。

 おはようと返す。聞こえてるかは分からない。聞こえてたらいいな。


 雪乃は笑った。聞こえていたようだ。雪乃は耳がいい。


 「ねぇ、見て見て。水溜り」


 「飛び込んでみなよ」


 「そんなことしないよ、子供じゃないんだから」


 「まだ、子供でしょ」


 「立派な大人だ!」


 「本当は飛び込みたいんでしょ?」


 少し意地悪っぽい言い回しをした。雪乃は、半分拗ねて、半分笑っていた。


 「えい!」


 雪乃は飛び込んだ。自分の足ごと。

 雨水が飛び散る。こっちにもかかった。

 雪乃は平坂を見て笑った。とても嬉しそうに。


 「かかったんだけど」


 「平坂も飛び込みなよ」


 「遠慮しとく」


 「手出して」


 「手?」


 言われた通りに、雪乃に向けて手のひらを出した。それは間違いだった。

 次の瞬間、その手は引っ張られた。


 「うわっ!」


 「あはは、平坂も飛び込んでるじゃん!」


 「……無理矢理ね」


 なるほど、理解した。手を出してと言う言葉は信じてはいけなかった。


 「制服汚れちゃった」


 「一緒だ」


 それもそうだ。思いっきり飛び込んだんだ。

 急に引っ張られたせいで傘も離してしまった。もう、全身びしょびしょだ。


 「どうするの、これ?」


 平坂は聞いた。


 「このまま学校に行くしかないね」


 雪乃の応えに、はぁ、とため息をついた。

 明日、風邪を引くのは確定したようなものだった。


 家に帰って、制服を乾かしていては遅刻してしまう。やはり、このまま行くしか手段はなかった。


 「二人も揃って、どうしてそんなに濡れているんですか?」


 学校に着くと、最初に話しかけられたのは生徒会長からだった。


 名前は夏島。性別は女。

 眼鏡をかけていて、凛とした風貌に、いかにも生徒会長だ。


 真面目でしっかり者。笑うこともあまりない。純粋な生徒会長タイプだ。


 「水溜りに入っちゃって」


 「平坂がですか? それは意外です」


 「わざとだけどねー!」


 「瀬尾富さん、遊びはほどほどにしてください」


 夏島はロボットのような話し方をする。感情がないようで、目にも光がない。

 ルックスと頭の良さでこの世を生きてきたみたいな、そんな感じだった。


 友達同士で話して、笑っている姿も見たことがない。女子高生らしくない、大人びていた。


 「夏島さんはどうやって来たの?」


 雪乃が言った。


 「私は傘をさして来ました」


 「水溜り入った?」


 「入ってません」


 夏島は雪乃じゃない。そんなことはしない。


 「だけど」


 「だけど?」


 夏島はそっと息を吸う。そして、言葉と共に吐く。


 「雨の音は好き。無になれるから。心が浄化されるから」


 「へぇー、私は晴れの方がいいな。でも、雨も素敵なんだね」


 平坂は夏島の言葉をほんの少しだけ共感した。そう、ほんの少しだけ。


 「平坂はどっちが好き?」


 雪乃はこっちを向いた。

 ここは何と言うべき何だろうか。晴れも、雨も、お互いに良さがある。

 選べなかった。だから、こう言った。


 「間を取って、雪が降ってる日かな」


 「普通、曇りじゃないの? 晴れと雨の間って」


 「誰が決めた?」


 「私」


 「そう」


 でも、それは間違いだ。とは、言わなかった。

 晴れと雨の間は曇り。そこに事実上の理由はなく、誰かが勝手に決めつけたものに過ぎない。


 晴れは晴れ。雨は雨。雪は雪。これが正解だ。

 天候なんて様々だ。雷が落ちる日もある。ファンタジーの世界ではお菓子なんて降ってくるそうだ。

 そこに間はない。のかも知れない。


 水溜りの話から、天気の話まで脱線してしまった。

 まだ、授業時間までは時間がある。次は平坂から問いかけた。


 脱線は、一つの暇つぶしだ。同じレールばかりじゃ、つまらない。事故にならなければ問題ない。


 「夏島さんは、休日何してた?」


 平凡すぎる質問だ。これじゃあ、脱線ではなく、平坦に戻っただけか。


 「勉強です」


 想像通りの返答だった。


 「あと」


 夏島はそっと息を吸う。時々、何か勿体ぶることを言い出す時、夏島は息を深く吸う癖がある。

 そして、言葉と同時に息を吐いた。


 「アニメを観ていました」


 これは意外だった。


 「どんなアニメ?」


 平坂は聞いた。


 「宇宙人が正義のヒーローとなり、悪に立ち向かうアニメです」


 すぐにはピンとこなかった。頭の情報を整理するのには数秒かかった。


 ウチュウマン。咄嗟に浮かんだのがそれだった。今大人気のアニメだ。


 名前だけは知っていた。

 確かこれは子供向けのアニメのはずじゃ?


 「一人で見てるの?」


 「いえ、弟がいるので、一緒に観ています」


 「弟いるんだ。何歳?」


 「今は七歳です」


 「じゃあ、小一?」


 「そうですね」


 そんな小さな弟と一緒に観てるなんて、いい姉だと思った。

 家ではどんな感じなんだろう。学校みたいに笑わないのだろうか。さては、笑顔が絶えない姉としているのか。


 そんなことを考えても、答えは出てこない。本人に聞くのも、何だか申し訳ない。これは、心の深海に沈めることにした。


 どっちにしろこの先、浮かんでくるものではない。だから、これでいい。


 「もうすぐ、そのアニメの映画がやるんです」


 「それは楽しみだね」


 「間違えて、先にチケットを三枚購入してしまい」


 「弟の分と余分に一枚買ったてこと?」


 「はい」


 意外にドジっ子なんだなと思った。


 「その弟も、別の日に祖母と祖父に連れてってもらうらしくて。実質、二枚余ってしまい」


 夏島は切そうに言った。


 「それは困ったな」


 「だから、その、平坂、一緒に観ない?」


 困ったものだ。映画に誘われたこともそうだが、いきなりタメ口で話されるとドキッとする。ずるいものだ。

 まぁ、同級生なのだから、タメ口で話されても不思議じゃないが、夏島の場合同級生にも敬語で話すため、急にそれをされると何だか不思議な気持ちになる。


 「いいよ」


 と、平坂は言った。

 夏島は笑ってるのか真顔なのか、微妙な表情だった。それでも、嬉しそうな気持ちは伝わった。


 「でもさ、それでもあと一枚余る

よ?」


 平坂は疑問を問いかけた。


 「……私のこと忘れてません?」


 雪乃の声だった。

 すっかり忘れていた。


 「すっかり忘れてました」


 夏島は思ったことをすぐに口にするタイプだった。


 「私も行きたい!」


 「いいですよ、これでチケットも丁度ですし」


 雪乃も来るそうだ。嬉しそうに笑っていた。


 「平坂とまたデートできるね!」


 「デート?」


 夏島は首を傾げた。

 平坂にとって、二回目の息抜きだ。


 「お前ら席につけー!」


 敷波先生が教室へ入って来た。

 三人は急いで、自分の席に着く。

 今日も、時の流れが長くて短い学校が始まった。

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