第5話 かけっこ勝負とたいくつな英雄

「ドラゴンだって?」


 マシューが振り返って抗議の声を上げますが、一同はすでにわらわらと連れ立って池の近くにある岩の一つへと集まっていました。マシューも慌ててその後を追いかけます。


「ま、待ってよ! ドラゴンだなんて、嘘だろう?」

「ここからスタートだ」

「池をぐるっと一周して戻ってくるんだよ」

「先に戻ってきた方が勝ちだ」

「勝負、勝負!」


 妖精たちはマシューの話を無視し、手をつなぎあいます。そうして一列になってぴょこぴょこ跳ねると、青い羽根から落ちた鱗粉で地面にスタートラインを引きました。その線の前にハツカネズミが並び、ぴょんぴょん飛んだり、足を伸ばしたり、準備運動をし始めます。水の中を泳いできた人魚が水面から飛び出して、ぴしゃりとスタートライン前の岩の上に陣取りました。


「三回勝負よ。準備はいい?」


 審判の人魚がそう言うのを聞いて、マシューは慌ててスタートラインの前へと立ちます。


「よーい……ドン!」


 マシューは必死で走ります。なにせ負けたらドラゴンのえさにされてしまうのですから。

 しかしなんと言う事でしょう。ハツカネズミの足の速い事! マシューが池を半分まわる頃には、ハツカネズミはもう、池を一周まわり終わっているのです。マシューがゴールする頃には、しゃわしゃわと歓声を上げる妖精たちの前でハツカネズミがふんぞり返っていました。


「しっぽもなけりゃ、足も遅い」


 そう言ってハツカネズミが挑発してきますが、マシューは息が上がって上手く言い返せませんでした。


「人間の子どもは遅いなぁ」

「二本足で走るから悪いのさ」

「前の足も使えばいいのに」

「これじゃあ勝負にならないぞ」


 妖精たちは好き放題言っています。マシューは鼻の穴をふくらませて怒りました。

 するとその時、妖精の一人がマシューの肩にそっと近づいて、小さな小さな声で言いました。


「このままじゃ面白くないから、君に1つヒントをやろう。魔法の枝を拾って走ってごらん。うんとピカピカなのを選ぶんだよ。そしたらもっと速く走れるようになるんだ」


 それはズルではないのだろうか。マシューは心配しますが、妖精はにっこり笑って言いました。


「気にしなくてもいい。あのハツカネズミだって、この森に生ってるグミの実を食べてるからあんなに足が速いのさ」


 また人魚が号令の声をかけました。マシューは急いで足元に落ちていた金色の枝を拾ってポケットに突っ込むと、慌ててスタートラインの前へと戻って構えました。


「位置について、よーい……ドン!」


 マシューは必死に走ります。なぜだかさっきよりもずっと体が軽く感じました。足も、まるで空気を蹴っているように抵抗なく動き、ぐんぐん前へと進んでいきます。

 あっという間に池を一周まわりきり、先にゴールしたのはマシューでした。妖精たちがわぁわぁと(小声で)はしゃいで、マシューの体にまとわりついてきます。

 ぜえぜえと息を切らせたハツカネズミが後ろから追いつくと、こちらを指差して言いました。


「お前、魔法の枝を持ってるな!? ズルだぞ!」

「ズルなもんか! 君だって魔法の実を食べてるんだろう!?」


 マシューがそう言い返すと、ハツカネズミはわなわなと体を震わせます。


「あぁ、そうか、分かったとも!」


 そう言って、ハツカネズミは金ピカの木から一粒グミの実をむしると口の中へと放り込みました。むしゃむしゃ、ごっくん。にやりと笑います。


「これで平等だ。さぁ、勝負だ!」


 そうして二人はスタートラインの前に並びました。

 岩の上に座った人魚が手を前にかざします。


「よーい……ドン!」


 人魚の手が上がった瞬間、マシューとハツカネズミは同時に走り出しました。

 二人の距離は付かず離れず、どちらもあっという間に池をまわりきります。

 そうして先にゴールしたのは……ハツカネズミの方でした。(残念! ヒゲの分だけゴールが遅れてしまったのです。)


「人間の子どものくせに、なかなか、やるじゃないか……!」


 ハツカネズミは息を切らせて、マシューに称賛の声をかけてくれました。マシューも全力を出しきって良い勝負ができたので、ハツカネズミの小さな手と握手をしました。


「ねずみさんの勝ちだ!」

「人間の子どもの負け!」

「ドラゴンのえさになるのは人間の子ども!」

「人間の子どもだ!」


 妖精たちがさわぐ声を聞き、マシューははっと顔を上げました。

 そうです。負けるとドラゴンのえさにされてしまうのです!


「ま、待ってよ! ドラゴンなんて、嘘だろう?」

「嘘じゃないとも。森の先にある洞窟の先のお山には、ドラゴンが住んでいるんだよ!」

「おっきなお口! おっきな牙!」

「爪と翼もあるぞ!」

「火も吹くぞ!」


 マシューはさっと顔を青ざめさせます。


「そんな約束、僕はしてないよ!」

「ダメだよ、君は勝負で負けたんだ」

「君はお山に行くんだよ」

「そうしてぱくり! ドラゴンのえさになる」

「嫌だってば!」


 マシューは大きな声で反対しました。


「誰ともそんな約束なんてしてないもの! 君たちが勝手にそういう話にしてしまったんじゃないか! そんな危険なドラゴンに会ったら、どうやったって無事でいられるもんか!」

「いいや。ドラゴンに会って、生きて帰ってきた人間がいるぞ」


 マシューが声の方を振り向くと、ハツカネズミが腕組みをして立っていました。


「……本当に? その人は無事に帰ってきたの?」

「あぁ、そうだ。そいつはお山に行くまでの途中にある洞窟に住んでるぞ。ドラゴンを剣でやっつけて、ウロコを持ち帰ったって聞いた」


 それを聞くや、妖精たちは楽しそうにしゃわしゃわと騒ぎ始めます。


「ドラゴンのウロコだって!」

「大きいんだろうなぁ!」

「ピカピカだったらいいなぁ!」

「見てみたいなぁ!」


 そのうち、妖精の一人が言いました。


「じゃあ、こうしよう。君がドラゴンのウロコを持って帰ってこれたら、勝負の賭けの話はなしにしてあげる!」

「嫌だったら! それだって危ない事に変わりはないじゃないか!」


 マシューがそう言い返すと、妖精たちは小さな声でがなりたてました。


「ダメだ! ダメだ! もう決まったんだから!」

「ドラゴンのウロコを見てみたい!」

「多数決を取ろう!」

「人間の子どもはドラゴンのウロコを取りに行く?」


 そこにいた妖精たちは皆そろって手を上げます。そんな様子を見て、マシューはうんざりしました。


「誰か人間はいないの? 動物と話すなんて、もうこりごりだ!」

「あら、私は?」


 と人魚が言います。

 君はほとんどしゃべる魚だ、とマシューが言うと、まぁ、失礼ね!と彼女は怒りました。


「その人間のところまで案内してくれよ。僕は人間と話がしたい!」

「あんなおかしな奴と話がしたいのか? お前もやっぱり、変な奴だな」


 ハツカネズミはひげをいじりながらそう言います。その声に、妖精たちも一緒になってマシューをばかにします。


「変な奴!」

「おかしな毛色!」

「しっぽもない!」

「足も遅い!」


 そう言って、妖精たちはケラケラ笑い声を上げるのです。

 マシューはだんだんと腹が立ってきて、ついにはとうとう、こう言いました。


「そもそも、動物がしゃべれる事の方がおかしいじゃないか!」


 すると、今まで好き放題にしゃべり散らしていた声たちがぴたりと止んで、皆が皆、マシューの事をじっと見つめます。


「な、なんだよ……」


 キャーン! 口を開いた妖精の口から、大きな獣の鳴き声がしてマシューは飛び跳ねました。それはまるで、キツネの高く鳴く声でした。その横ではヒヒーンと馬がいななきます。その次はムクドリがギャアギャアと群れになって騒ぎ立て、オオカミが遠吠えました。人魚の口からはパクパクと水を弾く音がして、気付くと岩の上には鯉が打ち上げられてびたびたと跳ねているのです。

 マシューが目をぱちくりしている間に、妖精たちは毛の生えた生き物に姿を変えていました。


「あーあ、あんな事言うから」

「な、何がだよ!?」


 振り向いた先に、ハツカネズミはいませんでした。と思うと、何かが足を伝って上がってきて、肩に目を向けると小さく縮んだ(というよりも元のサイズに戻った)ハツカネズミが、マシューの肩に乗っていました。


「お前が聞く耳を持たなくなったからだぞ。あいつらが何を言ってるのか分からなくなったのは」

「あっちだって、僕の言う事なんてこれっぽっちも聞いちゃくれなかったじゃないか!」

「なら気にするだけ無駄じゃないか。始めから言葉なんて通じちゃいなかったのさ」


 ハツカネズミはマシューの耳をせっつきます。


「さぁ、行こう。おいらがドラゴンをやっつけた英雄の所まで案内してやるよ。皆も頭を冷やしたら、また人間の言葉を話せるようになってるさ。……多分な」


 マシューはハツカネズミにも抗議しました。

 僕がドラゴンのウロコを取ってくる必要なんてあるの? こんな約束は無効だよ!と。

 しかし返ってきたのは……。


「ごちゃごちゃ言ってるとお前の耳に噛みついてやるぞ!」


 そう言って、マシューの耳元でカチカチと歯を鳴らすのです。


「分かった! 分かったからやめてくれ!」


 残念ながら、ハツカネズミにも話は通じていないようでした。






 ハツカネズミに連れられ、マシューは森の先にある洞窟に入っていきました。

 洞窟の壁は冷たく、なんだかじめじめ湿っています。暗い道を少しばかり進むと、道の先がぼうっと明るくなっている所がありました。マシューはそちらに歩いていきます。

 灯りの正体はデスクライトでした。うつむいて腰を曲げたような形をしたライトが、白いデスクの上に乗っています。デスクには他にも、光る箱が乗っていました。

 そしてそのデスクには、毛むくじゃらのひげ男が座っていて、何やら光る箱に向かってしゃべりかけているのでした。

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